「手にした(かもしれない)もの」 2015年3月26日

子どもを授かった代わりに失ったものがある。

それを認めなければ進めない。以前にも書いた。

一方で手に入れたもの、子どもがいなかったら手に入らなかったかもしれない大事な事は何か。


今回、祖父母と1週間暮らし感じたことがある。

彼らにとっては、孫はただただ可愛いい対象で、親にとって子どもは可愛いだけではなく、様々な責任が伴う対象である。

まあよく言われている通りなんだけど、特に感じたのは、自分の子どもの痛みが自分の痛みのように感じる。

きっと、親子は肉体的・精神的な結びつき、繋がりがとても強く、まさに自分のことのように感じるのだろうな。


そう言う意味で、子育てを通して人間として成長できると言われているのかもしれない。そしてそれが、手に入れたのの一つかもしれない。


具体的にはなんなのか。

忍耐力?様々な再発見?

今回、自分の中でこれかなと思ったのは、子どもを育てることで、弱い立場の人への共感力が身に付いたのではないかということ。

ハルに食物アレルギーやアトピーがあるからか、すごくハルの身の回りのことに気を遣って生活している実感がある。


もし僕に子どもがいなかったら、ハルがいなかったら、食物アレルギーやアトピーをこんなに意識することはなかったと思う。

今では自分のことのように心配している。


自分ではない、一人の人間である我が子を、自分のように感じて生きていくことで、2倍の人生を生きられるのかもしれない。

これまでよりも、違った立場の人間が存在していることを肌で感じることができているのかもしれない。

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