第9話 着せ替え人形
「お前は心配ではないのか?!」
「彼とは長い付き合いですが彼の
義遜は話ながら距離をつめると明鳳の腕をがっしりと掴む。
「ほうら、亜王様。お仕事が待っていますよ」
「俺は眠い!」
「夜更かししたのはご自分のせいではないですか」
「あれを殺させないためだ!」
「彼は放っておいても問題ありません」
「親友なのだろう?!」
心配ではないのか!! と明鳳は叫んだ。薄情すぎるこの男に対して「実はこいつが犯人なのでは」という疑心を抱く。
義遜は笑みを消し去り、真面目な表情で明鳳を見下ろした。感情が読めない黒い眼に、不信感を募らせた明鳳の顔が映り込む。
「親友だからこそ、彼が大丈夫だと分かっているのです」
淡々と、けれど芯がある強い言葉で義遜は言った。
「彼は大丈夫です」
瞳に映る自分の顔が驚きに崩れたのが見えた。
「……わかった」
どうやら二人の間には自分が知らない強い絆が結ばれているらしい。その絆を読み取れなかった自分を内心、恥じる。
明鳳が静かに反省していると腕を握る義遜の手は力を増した。何事だろうかと視線をあげると義遜が能面を脱ぎ捨て、いつもの笑みを浮かべているのが視界に入る。
「さあ、行きましょう」
軽やかに言うと義遜は力任せに明鳳を引っ張って連行する。
明鳳が「やめろ」や「離せ」と繰り返し、抵抗を試みるが叶わない。抵抗をすればするほど、腕を掴む力は強くなりミシッと聞いてはいけない音が聞こえたので明鳳はすぐさま抵抗するのをやめた。
***
玉鈴は蝶の意匠が施された格子窓から覗く、真っ赤な薔薇を見つめて一つため息をついた。今、自分はひどく疲れ切った表情をしているという自覚があった。
それは、目の前で繰り広げられる光景が原因である。
「まあ、豹嘉ったら可愛いわぁ」
「……これ、胸が開すぎでは?」
「これが今の
頬を桃色に染めた豹嘉は恥じらうように胸元に手を置いた。胸の谷間を強調させるように裁断された
「ねえ、玉鈴?」
声をかけられて玉鈴はゆっくりと視線を二人に向けた。
木蘭はにやけた笑みを浮かべて豹嘉の背を押した。
「黄色も似合うでしょう?」
黄色の襦裙に身を包んだ豹嘉は恥ずかしなりながらも「どうですか?」と小声で囁いた。
玉鈴は豹嘉の全身を見つめ、小さく笑みを返す。
「とても可愛らしいですよ。ですが、もう少し胸元を隠した方がいいのでは?」
可愛い侍女は黄色も似合う。けれど、胸元は開きすぎだと思った。
玉鈴の指摘に豹嘉は顔を真っ赤にして袖で胸元を覆う。
「もう、なんなの? お前は」
木蘭は腰に手を当てながら白けた眼差しを玉鈴に送る。
「可愛いだけでいいのよ。流行が分からない男はモテないわ」
性別を偽り、妃として後宮に住んでいる時点でモテとは無縁な人生だし、元より異性に好かれることを望んでいない玉鈴は乾いた笑い声を返した。
「あの、そろそろ」
この着せ替えもやめませんか? と声をかける前に木蘭は豹嘉を連れて別室へと移動する。
誰もいなくなった房室に一人残された玉鈴はまたため息をつく。
木蘭は暇があれば溺愛している豹嘉に様々な衣装を着せて、玉鈴の意見を聞いては脱がし、また別の衣装を着せ、意見を聞くことを好んでいた。起床かれこれ昼過ぎまで続いている。赤色から始まり、紫、緑、白と続き、今の黄色の襦裙で九着目だ。
豹嘉も年頃の少女らしく豪奢な衣装を着れるのは楽しい、恥ずかしがりながらもどこか嬉しそうにしていた。
だからこそ、玉鈴は強く出られない。
それを知っているからこそ、木蘭は楽しんでいる。
「……眠たい」
庭で寝たのが間違えだったと玉鈴は後悔した。榻で寝ようかとも考えたが、さすがに豹嘉と同じ室内で寝るのは気が引けたので庭園を散歩した。そのついでに丁度いい根の張り方をしている大木を見つけたので、根の間に体を預けて眠っていたのだ。固く凸凹とした木を褥にしていたせいか全身が強張り、痛くて仕方がなかった。寝ては痛みで起きてを繰り返していると気づけば朝日が昇っていた。なのでとてつもなく眠い。
次の着せ替えで最後にしてもらおうと考えていた時、
「玉鈴、次はどうかしら?」
木蘭が豹嘉の手を引いて入室する。
「どうでしょうか?」
豹嘉は玉鈴に見えるようにその場でくるりと回転した。ふわり、と群青色の裾が風を孕み膨らんだ。
「これは刺繍ですか?」
玉鈴はまじまじと豹嘉が身に纏う嬬裙を見つめた。
「染めてあるの」
その言葉に「ああ、言われてみれば」と納得する。
「こんな染め方もあるんですね」
「面白いの作ってって頼んだの」
「尚服の方々は本当に優秀ですね」
彼女の我が儘を叶えるなんてお疲れ様です、と玉鈴は心の中で手を合わせた。木蘭は確かに過激だが「無理です」と断れば納得する柔軟さも持ち合わせいる。けれど、強く凛々しい彼女を慕う者は多く、その願いを叶えたいと全力を尽くす者も多かった。
きっと今頃、尚服の宮女達は持つ技術を全て出し切って疲れているだろうと察する。先日まで愛着していた喪衣も無理言って仕立てて貰っていたので後でなにか差し入れでも用意しようと玉鈴は心に決めた。
「あの子たちはいいのよ。それより豹嘉に似合うでしょう?」
「ええ、とても。全て似合っています。だから——」
「まだまだたくさんあるわよ」
木蘭は玉鈴の言葉を遮る。表情からわざとだと察した玉鈴は眉根を寄せた。
「木蘭様、そろそ——」
「いっぱい、着て欲しいものを用意したの」
木蘭は唇を持ち上げた。
その笑みに玉鈴は悟る。まだ、この着せ替えに付き合わされる、と。
「あの、玉鈴様が今何かいいたそうに……」
「気のせいよ。私には聞こえなかったわ」
木蘭は豹嘉の手を引くといそいそと房室から出て行った。
二人を見送ったのち玉鈴は蒼鳴宮が恋しくて深くため息をついた。
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