13

※※※




「アオイ、きっも。何なのその顔。こんだけ動いた後にその顔って変態?」


 ハードだった訓練に、肩どころか全身を使ってようやく息をしているショウナはそれでもひとこと言わないと気が済まなかったらしい。確かに葵自身口角が上がっているのを感じる。見上げた先に、すぐ隠れてしまったが女性ものの軽やかな服が揺らめいていたからだ。自分の視線があらぬ方向に向いていれば皆の視線も集まるだろうと一瞬で逸らしたが、別れ際の一方的な約束で来てもらえるか不安だったので単純に気分が上がった。


 昨日ミンナと話が出来たことが大きかった。好意を持っているようなことを言いながらも、年上の女性ならではのアドバイスをくれたのは心強い。キスのせいで生じていた気まずさも消えたし、後は自分の腹をくくるだけだと思ったら何も怖くなくなった。


 取り繕ったところで今更何の得もない。この数年、自分のプライドを守ることに費やした結果が莉央とのすれ違いの原因なのだ。自分の気持ちを正しく理解した今、するべきことは言葉を尽くして誤解を解くこと。そしてそれは昨日の莉央の態度を見る限り難しいことではないと思われた。


 唯一の気がかりは、一方的にしたキスのことだ。偽りなく言えば完全に衝動的な行為で全く褒められたものではなかったし、理由を聞かれても上手く答えられる自信もない。だが、驚きがあったにせよ振り払われたりしなかったことで、拒否はないと勝手に好意的な捉え方をする。


 大急ぎで片づけをする葵をショウナは気持ち悪そうに見ている。まだ息が荒い同僚の担当分まで終えると、葵は座り込んだまま動けないショウナと、自分の分を手にしているチャルに「先行ってるな」とだけ告げて、屋内に去っていく。


 チャㇽはそうして去っていく葵の背中を見送ったあと、ショウナに手を貸し立ち上がらせた。


「お姫様と会えたのか、別の女を見つけたのか」


「葵にそんな切り替え出来ないと思うけどなぁ」


「違いないな。じゃあやっぱり上手くいったのか」


 昨日の夕方、突然吹っ切れたような表情で城下から帰ってきた葵を見れば、何かあっただろうことは簡単に分かった。だが口を割らない。莉央絡みなのだろうが聞かされないのならば追及されてはまずい事があるのだろうと二人は敢えて無理には聞き出さなかった。そのため話題としては弱く続かない。


 それよりチャルが気になっていたのは思案顔のショウナのほうだ。疲れただけにしては、随分深刻に考え込んでいる。だが少しの時間をおいて、相変わらずの思案顔を手元に向けつつ、ポツリとこぼした。


「……ねえ、最近王子様の話聞かないよね」


「ん? ああそういやそうだな。まあ元々俺らには関わりない方だしな」


「なんか臥せっているって噂あるんだけど」


「へえ、その割に城内は変わりないけどな」


「そりゃバタバタしてたらいかにもって感じでしょ。皆の反対を押し切ってバロックを手に入れたっていうのに問題が出ればどうなるよ」


 チャルは口をつぐんだ。元々王室直下としてのバロックの保護は実は王の治世では認めていない。今こうして莉央を保護しているのは全て王子の個人的裁量によってだ。莉央の前から幾度となく現れていたバロックの有用性を先の戦争の以前から王子は唱え、その権限を王から得た。齢十を過ぎた頃の話だ。当然若年の王族に反発する者も少なくなく、それは未だに残っている。


「お姫様はこのままだと排斥の対象になり得るかもよ」


「お前、難しい言葉知ってんなぁ」


「馬鹿にしないでよね」


 心底感心したとでも言いたげな口ぶりに頬を膨らませる様子は随分と幼く見えるがその見た目にそぐわない中身にチャルは気付いていた。


「……今ここ誰もいないよな」


「いないっぽいね」


「今からいうのはあくまで憶測だからまともに答えてくれなくたって、まあ別に構わないんだけどさ」


 はあ? と聞き返すチャルを見ず、早口にいう。


「近衛第一師団は国として扱うには難しい王族直下の指示につく。表向きは異人部隊だが、七割は国内の兵で、異人の中の一割はバロックだから、本当の意味での異国民の数といえば片手に満たないし、こいつらはこの辺では見慣れない容姿のバロックを紛れ込ませるためにいるだけだから、大した仕事も割り振られない。重要なのは七割の自国兵の半数を占めるのが諜報活動員ってこと。あとの半数は俺みたいな半端ものだとか、後は隊律に対して馬鹿みたいに忠実な、洗脳されてる系の奴ら。んでお前は、半数の諜報活動員の中の一人で、しかもその容姿で内部諜報活動的なのをやらされているわけ。声変わりがまだだから女どもに混じっていても違和感ないし、体力ないって適当にさぼるけど体捌きが劣るわけじゃないし、女の中に混じっても目立ちにくいよう筋肉の付きにくい別メニュー仕込まれてんじゃない? んで、ここからが重要でさ」


 あくまで憶測だからな、と念を押す。


「一見単なるうっかりっぽく色々情報漏らしてるけどさ、実は結構計算ずくでやってんじゃないかなっていう。まあどんな計算かは俺みたいに自分が左遷されたのか栄転だったのかすら分からないような奴にはとても考えつかないんだけど」


「うん」


「まあ王族よりはどっちかっていうとリオとアオイ寄りなのかなって」


「ふうん?」


「ふうんって、他人事だな」


「他人事でしょ。万が一図星だったとしたって、ここで顔に出るんじゃ仕事にならないよ」


「そりゃそうだ」


 チャルは日に焼けてカサカサになった鼻の頭を掻きながら大きく伸びをすると、自分を見上げるまだ幼さの残る顔に向け視線を投げた。


「なんかありゃ、俺も使え」


「え?」


「まあ、同僚のよしみだし?」


「左遷か栄転かも分かってないやつに何をさせろと」


「だよな! 俺もそう思うわ」


 豪快に笑い飛ばすチャルからやや強引に荷を引き取って倉庫に向かおうとするショウナから、半分だけ奪い返し並んで歩く。


 広めの倉庫の中は日が射さないため熱を含まない心地よい温度に満たされていた。手にしていた訓練刀を丁寧に置いていく。ちらりと盗み見たショウナの表情は特に変わらずいつも通りで先ほどの問答など無かったかのようだ。


 だが明確な答えを寄越さない時点で答えているも同然だった。もちろんショウナはその意図を持って濁している。そんな含みに気付いてはいるがチャルもまた素知らぬ顔をしていた。話さないということは、話せない事情がある。時期が来れば聞けるかもしれないし、話すに相応しくない立場にいるのならば一生答えは貰えないのだろう。それは追及しても仕方のないことだ。


「憶測か真実かはともかくとしてさ」


 頬を伝う汗を容姿とは似つかわしくない乱暴な仕草で払いのける。その姿には少年らしい瑞々しさとともに若い清潔感のある色気がにじみ出ている。以前城仕えだったら女なんていくらでも寄ってくるなどと言っていたが、近衛に転属して半年以上経ってもチャルにアプローチをかけてきた者は今のところいない。やはり無条件なわけではなく、こういった仕草や見目は重要なのだ、などと少しの嫉妬をもって眺める。それに気づく様子もなく、物憂げに視線を流すショウナはそれがまた様になっていて、普段の子供っぽさとの差異に同性ながらもぐっとくる。


「アオイってなーんか危なっかしいんだよねぇ。ちょいちょい軌道修正してあげないと、何に向かってるのかすら忘れてぶっ飛んでいっちゃいそうで」


「確かに」


「でも僕割と好きなんだ。あの馬鹿正直なところとか、馬鹿素直なところとか、馬鹿真面目なところとかさ。まあ総括して馬鹿な子ほど可愛いってやつ?」


「……分かるわそれ。あいつは色々馬鹿なんだけど可愛いんだ」


 訓練が終わる直前、長い髪が渡り廊下の柵を越え風になびいていたのに気付いたのはチャルとショウナ以外に何人いただろう。葵の嬉しそうな顔を見れば、そこにいる人物が誰なのか察しはつく。莉央のことを知らない者にも思い人であることくらい予想は出来る、葵の表情はそういったものだった。


 そんなやり取りが訓練場の方で行われていたことには露ほども気付いていない葵は、ともすれば駆け出しそうになる足を抑えながら階段を上っていた。気持ちに任せ動いていれば、昨日のように突発的に何かをやらかしてしまいそうだったので、もう少し落ち着く時間が必要だった。


 渡り廊下への扉の前に立ち、深く呼吸を整える。莉央がどんな表情で自分を迎えるのか想像がつかない。昨晩何度か思い浮かべた唇の感触がまた浮かぶ。ミンナともしたのだが、受動的に受け入れたのと自らの感情に従ったのでは全く違う。思い返しただけで上気してくる顔を誤魔化す術は思いつかなかったが、そんなことよりもただ早く会いたくて扉に手を掛け力を籠める。


 昨日と同じように下から煽る風が強く吹いている。まとめていただろう髪は千々に乱れ、空へ伸びるように踊っている。片手で髪を、もう片方の手でスカートを押さえている莉央は必死で、葵の姿を見ても反応が出来なかった。


 逆に葵の方は莉央の髪にかろうじて引っ掛かっていた髪飾りが落ちそうなのに気付き走り出した。風になびく髪から落ちればそのまま階下に飛ばされてしまうことは簡単に予想がついた。貴重な時間をそんなものを取りに行くのに費やす気はない。


 外れかけた髪飾りを手に収め、翻るスカートの大きく膨らむ裾を両手で集めてぎゅっと掴むと莉央の手に渡す。風の入る隙間のなくなったスカートはそれで何とか落ち着いた。莉央はその布の束を膝裏に纏め敷くようにして腰を下ろす。空いた両手で乱れた髪を寄せ集め後ろ手に纏めると、葵から髪飾りを受け取り器用に巻いて差し込む。その手早さに感心し呟く。


「女って感じだな」


「今までなんだと思ってたの?」

 恥ずかしいのだろうか、顔を伏せて顔が見えないが赤く首元が染まっている。それがまた女性を感じさせた。以前ならば目を合わせないことに腹を立てていただろう。自分の心持ち一つでとらえ方が全く違ってくるのが不思議だった。


「今まで損してたんだな」


 発言の意図をつかめない莉央はそれでも余計な口を挟まないで続きを待つ。それを自分の意見を飲み込む臆病さと取るのか相手を尊重する気遣いと取るのか。


(俺はそんな違いすら分かっていなかった)


 強い風は相変わらず二人を煽る。運動後の火照った体を持て余していた葵にはちょうど良かったが、普段日を浴びない莉央には強い日差しと相まって負担になる。


「日陰に行くか」


 腰を下ろしたものの、すでに日に当てられ眩暈を感じていた莉央は迷いなく頷いた。ゆっくりと立ち上がり、内廊下への入り口に僅かに出来た影に向かう葵の一歩後ろをついていく。スカートはきっちりと押さえられているし、結い直した髪はもう解けず形を保っている。葵は漠然とそれを残念に思いながら改めて腰を下ろした。小さな影に二人で座ろうというのだから距離は取れず肩同士が触れ合う。だが互いにそれには何も言わなかった。


「……葵君、疲れてない?」


 唐突に莉央が聞いた。


「運動の後だしな。……って臭い?」


 自分の匂いは分からないものだ。たっぷり汗を掻いたのだから、臭っていてもおかしくない。だが莉央は首を振る。


「そんなには」


「多少は臭いのか」


「運動の後だし……。あ、あのね」


 そんなことより、と聞こえる気がするくらい唐突に顔を上げた莉央と目が合ったが、それはすぐに逸らされた。重大な何かを打ち明けようとでもするかのような態度が気になる。秘密の話でもするのかと体を傾け床に手をつき口元に耳を近づければ、ない距離がさらに近くなる。

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