最悪の答えを想像して莉央はみなまで口にすることを躊躇した。しかし覚悟を決める。知らないままで不安に苛まれ続けるよりは自分たちに与えられるであろう処遇を知っていたほうがましだと奮い立たせる。


「私たち、どうなるんですか」


 決死の覚悟で聞いたつもりだった。しかしエルヴィラは表情を変えずあっさりと答えた。


「特に問題はない」


「え、でも」


「誰に何を聞いた。余計な話を君の耳に入れたのは何者か」


 不穏な言い方だった。ここは莉央が口を噤むしかない。ネルからそれらしいことを聞きはしたが確定事項として話されたことではないのだ。


「いいえ、誰かに聞いたわけではありません。ただ、この国の人間ではない私たちを無償で保護してくださる理由を知りたいのです」


「言っただろう。インタージャーは神話の代から伝わる繁国の徒。この国をより繁栄させるために神から与えられた我が国の宝だ。それを保護することに理由が必要だとは思えぬ」


 あっさりと切り捨てられ及び腰になる莉央だったがなんとか心を奮い立たせる。このやりとりで自身だけではなく葵と晃流の行く末も決まるのだ。


「助けてくださったことはとても感謝しています。今こうしてお城に置いてくださっていろいろ勉強させていただけていることも。でも私が本当にインタージャーかどうかは力を使えない今の時点では分かりませんよね。だからこの先王子様の望むように出来るかどうかもわかりません」


「私が打算のみで君を助けたとでも? インタージャーではなければ捨て置くとでも思っているのか」


 今の今、国の繁栄のためだという内容を口にしたにも関わらず目の前の男は白々しく言い放つ。ただでさえ緊張しているのに、駆け引きめいたやりとりを求められるのはうんざりだった。だが応じないわけにはいかない。


「そうではありません。ただ、違っていたとしたら、今王子様から頂いているご厚意に何もお返しできないことが私には心苦しいのです」


「何が言いたい」


「インタージャーであってもなくても頂いたご恩はお返しします。けれども私が何を求められていて、何をすべきなのかが分からなければどうしようもないのです」


 エルヴィラはふうんと小さな声を上げ、莉央をまじまじと見つめた。もっとも目元は見えないので見つめているように見えたという方が正しい。


「私にとって君は異性だ。それだけでも十分ではないのか」


 露骨な言い方に莉央はため息を吐きかけ、しかし寸でのところで飲み込んだ。先ほどシイナに窘められたばかりだ。


「私は王子様へのご恩に、人としてお返しをしたいのです。お話を聞いている限り、インタージャーは必ずしも女性である必要はないようです。だったら、もし私がインタージャーだったとしても、異性としてお仕えする必要はないはずです」


 常に相手に合わせることで難を乗り切ることを学んできた莉央にとって、ここまで言うことは並大抵のことではなかった。言ってしまっていいのかどうか悩みつつ吐き出していた言葉にどんな反応がくるのかも怖くてたまらない。だが、譲れないことははっきりさせておかなくてはならない。流して済ませても大事にはならない元の世界の元の生活とは違うのだ。


 頼れる相手を見極めきれないでいる今、無条件で助けてもらえるとは考えない方がいい。たとえそれが、この世界で一番最初に知り合ったネルとヤンナであっても。


「ああ、そうだ。私に必要なのはインタージャー。それが男でも女でも構わない。だが年頃の女であれば好都合ではあった。立場のない男を側に置きあらぬ噂を立てられるのは避けたいが、娘の一人くらい侍らせていても容認される立場にある。君を手元に置くことはたやすい」


「もし、私がインタージャーでなかったら」


「それはない。君がバロックであることは言葉を理解していることで証明された。そして普通のバロックならば労せず使えるようになる力が未だに使えないことで、インタージャーであることも証明しているのだ」


「よく分かりません」


「インタージャーはすべての力を統べる者。ただ一つの力に特化しているバロックとは違う。バロックが力を使うのに複雑なことは何もない。一つの方法を知ればそれが全てだからな。だがインタージャーはそうはいかない。君の体は今、慣れない環境の中で幾通りもの力の発現方法を探り出している状態なのだ」


 理屈を聞けば納得出来なくもなかった。


「インタージャーに何を求めていらっしゃるのですか。ただ、側にいるだけで国が繁栄するとは思えません。その力が必要な何かをしなければならないのではないですか」


「体面上のものだ。一国の王族に招かれる者が何も出来ないのでは誰も納得しないだろう。ちょうど良いことに分かりやすい力を持つのだからそれを利用しない手はない」


 これにも頷けた。けれどもまだ莉央の中に払拭しきれないものがある。


「では私は、その力を皆に見せたらそのままこの国でただ暮らせばいいということなのですか」


「ああ、君は私の元で生きていくだけで良い」


 やはり納得がいかなかった。単に象徴の立場として必要だというのならば王子の側に仕えなくてもいいはずだ。城内に自室を与え、インタージャーを客人として受け入れるだけで十分である。城の人々の反感を買ってまで侍らせるのは得策とは思えない。


 王子の代になってから制定されたバロックの保護に関する法。ネルの言葉が蘇る。


 ーー王子はずっとインタージャーを捜していた。


「それまで蔑ろにされていたバロックを保護の対象にするには、乗り越えなければならない壁も多かったはずです。そうまでして手に入れようとしたインタージャーをただ置いておくだけだなんて。本当に目的はそれだけなんですか」


「思ったより馬鹿ではないようだな」


 それまでは淡々と、あるいは少しの笑みを浮かべていたエルヴィラが初めて不快そうに口元を上げた。


「面倒だ」


 その一言で急に不安になる。王子の機嫌を損ねることは即自分たちの進退にかかわるのだ。


「あの」


「口を閉じろ」


 のらりくらりと交わしていた会話を遮断した王子の目は相変わらず見えないままだったが、その雰囲気が急に変わったことを莉央は感じた。


「退屈しのぎにつき合おうかとも思ったが、無駄な手間は省きたいところだ。インタージャーが現れるのをどれだけ待ったと思っている。君はただ私に従えば良い」


 その瞬間王子を取り巻く空気が変わった。そこだけ重力が増したかのように威圧感を含み莉央を取り巻く。


 エルヴィラが立ち上がり、つられるように莉央も立った。何度か聞いた、会話の時とは少し違う伸びやかな声で言葉が綴られていく。それはこの世界の言葉を理解できるようになった莉央にもまだ未知のものだった。合間に「ソネザキリオ」と自分が名乗った仮の名が呼ばれたのに気づいた。


 刹那、突然体の中を何かが駆け抜けていくような衝撃があった。


 この部屋にくる前にシイナがしっかりと結い直してくれた髪が煽られたように乱れる。付けていた髪飾りは部屋の隅まで乾いた音を立てながら滑っていき、羽織っていた紗が何カ所も引っかいたようにひきつれた。考えもしなかった出来事に莉央の息が乱れる。しかしその身は無傷で痛みもなかった。


「偽名か」


 先ほどとは全く違う印象を与える冷たい気を纏う男が莉央を見下ろしていた。


「小賢しい知恵をつけたのはあの女か」


 その身を切るような空気に、ネルの名は決して出してはいけないことを悟り唾を飲み込む。


「私の世界では知らない人相手に本当の名は教えません」


「嘘をつくな」


「本当です」


「まあ良い」


 莉央がそれ以上を話す気がないのが分かったのか、エルヴィラは態度を軟化させた。乱れた格好の莉央に構わず再びソファに体を沈める。


「もう何者よりか私が他の誰も使えない魔化不思議な力を持つことを聞いたのであろう。私は名を奪う。名を奪うことによりその心を操る。もっとも今は完全にとはいかないが。しかし行動を制限するくらいのことは可能だ」


 莉央の瞳に走った怯えの色をエルヴィラは悟ったようだった。


「コーネリア・ルイトカか」


 今度こそ完全に読みとったのだろう。満足そうに頷いたエルヴィラに反して莉央は体温が落ちていくような感覚にとらわれていた。自分のせいでネルに及ぶ余波を恐れる。何かを言って後悔をすることがあっても、何かを言わず後悔をしたことはない。どこかで耳にした、そんな言葉が頭をよぎる。


「そう怯えるな。今君が怯えるべきなのはルイトカについてではなく自身の処遇についてだろう」


 息を飲んだ莉央にエルヴィラはおかしそうに笑った。先ほどまでこれほど露骨に表情を表さなかったのに、ここにきて声まで立てて笑う目の前の男の悪趣味な嗜好に絶望にも似た気持ちが沸き上がる。しかしそこにあらがうことが出来るわけでもない。


 そうして見つめるだけの莉央をエルヴィラは手招きする。当然莉央の足が動くことはなかった。


「用心深いことだ。だが、君を支配する方法はまだある。確か連れのものがいたはずだな」


 莉央の中に最悪の想像が浮かぶ。それを必死に打ち消そうとするが、一度浮かんだものを無にかえすことは難しい。


「思っていたより知恵が回るようだし、私がどうしようとしているのか心当たるものがあったのだろうな。もう一度だけ、機会を与えなくもないぞ?」


 今度はあらがうことをしなかった。血の気が引き、震え出す膝を必死に制し招かれるままエルヴィラの横に立つ。


「小賢しさは面倒だが利もある。皆まで言う手間が省けるからな」


 莉央の手を取り立ち上がったエルヴィラは、その手を引いて部屋の奥にある扉へと誘った。先ほど莉央が居間か寝室だろうと見当をつけたその片方の扉である。


「品行方正なはずの王子の元を訪れた娘が、こんなあられもない姿で退室したとあっては城の者が驚くだろう。その自室で何が行われようとも相手がさほど好印象のないバロックの娘であれば特に関心もなかろうが、国を治めるものとしての節度には口うるさいからな」


 通された先は寝室だった。初めて目にする、想像もしたことがないような大きいベッドが部屋の中央に置かれている、それだけの部屋。見ればその上に薄い寝間着のような衣装が数点並べられていた。


 自分が何を求められているのか、何をされようとしているのか。分からないこと。それが不安に拍車をかける。


「ヒカルという者は隣国にあるようだからすぐには手を出せぬが、アオイは私の手中だ。元々捨て置くつもりではあったが、こうなれば生かして手元に置いたのは正解だった」


「捨て置くって……」


「私に取って利のない者を飼う必要はなかろう。必要なのは君だけだった。彼らには災難であったな。君を呼んだときに、君に触れていたのだろう? そうでなければ一緒に来ることはないはずだった」


 ーー莉央!


 薄れかけた意識を留めようとするかのように呼ばれた名、そして掴まれた腕、掠った指。


「君のせいで、彼らは巻き込まれた」


「私の、せいで」


「ああ、君のせいだ。望まぬ世界に落とされ、命を落とすやもしれぬ環境で生きねばならぬ苦労は自ら望むものではない。不幸な出来事だな」


「私の、」


「だが私には手だてがある。力がある。彼らを生かすも殺すも私の一存だ。彼らのために君がどうしたら良いのかはもう分かるな?」


 この傲慢な王子の機嫌を取り、意に添わぬことも言いなりに。そういうことなのだろう。そうでなければ、葵の命はない。


「さあ、その装束を脱げ。手が震えて出来ないと言うのであれば手伝っても構わないが、まさか私の手を煩わせようとは思うまいな」


 その言葉に返事はせず、莉央は青ざめたまま羽織る紗にゆっくりと手をかけた。



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