昨日の薬指 8
一人でやっても一時間は掛からない仕事だったが、花子先輩の手伝いもあって、30分で終わった。
良かったらどうぞと、奥さんが淹れてくれた緑茶をリビングで椅子に座りながら啜る。
うん、美味い。お茶の味の違いなんて詳しくは分からないが、後味にほんのり残る甘味。高いお茶だと思う。
それは良いとして、何で花子先輩そんなに息子さんの隣に座ってるだけで嬉しそうなの?
さり気なくボディタッチしてるし!なんかいやらしい!
そして気がついて欲しい!廊下に面した扉の向こうからこっちを覗く娘さんかな?小学生位の女の子が、ボディタッチする度に花子先輩の事を睨め付けてる事に!
「私たち姉妹はよく真逆だと言われました。活動的な私と物静かな妹。」
ぽつぽつ語るあかりの顔を、レディは真剣にじっと見つめる。
「妹は他人はおろか、家族である両親や私にも殆ど話をしない程に内気な性格でした。」
言葉をひとつずつ区切りながらゆっくりと、そしてコーヒーを一口。そんなルーティンで。
時々つっかえたり涙声になるのは、ここを訪ねて来た決心と未だに癒えない妹を亡くした悲しみが、あかりの中で天秤の重りが、右に左に行ったり来たりを繰り返し絶妙なバランスを保っているようだ。
「妹は本が好きだったんです。本当にいつも読んでました。」
笑みの中にひと匙の呆れが混じっている。少しずつ心に余裕が生まれてきたようだ。
「司書になるのは必然でした。妹にとって天職だったと思います。本当に家族全員でお祝いしました。あんなに喜んでいる顔を見たのは初めてでした。」
あかりは大きく息を吸い込んだ。
話の順序を組んで、ひとつの区切りをつけたようだ。
「あの日はこの辺りでは珍しく、雪が積もる程に寒い日でした。」
表情も口調もがらりと変わった。黒い思い出が詰まった箱を、バールで乱暴にこじ開けたような。
苦痛を伴うのはレディも理解している。あの公園での出来事を未だに封印しているから。解こうものなら、全身を引き裂かれて殺された方がマシだ。
「私、風邪をひいて会社を休んだんです。特別に寒い日だったから、妹に私がいつも通勤で着ていた白色のタートルネックのセーターを貸したんです。」
そのセーターならレディもよく知っている。いつもあられが着ているからだ。
「暖かいって笑ってくれました。お姉ちゃん、ありがとうって。」
だから結末も知っている。
「その日の夜の事です。妹が仕事先の図書館から帰って来なかった。帰りが遅くなるのはいつもの事でした。誰よりも遅くまで仕事をしていたのです。」
レディの中で情景が浮かんできた。夏と違って冬の陽は短い。
閉館時間の19時では、街灯でも無ければ全くの闇になる。
「言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、私がストーカーされているなんて全く知らなかったんです。」
あられは自身が死んだ時について話そうとしない。
「私と妹を間違えたんです。ストーカーは私の家は知っていましたが、勤め先までは知らなかった。ネームプレートを首から提げていましたが、暗くてみえなかったと。いつも着ていたセーターで私と勘違いして妹を‥。」
レディは言霊を一旦そこで止めさせた。
背中を切りつけられたのはよく知っている。無理にあかりが言う必要が無い。
「3年間でした‥‥。妹が司書として務めたのは。毎日が楽しそうで、仕事の愚痴なんて聞いた事もありませんでした‥。」
語尾に力が無く、顔色も悪い。
「無理に話さなんでもかまへん。亡くなった妹さんと話たいのは良く分かりました。何とかしますさかい。」
あかりの顔に血の気が戻った。全快には程遠いが、マシにはなった。
「その、これを見て欲しいんです。」
あかりは横に置いた黒い手提げバックから、透明のクリアファイルを取り出した。
インターネットのサイトがコピーされた紙が挟まっていた。
おどろおどろしいイラストを背景にして、一番上に大きく「図書館を彷徨う女の幽霊」と、書かれていた。
「妹が務めていた図書館について調べていたら出てきたんです。もし本当に彷徨ってると思うと、罪悪感で押し潰されそうなんです。許してくれるなんて思ってません!心から謝りたい‥。」
あかりの泣き声と風が窓ガラスを叩く音だけが響いた。
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