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横から小突かれたせいでよろけながら「あ?」と睨むと、哀れむような視線で返される。
「言ってること分かってんの? つまりラレーさんは、お前とやりたいって言ってるんだぜ」
「何を」
「カマトトか!」
「え……、っあ?」
ろくに話を聞かず生返事だったせいで理解が遅れた。もちろんチャロの言わんとすることは分かった。今朝ショウナともそんな話をしたばかりだ。
「もう十七だろう? お姫様恋しいで過ごすのも構わないが、機会があるなら知ってても構わないんじゃないか。好きな女に対しては主導権握りたいだろう? お前みたいな奴は特に」
「何だよ、俺みたいって」
「アオイはプライドが高いからな。いざそういう場面になったとき弱みは見せられないだろう。違う場所に入れてもわざとだって言い張りそうだ」
「……いや、いくらなんでもそれはさすがに」
「いやいやいや、わっかんねーぞー。恥じらう女相手は面倒だからな。変に隠されりゃ、初めての時はパニクるぜ。相手に教わるわけにもいかんし。最初はやっぱり経験者にレクチャーしてもらうべきだ」
「だけどお前等と兄弟とかなんかやだ」
「気にすんなって。だからこそ勧めてやれるんだろ。あの人要求はっきりしてるから分かりやすくていいぞー」
そんなものかと思いながら肩を並べて歩くチャロの横でため息をつく。
興味はある。そこを否定する気はない。しかし理想もある。漠然とではあるが、やはり最初は好きな女性とがいいと思う。しかしチャルの言うことも一理あった。好きな相手を前にしてパニックに陥るのはあまりにも情けない。だが奔放な女性を相手にするのにも多少不安がある。嫌な話になるが衛生状態から考えれば病気の有無、またこの世界での避妊の方法も分からない。あまりに成功率が低いようならばやはり下手に手を出すべきではない。
そんなことを考えていれば男性の足で城下まで三十分もかからない。
「はい、時間切れー」
ほとんど無意識に近く肉屋を目指していた葵は、チャルの声で顔を上げた。
「いくら好みに近くてもこんっな汗くさい男は相手にされませーん。はい、アオイの脱童貞は遠のきましたー。んじゃ、もーとっとと風呂入って飯食いいたいしさっさと用件済ませてくださーい」
肉屋の店主の前で言うのは勘弁してほしいと目の前の無神経な男を睨んだが、睨まれた方はどこ吹く風といった様子だ。
「よう、アオイ。また腸か」
「あ、うん。ある?」
聞いていただろうに店主は動じもせずいつも通りである。ほっとして今日のラケットの使い心地について話をする。店主はこちらの要望をよく聞いてくれるのでアオイもついつい要求が高くなる。話しているうちに今日のプレイの興奮が蘇ってくる。そうなればもう止まらなかった。久しぶりに握ったラケットの感触、ボールの打ち心地や、それを追って走る爽快感。そんなことを一通りまくし立てた後、葵ははっとして言葉を止めた。
「はは、楽しかったから話しすぎた。親父さん聞いてくれるからつい」
興奮から冷めて羞恥に染まる顔をそれとなく隠そうと横を向いた葵に店主はこらえきれなかったように笑い出す。
「しょうがないな、俺んとこの腸がそんなに役に立ったんなら加工する量を増やしてやるか」
「え、本当?」
「ああ」
「やった! ありがと!!」
思っていたより弾力が失われるのが早かったので多い量を入手できるのはありがたい。喜びを隠すことなく表す葵に店主は言う。
「アオイ、他のろくでなし共にゃあ心配でやれんがお前なら悪くないかもしれん。そこそこ稼ぎもありそうだしな」
「え、何?」
「うちの娘だよ、どうだ? 別嬪とはいわんが悪くはないだろう」
今日は朝からそんな話ばかりだと言葉に詰まる葵に店主はまた笑った。
「いや、なに、本気にするな。社交辞令の一環だ」
「なんだよー、びっくりした。親父さん、あんまり勝手なこと言うとラレーさんに怒られるよ」
(いやいや、ラレーの希望だよ。だが脈はなさそうだな。アオイはこの辺のやつにしちゃ珍しく身持ちが堅そうだから俺も安心なんだが)
店主はそれは口にせず「お前は不合格な」と側にいたチャロに言い捨てた。「ええ? なんでよ」と食い下がってはいるが、チャロも笑っているのでお互い本気ではないようだと葵も笑う。
「アオイ、中に入ったら? ちょうど今ミートパイが焼けたの」
店の奥から食欲をかき立てる香りとともに出てきた色白の娘が声をかける。胸元の開いた服は、ハリウッド女優のようにくっきりとその谷間を強調していた。しかしそれは店主に似た少しふくよかな体型のためだろう。体型だけでなく、少し腫れぼったい目も店主に似ているが、若い女性のものとなると、それなりにセクシーに見えるから不思議なものである。だがそこは葵にとってさほどの誘惑にはならなかった。
「あー、食いたい! ミートパイ好きなんだよな。でもごめん、俺ら今日運動してきたから汗だくなんだ。風呂行ってこなきゃ」
残念そうな様子のラレーに笑いかけ、店主に「じゃ、あとで取りにくるから」と声をかけて焼きたてのパイに名残惜しそうな視線を送るチャロを引っ張った。
「お前ラレーさん好みじゃないのか」
「そういう問題じゃないだろ」
その前に散々ラレーについて話をしていた後だ。何の誘いだったのかくらいはいくら鈍くても気づいている。別にラレーを嫌いなわけではない。むしろ明るく元気のいい女性は好みだ。ふくよかな体型だって男の目から見る分には痩せすぎているよりずっといい。
「親父さんからすりゃ、目の前でそんなやりとりされたくないだろうし」
(いや、むしろ親父さんの方がお前を狙っている)
異性とのつきあいに比較的オープンではあるお国柄だが、それでも親の心配は万国共通だ。子供のパートナーがころころと変わる中で、その中に入っていないことが分かっている葵に娘を薦めるのは、葵の中に信頼を置ける要素を見いだし、誠実さを確信したからだろう。
(ま、教えてやるようなことでもないか)
それに気づかないのもまた葵の長所だろうとチャルは考えた。
(変に小狡いアオイってのも想像つかないし。ま、この適度な鈍さがこいつの取り柄っちゃ取り柄だ)
しかしこの調子ではおそらく今まで女性からアプローチを受けてもせいぜい友達止まりで一つもものに出来なかったのだろう。
チャロの考えは、幼馴染みである晃流が実際に横で見ていた事実そのままだった。
肉屋への依頼の後、二人は近くにある大浴場に向かった。隊舎の風呂は小さく湯船がない。そのためしっかり体を癒したいときにはよく使う。それでも男二人の入浴のうえ腹が空いているのでカラスの行水で済ませると町中に出た。食堂にも行きつけがある。二人が入店すれば「いつものだね」との声で待つこともなく料理が運ばれる。
「なに、今日はおちびちゃん一緒じゃないの?」
「あいつ今日は寝てるよ」
「見るからに虚弱そうだもんね」
年の近いウエイトレスとも軽口を叩ける程度には仲がよい。こちらも胸元の開いた服で惜しげもなくその膨らみを晒している。そう言えば最近町に来ると似たような服を着た女性を見かけることが多い。当世の流行なのかもしれない。
「あ、そうそう。アオイって女を知らないってほんと?」
炒め物を配膳しながら落とされた突然の話題にスープを吹き出しそうになって噎せ込んだ。
「珍しいね、その年で」
「チャロ、お前か!?」
どうして今日はこんな話題ばかりなのかと止まらない咳に涙を浮かべて睨みつけると驚いた顔で大げさに手を振って否定する。
「ショウナよ。あの子おしゃべりよね。ま、あたしが聞き出したんだけど」
「何で」
「決まってるじゃない。アオイに興味があるのよ。あんたの顔立ちってちょっとこの辺の男とは違うじゃない? あっさりしていてさ」
「そう?」
「うん、だからあっちもあっさりしてるのかなって」
ガフ、と獣の唸りのような咳が出た。悪いこととは思わないがとにかく明け透け過ぎて戸惑う。学校でこういった話題に興じるクラスメイトがいなかったとは言わない。しかし男子と一緒にいることが多い葵は女子とこの手の話題に花を咲かせたことはない。
「ミンナちゃん、こいつ好きな女に操を立ててんだよ」
「え、やだうそ。そんな男いるの?」
「いるじゃん目の前に。その点俺はお手軽よ? 後腐れもなく、ご希望通りあっさりと」
「うそだ、ラレーがチャルはしつこくてうっとうしいって言ってたし」
「え、プレイ筒抜け!?」
「女の情報網馬鹿にしないでよ」
「悪いけど飯食ってるときにその手の話題は勘弁して」
変に盛り上がり始めた会話を何とか打ち切らせる。「つまんなーい」とミンナは呟いて他のテーブルにつく。
「お前意外にもててんなー」
「ほっとけ」
直接的なアプローチに免疫のない葵は耳まで赤くしている。
「男の恥じらいは」
「言うな」
何度も聞いた台詞を遮って食事を口に運ぶ葵は子供のようだった。チャルがちらりとミンナの方を見れば、照れる葵を微笑ましげに眺めている。
(このガキっぽい反応が母性本能をくすぐってるんだな)
友人としてみてもそこは好意を持てる部分だ。子供っぽいと言えば聞こえは悪い。意地っ張りだし頑固でもある。だが真っ直ぐで真面目であるともいえる。しかしそのせいで
(リオとこじれるんだろーなー。だけどこればっかりは俺たちが口を挟めることでもないからなー)
チャロが莉央をお姫様などとちゃかして呼ぶのは名を呼ぶことを葵が不快に思うだろうからだ。莉央を隊舎で見つけたときに自分がしようとしたことが、男女間に於いてこの国の住人とは違う倫理感を持ち生きてきた莉央と葵にとってはショッキングな出来事だったのはもう分かっている。
初めて会ったときは軍の誰かに連れ込まれた女性なのだろうと思った。それはごくまれにあることだった。そしてそれが辺境の地における一小隊の機密を狙う隣国のスパイであることも。だから拘束した。乱れた衣服は男への媚びに見えた。場にそぐわないその存在はいかにも怪しかった。低い身長、小さな体型に反して大きく盛り上がった胸もまた疑う理由になった。その下部にものを隠すことによって胸が不自然に持ち上がることは知っている。それを確認しようと服の中を探ろうとした。多少、役得だと思いながらだったことは否定しない。
隊長であるヤンナ・アルヴェロからその素性について説明は受けた。それによって、自分が後戻りできない立場になったということも察した。噂には聞いていた。王子が捜している建国神話の登場人物。酔狂だと笑う人がいることも知っている。だが表だって批判をする者が出ないのは、最近城内に広がったある噂のせいらしい。
ーー王子に異を唱えた者の身に異変が起きる。
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