黙の月ー神の絆に愛されし桜

ちい

第1話 王代行は15歳


 春を待たずに、時を失い、私は一人になった。

 喜びも苦しみもありとあらゆる感情が奪われて、心が凍り付き歩み方がわからなくなりそうだ。

 そうか、これが千年の孤独か。

 手を伸ばしても手を伸ばしても、何度も何度も手を伸ばしても、いつも握り返してくれる手がもうそこにはない。

 そう、これが千年の孤独のはじまりか。

 私一人だけが動かない時間の中に置き去りにされる。

 そうだね、これが千年の孤独だ。

 一人だと自覚して苦しんで生きるなら眠りたいとでも私に言わせたいのだろうか。

 憎らしくて仕方がない大樹。

 その青々とした造り物のような葉を一つちぎってみた。

 細い枝先からは植物とは思えないほどに毒々しい赤い雫がポトリポトリと零れ落ちていく。

 生きている。

 まるで人間のそれと同じように生きている大樹。

 苛立って幹を蹴り飛ばしてみるがびくともしない。だが、少し遅れて自分自身のみぞおちあたりに痛みが届く。


「なるほど、同じって言いたいわけだな」


 そうであったとしてもどういう理屈だ。

 何だっていうんだ、こいつはとさらに苛立って見上げてみる。

 そこにはただ在るというだけの己と同等の器としての大樹のみがある。

 ここには春も夏も秋も冬も、音さえもない。そして、時間すらないのだろう。


「どうにもこういう問題が降りかかってくるのが私の人生のというわけか」


 だが、私にはまだ希望が残されている。

 私の命が尽きていないという現実が教えてくれる真実。

 私の狼は生きている。

 分離の恐怖を味わうこととなろうとも、この真実が私を立ち上がらせる。

 いくらでも試してみるがいい。

 目の前にいるだけが共にあるということではない。

 離れていても絆はそう簡単にぶった切れるものじゃない。

 それに、私には愛おしい絆が増えたのだから。

 私はここに居る。

 ここに居るんだ。

 私の愛しい絆の者よ、私を探し出せ。

 私が戻ったのならば、もう二度とお前たちを誰一人として傷つけさせはしない。

 

「どこのどいつがはめてくれたのかは知らんが、目にものを見せてやる。 すぐにでも思い知ることになるだろう。 私の血族は諦めが悪いのが特徴だからな」


 誰一人、簡単に屈することはないのだから。




 方々から聞こえる奇声に耳をすませ、距離をはかる。霧の中では目は全く役に立たない。

 じわりじわりと近づいてくる気配だけをカウントしてみても、これまで経験したことのない数だとわかった。

 ごくりと生唾を飲み込んで、乾ききった喉を精一杯に潤してみる。

 額の端から瞼を伝い目の中に赤い液体が流れ込んでくるが、目を閉じればその瞬間に自分自身が確実に仕留められてしまう。そんな気がして絶対に瞬きはしないぞと歯を食いしばった。


 こんなことになってしまったのはいつからだろう。


 逢ったことも、見たこともないが自分たちには確かに女王がいた。

 その人が居てくれたことで黄泉使いは一丸となれた。

 統制のとれた部隊編成、それを指揮し、誰一人として任務で命を落とすようなことは起きなかった。その理由が、たった一人の絶対強者がすべての恐怖の盾となり防いでくれていたからだったと皆が知ったのは春を迎える直前のことだった。

 3月の戻り雪に見舞われていた出雲にある宗像の別邸が家屋ごと吹き飛び、跡形もなく消えた。黄泉との境界が一斉に開き、宗像分家の主力の3分の一が一瞬にして削がれた。

 本家に通達が届き、宗像本家が本隊を動かそうと緊急呼集をかけた。

 大人たちが大慌てで出雲へ出向き、僕たちは逆に宗像本家に集められた。

 宗像本家の広い庭を駆け抜けて玄関先まで辿り着くとそこには宗像本家・分家、津島家、穂積家、白川家の跡継ぎばかりが集められていた。

 親戚縁者しかいないため、皆、当然と言えば当然の顔見知りだ。

 誰が姉妹で、誰が兄弟で、従兄弟、従姉妹、伯父、叔母なのかを説明しだすと恐ろしく複雑になるので割愛する。

 黄泉使いは実力主義でもあるが、宗像一派においては血統が最重要。

 そして、僕たち5人は見事に全員がその宗像一派の血を受けている。

 とりあえず言えることは大きな家5つにおいて、5人全員が父方か母方の家の後継ぎになっているということだ。

 それぞれに家を背負えと言われるだけの実力者ぞろいで、どうにも力不足の僕だけが場違いな空気の中にいる、そんな気がしていた。

 宗像本家の跡取りは僕の姉だ。名前は悠貴。僕より3つ年上でもうすぐ高校卒業する。ベビーフェイスなくせに、本当は男なんじゃないかと思わせるほどの豪傑。大叔父仕込みの柔術は僕にとって恐怖の対象でしかない。その上、その姉が跡取り衆の筆頭もつとめている。これはあまりに順当すぎる配置なので異論を述べることはない。

 津島家の跡取りは僕の幼馴染みで同級生の雅。どえらく頭が良いが如何せん悪知恵が得意すぎて、たまに嫌になる奴。いわゆるイケメンでフェミニストだと自称しているだけあって、とても女子にはもてている。剣道一筋と口では言っているがすぐに稽古から逃亡する有段者。汗をかきたくないと稽古をさぼる割に強いのが鼻につく。

 穂積家の跡取りは姉の幼馴染というか、大叔父の娘の珠樹。父の姉の娘でもあるので従姉にあたる。ここがややこしいところでもあるのだけど、年齢からいったら僕らと近いが本当は母の従妹でもある。黄泉使いあるあるのどことどこが縁戚なのかわからん現象の具現そのものだ。

 当然のことながら僕の姉の悠貴ではなく珠樹が本家の後継ぎではないのかという声もあったのだが、そこは実力主義の宗像。圧倒的な才能を持っている姉が選ばれ、彼女は母方の家を継ぐことになった。口数は少なく、声がでないんじゃないかと疑うことすらある静かな美人だ。でも切れたら僕の姉を簡単に凌駕するほどに怖いし、実は口も悪い。インターハイで優勝してしまうほどに弓が得意で、僕も時々教えてもらっている。

 白川家の跡取りは静音。僕の幼馴染で一つ年下の女の子だ。父親である宗像時生譲りの呪術の才があり、この分野において彼女を超えることのできる跡取り衆は誰一人いないというレベルにいる。

 幼い頃から一番一緒にいるのはこの静音だ。ぷつりと線がきれたのなら破壊神そのものなのだが、本当はものすごく天然で、ゆるキャラ好きな普通の女の子でもある。あっぱれすぎるほどの方向音痴という弱点はいつも僕が補っている。僕同様に出雲で暮らしていたが、去年、後継に選別され、彼女は今、京都へ戻っている。

 そして、最後に、宗像分家には子供がいないので、その跡取りは僕、宗像貴一というわけだ。僕にはナンバー1になれるだけのものは何もない。皆と違っている点をあげるとすれば僕だけが常に出雲にいて、出雲中心にしか仕事をしないという祖父が決めた制限つきだということだ。

 僕たちが一堂に会すことなど14歳を超えてからというものそうそうない。

 黄泉使いは14歳を超えたら成人したとみなされ、任務も子供扱いされることはない。だから、子供は出るんじゃないと集められた意図がよくわからなかった。

 久しぶりの京都だったけれどグルメや観光という雰囲気では当然のことながらない。

 その上、ここに集められた時、父さんと母さんに各自一部屋ずつ与えられるからそこからでるんじゃないと告げられていた。

 玄関先で幼馴染や姉さんと挨拶を交わしただけで全員が即刻分離された。

 ご丁寧にそれぞれの家の当代が一部屋ずつ結界をはって、僕たちはぞれぞれに閉じ込められた。

 物々しい空気の中、部屋の真ん中で正座をしてみたり、寝転がってみたり、体育すわりをしてみたりとしてみるがどうにも落ち着かない。

 閉じ込められてちょうど2時間ほどした頃、結界が貼ってあるはずの障子がほんのわずかだがカタリと音をさせた。

 宗像本邸において風は吹かないはずだ。だから、僕はわずかに身構えてそちらに目をやった。いざというときは丸腰ではどうにもならないからと、指先を歯で傷つける準備をして目を凝らした。

 障子に浮かび上がった影は獣の姿。障子を通り抜けるようにそれは僕のいる室内へ音もたてずに潜り込んできた。

 僕は初めてライオンより大きいんじゃないかと思うくらいの白銀の狐をみた。

 それが伝説の神の獣だと知ったのは、その狐が僕に話しかけてきたからだ。

 白銀の狐は、望だと名乗った。そして、恐ろしいことを口にした。


「外はとんでもないことになっている。 これを打開するためには不本意ではあるが、お前を選ばざるを得ないようだね」


 僕はその冷ややかな声色があまりに怖くて、気が付いたら思わず首を振っていた。

 口をついて出た言葉は嫌だだった。


「お前の意見など知るか。 お前しか私が見えなかったのだから仕方あるまい」


 音もたてずに一歩一歩と僕のそばに近づいてきて望はため息交じりに僕を見上げた。


「実に好ましくない」


 心底、落胆している声色に僕は知るかと怒鳴ってみたが、望はへとも思わぬ様子で僕を射抜くようにみた。

 背筋をすっと冷たいものが流れ落ちる。

 表現しがたい恐怖が襲ってくる。その静かなる威嚇に体がこわばってくる。

 こんな獣を手足のように難なく使っていた女王って何なんだ。

 確か、女王が人であった時、その身の回りの世話をしていたのはこの狐だったと聞いたことがある。こんなに覇気のある獣が召使のように立ちまわるという世界感がつかめない。

「貴一、お前がたった今より獣憑きとなる」

 ケモノツキ。

 それって僕の浅い知識ではじき出してみてもだいぶんおかしい内容だぞ。

 獣憑きは黄泉使いの最上級、つまり女王クラスのことをいう。

 わけがわからない展開に額を汗が滑り落ちていく。

「筆頭は姉さんだ」

 あの悠貴がいるのに、僕が選ばれるわけがない。

 今の跡取り衆は全員宗像の生粋の血を引いており、誰が女王に次ぐ第二世代の筆頭の席についてもおかしくはないと大人たちが話しているのを聞いたことがある。

 黄泉使いの大人たちがこぞって僕たちのことをゴールデンエイジと呼び、かつてないレベルで黄泉使い達がそろうのだと喜んでいたのも知っている。

 何度も思考をめぐらせてみるが、そのトップにいるのは姉のはずだ。

「私を見ることができたのはやはりお前だけだった」

「皆? まさか僕たちが集められたのって……」

「どの子にも可能性があった。 だけれど、残念なことにお前1人しかこの宗像独自の才はなかったんだよ。 そもそもの黄泉使いとしての能力はあてにしていない。 私を見ることができるだけで良いということだ。 いうなれば他の誰よりもお前の目が良いだけだよ」

「ええと、だいぶん、ひどいことを言われてる気がするけど……」

「ここに来て、選別しているのが朔じゃないだけありがたく思ってもらわないと困るよ。 私はとっても温厚な方だから」

 急に偉そうな口ぶりになる狐に僕は苦笑いだ。

 どの口が温厚と言うんだとため息交じりに狐を見る。

「貴一、そもそも宗像の家紋は何?」

 女王紋が朔月の梅なら、宗像家紋はそれに次ぐ望月の梅。

 望月とは満月を指し、獣でいうと狐を指す。

 望の守護を受けている宗像家なのだから当然だろうと言いたいのか狐はにじりにじりと近寄ってくる。

「お前は皆より断トツで弱い」

「言われんでもわかってるよ!」

「だが、爆弾でもある」

 望の言っている意味がわからない。

 狐の息遣いがそばで感じるほどに近くに寄られると、その体から発せられる独特のオーラに酔ってしまいそうになる。

「梅は王のそばにあり、常にその花で王を護りぬくのが宿命。 桜は人のそばにあり、その花で皆を赦し、癒すことで時を護り抜くのが宿命。 宗像はかつての痛みから女王ありしの梅だけが美しいものとされてきた。 だが、それは誤りだよ」

「桜は語らずの花だ。 桜を背負ってくれているのは津島のはずだし!」

「梅も桜もそもそも両方宗像のものだよ。 私がこうして宗像の子を選ぶのに、どうして桜が違うと思った?」

 望の目がほんの少しだけ拗ねたような光を帯びた。

 確かに言われてみればそうだ。宗像に生まれてきた僕は当然のように梅を背負うことになると思って生きてきたが、宗像本家についてずっと護っているのは狼ではなく狐なのだ。

 狼は梅、狐は桜。

 梅は最も気高いものとして扱われ、桜が逆の扱いを受けている。

「では宗像の桜はどこに行ったの?」

「それは教えない。 良いかい? これだけは理解しておくんだ。 私は不本意ながら、お前を立たせる他ない。 私が最も護るべきものをさがしだすために必要だからだ。 今はただお前を使わざるをえないというだけだ。 さぁ、利き腕を出せ」

 望の言うままに利き腕である左を差しだしたら、あろうことかこの狐は思い切りかみついた。思う存分に歯を立てて何の躊躇もなく、勢いよくかみついた。その強烈な痛みは僕を卒倒させるには十分だった。





 

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