第14話 永安通り
泰清路と西門を一直線で繋いだ道を
特別商業区域として国に認定されたこの往来は食料品や日常品はもちろんのこと、国外から輸入された珍しい品も店先に並ぶため、東市に住む高位高官や貴族もお忍びでよく訪れる。そのため西市の中で最も活気に溢れていた。
「ここが永安通りですか」
玉鈴は右上に『西市見取図』と書かれた紙から視線を持ち上げると思いっきり顔を歪めた。
左右にずらりと軒を並べる建物は、その一階部分が商店として改装されており、食品店や薬店、書店、酒店など様々な店が展開されていた。その各々の店に買い物に訪れた人々や冷やかしの人々が集まり、人の波でごった返していた。人に酔いやすい玉鈴を心配した淼から前もって「多いですよ」と聞いていたが予想以上だ。
また匂いもキツい。嗅ぐだけで胃が重くなるほどこってりとした油の匂いに鼻の奥がつんとする香辛料の匂い。そこに甘い白粉の匂いや多種多様な香の匂いも混ざり合い、不快な異臭となり玉鈴の鼻を突く。
それに加え喧騒に包まれた空間は耳も痛い。客を呼び込む売り子達の活気を帯びた声に、酔っ払い同士の怒鳴り声。残飯を貰おうと集まる犬猫の声も聞こえる。例えがたい不協和音だ。
後宮とは正反対な人と匂いと音の洪水に玉鈴が目眩を覚えた時、くんと袖を引っ張られた。
「あれが食べたい」
振り返れば明鳳が袖を掴み、玉鈴を見上げていた。混じり合う異臭が気になるのか空いた指先でしきりに鼻下を擦っている。
「あれ、ですか?」
問えば明鳳は一つの店を指差した。その店は他とは違い幼い子供が多く集まっていた。目を凝らすと子供達の手にはいくつもの真っ赤な球体を棒を刺した、見たこともない商品が握られている。光沢を放っているので飾り物のように見えるが「食べたい」というからには食べ物なのだろう。
「サンザシ飴。美味い」
短く簡潔に答え、ん、と右手を差し出した。
なぜ、自分に手のひらを見せるのか意味がわからず、玉鈴は目を丸くさせる。
「えっと……」
首を傾げると隣に控えていた淼が巾着の中から金銭を二枚取り出し、明鳳の手のひらにそっと置いた。
「こちらをどうぞ」
「ああ。少し待っていろ」
金銭をぎゅっと握りしめた明鳳は満面の笑みを浮かべると店に向かって早足で歩き始めた。もうすぐ十五の誕生日を迎えるというのに店先にたむろう幼子のように無邪気だ。永安通りを訪れたのは仕事ではなく、観光の一種とでも思っているのは容易に想像がつく。
「亜王様って本当に子供っぽいね」
耳元で淼が小さく囁いた。玉鈴が視線を向けると涼しげな目元に驚愕の色を乗せて、明鳳の背を見つめている。
——そういえば。
淼は明鳳とあまり接する機会はなかったな、と昔を思い出す。高舜と木蘭が赤子だった明鳳を連れてきた時も三兄妹は遠目から確認するだけで近付こうともしなかった。特に淼は幼い子供が苦手なのか明鳳が大きくなり人見知りが発動し、蒼鳴宮に行くのを嫌がった時はひどく安堵していた。
そして、大人になり玉鈴の元に残るのを選んだ二人と比べ、淼は明鳳と接する時間は零に等しい。そのため「唯我独尊の我が儘小僧」という印象しかなかったのだろう。
「高舜様と木蘭様に似ているでしょう?」
「木蘭様にはそっくりだね」
「高舜様にも似ていますよ」
「そうかなぁ。見た目も中身も木蘭様の生き写しに見えるけど」
尭と同じ意見である。さすが双子だ、と変なことで血の繋がりを感じつつ玉鈴は手元の見取図に視線を落とす。
「高舜様のようになりたいようです。彼のような立派な亜王に」
「高舜様? 目標は大きいね」
「大きくても叶えることはできますよ」
強い声で玉鈴は「絶対に」と付け加え、見取図から視線をあげて並ぶ商店を見比べる。直後、小さく唸り、また見取図を睨みつけた。
「おかしいですね」
こてん、と首を傾げる。朱家の靴屋はこのあたりにあると聞いているし、見取図にもそう記されているのに該当の店らしきものが見当たらない。
周囲を見回しては見取図を見て、見取図を見ては周囲を見回していると淼が不思議そうに覗き込んできた。
「兄さん、本当にここらへん?」
「多分、恐らく」
「見せて」
「ここに行こうと思っているんですけど見当たらないんですよ。この地図だとあの辺にあるはずなのに」
あの辺、と言い指さした一角は酒店があり、店先にはほろ酔い姿の若者や泥酔し覚束ない足取りの老人がたむろっていた。どう見ても靴を取り扱っている店には見えない。
「これ、逆だよ」
「……どうりで見当たらない訳です」
「兄さんは外に出ないから仕方ないよ。靴屋まで俺が案内するから
「ここから遠い場所ですか?」
「んと、遠くもないし近くもないかな。大体一刻歩けばつくと思う」
「なら向かう前に一つ確認したいことがあるので地図をください」
「土産とか?」
「それはまた後で。大まかな水場を把握しておきたいのです」
玉鈴は見取図を見て、気難しい表情で黙り込んだ。
——全部を確認するのは無理ですね。
永安通り付近を流れる水路と井戸の数。それに加えて水を扱う店の数も考えるとざっと百は超えている。夕暮れまでの短い時間でこれだけの数を全て確認するのは不可能だ。
靴屋の周りなど要所だけを確認して回ろうと考えていた時、肩を叩かれた。
また明鳳が何かを欲して叩いたのか、と玉鈴が振り向くと淼が冷や汗をかきながら突っ立っていた。
「……あのさ、ちょっといい?」
「ええ、いいですよ」
訴えかける淼の表情は酷く暗い。体調が悪かったのかと心配していると淼はぐっと奥歯を噛み締めた。
「まず先に謝っておくね。ごめんなさい」
「どうしました? 急に」
深刻に話し始めるので玉鈴も釣られて表情を暗くした。
「亜王様が」
「亜王様が?」
「どこにもいない」
「……どこにも?」
「どこにも」
くしゃり、手に持つ見取図が潰れた。
「亜王様がどこにもいない、ですって?」
端正な美貌を怒りに染める主人の姿を見て、淼は無言で何度も頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。