第7話 華明凛


 房室じしつに戻ると卓の上に紙でできた小さな山がそびえ立っていた。入浴を終えたばかりの玉鈴は垂れ髪から水が落ちないように首の後ろで素早く束ねると一番上の紙を手に取る。そこには小さな文字で「頼まれていた仕事が終わりました。資料は返却済みです」と綴られていた。見たことがない筆跡に玉鈴は首を傾げた。尭も小さな文字を書くがこのように丸みを帯びた文字ではない。豹嘉の書く文字は大きく豪快で自信にあふれている。ならば消去法で考えてこの字は、


「翠嵐の字でしょうか」


 任せていた仕事は三日ほどかかると考えていたがもう終わったらしい。優秀な二人には後でなにか褒美を用意しようと心に誓い、玉鈴は椅子に腰掛け、紙の束を読み始めた。




 ***




 王都、華州かしゅう条坊じょうぼう都市だ。中央北端には紅焰城こうえんじょうが居を構え、そこから南に泰清路たいせいろという大通りが走っている。泰清路を挟んだ右側に貴族や官位を授けられた者が居を構える東区。左側に職人や庶民が居を構える西区に分かれていた。

 毒殺された華宝林は西市生まれ。本名はしゅ明凛。生家は先祖代々、西市でくつ職人を生業なりわいとしていた。朱家は曽祖父の代から娘が生まれたら入宮させることを目標にしていたらしく、俸禄ほうろくは全て貯蓄に回す倹約家として近所では有名だったようだ。

 待望の娘である明凛が生まれてからはお妃教育として二胡にこや演舞といった習い事を学ばせ、貧相な格好では亜王の目に留まらないと上質な衣を与えた。今まで我慢を重ねた反動からか明凛の両親は加減が分からなかったようで娘のためにと散財をして、娘が十を迎えた年についに破産する。

 そして、入宮計画は白紙になったと思われたが顧客である貴族の華氏が明凛の器量の良さ、気立ての良さを気に入り、義理の娘として迎え入れたいと申し出たことで状況は一変した。貴族の娘として姓を変えた明凛はとんとん拍子に入宮が決まり、末席ではあるが宝林の位を与えられた。

 続いて玉鈴は親族の欄に目を走らせた。まずは朱家の方である。男系家族というのか三頭親に至るまで男ばかり生まれており、明凛は六十年ぶりに生誕した女児だった。両親は今も健在しているらしく西市の一角に店を構えていると記されている。明凛との仲も悪くはなく、時折、書簡を交わしていたようだ。

 続いて華氏を見た。現在当主の席に腰を下ろしている隆基りゅうきは御年五十二才。財務関係を担う戸部こぶに所属している。位は高くも低くもない、いわゆる中流貴族といったところだろう。四年前に病没し、陵墓りょうぼに埋葬されている奥方との間に息子が一人。息子の名は泰基たいきという。父と同じ戸部所属だが交易部門のため、国外にいるらしい。明凛との仲は至って良好で書簡のやり取りは欠かさず行っていると記されている。


「やはり、違いました」


 両家の親族の生存の有無、死没場所を指でなぞり、がいないことに玉鈴は悲しげに睫毛を伏せた。

 明凛は似ていた。母として育ててくれた女性に。清廉な美貌もそうだが時折見せる仕草があまりにも彼女と重なったので血縁関係ではないかと疑ったが資料を見る限り、それはないと確信を持って言える。


 ——高舜様の言っていたことは本当でした。やはり、彼はいつも正しい。


 玉鈴が柳貴妃として召し上げられたその日、高舜は「特定の妃嬪や官を贔屓ひいきするな」と何度も繰り返し言い聞かせてきた。亜国内において柳貴妃は『亜国三大壊乱』を鎮めたと名を馳せていたため、幼い妃に取り入ろうとする者やその地位を揺るがそうとする者によって、玉鈴に危害が及ばないように危惧しての言葉だ。

 玉鈴自身、自分の立場を理解し、友人の頼みだから従っていた。けれど一人、華明凛だけはそれとなく気にかけていた。直接話しをしたことはないがいつも影ながら見守っていた。動物の死骸を放置した犯人が明凛であると知った時も怒りや悲しみより、明鳳からかくまうことができて安堵した。明凛にを重ね、今度こそ幸せになって欲しかった。

 しかし、今になって思えば高舜のいう通り、贔屓しなければよかった。そうすれば彼女は死なずにすんだ。


 ——僕が邪魔だった?


 ふと、そんな考えが巡る。蠱毒を操る犯人の目的は自分の廃妃なのではないだろうか。罪のない妃嬪を殺害し、その罪を自分に着せれば廃妃はまぬがれない。


 ——そんなに僕が憎いのでしょうか……。


 追放された柳家の末裔が今、どれだけ生き残っているのか分からないがどんな目に遭っているかは簡単に想像につく。黒髪黒目が多い亜国内において龍の身体的特徴はとても目立つ。蛇男と蔑まれた自分がそうだったように、きっと彼らも苦しんでいるに違いない。

 そんな彼らからして見れば龍の子として担ぎ上げられ、後宮で悠々自適に贅沢三昧の生活を送る自分は嫌悪の対象に十分なりえるだろう。


 ——けど、それは憶測です。憶測で決めつけるのはよくありません。


「……一体、何が目的なんですかね」


 重々しいため息を吐きながら玉鈴は卓に突っ伏した。

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