第519話 F級の僕は、エキセントリックな人物との会話を試みる


6月20日 土曜日13



床を埋め尽くすゴミの山に、黒い棒を取り落としたテオが、自分の後頭部を押さえてうずくまった。


『人殺し!』

『人殺しって、テオ、それ、彼に重粒子線銃を向けたあなた自身の自己紹介になっているわよ?』


どうやら何か怪しい武器を僕に向けて来たテオの後頭部を、ティーナさんが思い切りはたいたようだ。

僕は若干顔が引きつるのを自覚しながら、ティーナさんに声を掛けた。


「ごめん。そろそろ状況というか、この人を、ちゃんと紹介してもらっても良いかな?」


ティーナさんが、肩をすくめる動作をした。


「残念。Theoの社会復帰への道は、まだまだ遠そうね」


そう話しながら、ティーナさんはゴミの山の中から、先程彼女が床に投げた黒い小型ラジオのような装置――双方向音声通訳装置――と、テオが取り落とした黒い棒――重粒子線銃?――を拾い上げた。

そして双方向音声通訳装置の電源を切ってから、改めて話し始めた。


「彼の名前はTheoテオ Santosサントス。こう見えても量子力学関連の分野で複数の博士号を持っている研究者よ」


僕は、後頭部を押さえたまま、まだ床の上のゴミの山にうずくまってブツブツ何かを呟いているテオに視線を向けた。

人は見かけによらないとは言うけれど……


「それで、この人が、ティーナの話していた、僕に紹介したい人物って事で合っているんだよね?」


ティーナさんがうなずいた。


「彼は元々、私と同じ、超弦理論の世界的権威、Williamウィリアム Jamesジェームズ博士の研究室のmemberの一人で、私の先輩にあたる人物なの」


テオはブラジル出身の25歳。

幼き頃より才気煥発さいきかんぱつ、神童とうたわれた彼は、飛び級でカリフォルニア工科大学に入学。

その後は、ウィリアム=ジェームズ博士のもと薫陶くんとうを受け、博士号を取得。

以来、博士の片腕として、目覚ましい研究成果を上げ続けてきた。

ちなみに熱心なヴィーガン(※ベジタリアンよりも厳格な菜食主義者)で、白砂糖(※製造過程に、動物由来の骨炭を使用する工程がある)すら敵視している。


しかし順風満帆じゅんぷうまんぱんに思われた彼の人生は、流星雨が全世界に降り注いだあの日を境に一変した。


「Theoはあふれんばかりの才能と同じ位、強い自尊心の持ち主だった。そんな彼が、skillも魔法も全く使用出来ないF級無能者であるという判定結果を突き付けられた時、彼にとっての新しい世界は、その色を全て失ってしまった……」


元来、奇矯な人物変わり者であった彼は、その後その奇行にますます拍車がかかり、やがて精神をんだと見做みなされるようになっていった。

しかしS級であり、ジェームズ博士のお気に入りの研究者でもあるティーナさんの反対によって、大学、そして研究室からの追放だけは免れた。

以来彼は、大学地下のこの一室にこもり、悶々とした日々を送っている、という事になっている。


僕はティーナさんの話に引っ掛かりを覚えた。


「“という事になっている”っていうのは?」


ティーナさんがニヤっと笑った。


「言葉通りよ」


そして床にまだうずくまっているテオに視線を向けながら言葉を続けた。


「周囲の人間全てはだませても、私はほら、ね?」

「つまり、彼と“握手”した?」

「Ding ding ding! Correct!」


日本語で交わされる会話に、いきなり英語が混ざったからだろうか?

テオが、ガバっと顔を上げた。


「Correct!? There is no Correct in this Fucked Up world!」


しかしティーナさんは叫ぶテオをそのままに、僕の耳元に口を近付けささやいた。


「彼は決して狂ってなんかいない。それどころか、いつか必ずこの世界がこんな風に変えられた理由を解き明かし、こんな風に変えた存在をあばき出し、そいつをぶっ飛ばしてやるって固く心に誓っているわ」


僕は何かをわめき続けているテオに視線を向けた。

どう見ても浮浪者で、どう見ても狂人で、しかしそれは、ティーナさんの言葉が正しければ、理不尽なこの世界に対する怒りの発露でもあるわけで……


僕はティーナさんに声を掛けた。


「一応聞いておくけど、テオさんって、口は堅いのかな?」


まあ僕がそう質問するという事は、彼にイスディフイについて説明するつもりになっているから、だけど。

ところがティーナさんは、その質問に答える代わりに、新しい問いを投げかけてきた。


「じゃあ、どうして彼は狂ったふりをしていると思う?」


狂ったふりをしている理由?

彼の口が堅いかどうかと、どう関係が有るのだろうか?


戸惑っていると、それまでずっと静かに僕の胸ポケットに収まっていたオベロンが、小声で会話に参加してきた。


「なるほどのう。あやつは全て自分で解決するつもりという事じゃろ? 自分にはその能力が有り、決して他人の手助けなど得る必要は無い。そう考えておる、という事であろう? じゃからこそ、あやつは全ての秘密を自分で抱え込むために佯狂ようきょう(※狂ったふり)しておる。であれば、あやつが知り得た秘密を他者に漏らす事は有り得ぬ……」


僕はオベロンの顔を、思わず二度見してしまった。

そこには、いつものどこか抜けた雰囲気の自称精霊王としてでは無く、僕が初めて目にする何かに達観した者だけが見せるであろう、複雑な表情が浮かんでいた。


ティーナさんがオベロンに声を掛けた。


「へぇ~、意外にちゃんとそういうのも分かるのね?」

「意外にとは何じゃ! わらわは始原の……はうぁ!?」


オベロンがいつもの口上を始めようとするタイミングで、僕の胸ポケットから、オベロンが引き抜かれた。


「What the hell is this!?」


オベロンを、着ぐるみごと僕の胸ポケットから引き抜いたのは、テオであった。

どうやら話に夢中になっていたスキを突かれたらしい。


ティーナさんが、双方向音声通訳装置を再び床に投げた。

オベロンが身をよじりながら叫び声を上げた。


「ぎゃああああ! 腐る! 身体が腐る! このままでは腐女子になってしまう!」


いや、確かにテオは臭いけど、腐るは言い過ぎだし、そもそも、腐女子ってそういう意味で使わないから。


しかしテオはそれに構わず、口角泡を飛ばす勢いで、僕に詰め寄って来た。


『コレはどうやって手に入れた!? 召喚獣か? いや、違うな。召喚獣じゃない。じゃあなんだ? まさか、あっちから連れて来たのか?』


僕はティーナさんに視線を向けた。

しかし彼女は少し眉を動かしただけ。

どうやら前回のインド人の少女、カマラ第398話の時同様、あくまでも僕主体で、テオと話をさせたいようだ。


仕方ない。

とりあえず僕は、テオの言葉の中の気になる部分に関して質問してみた。


「“あっち”ってどういう意味ですか?」

『どういう意味、だと?』


テオが髭だらけの顔を寄せて来た。

むわっとえたような臭いが鼻を突き、僕は思わず顔を背けてしまった。

しかしテオはそれに構わず、言葉を続けた。


『なんでそんな質問してくる!? お前が、お前こそが一番よく知っているはずだ。そうだろ!?』

「ちょっと落ち着いて下さい」

『俺はいつも落ち着いている。そうだ! 俺ほど冷静にこの世界を観察している者は他には存在しない! そしてお前は! 今日、ティーナが連れて来たお前は! 俺の知りたい事全て知っているはずだ! そうだろ!?』


テオが狂ったふりをしているかどうかはさておき、僕にとっては、やはり物凄くからみづらい人物である事だけは再確認出来た。


「とりあえず落ち着きましょう。まずは……」


僕はテオの手の中でもがいているオベロンを指差した。


「オベロンを放してやって下さい」


テオは意外に素直に手を離した。

自由になったオベロンが、僕の背後へと逃げて来た。

着ぐるみを脱ぎ捨てた彼女は、仕切りに自分の身体の臭いを確認している。

それを横目で見ながら、僕はやおら話し始めた。


「テオさん、あなたの想像通り、僕はあなた方がBrane-1649cと呼ぶ異世界第170話、イスディフイと行き来する能力を持っています……」



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