第422話 意外


6月17日 水曜日36



「そなたが来訪者か?」


そう問いかけてきたダークエルフの女性は、正確に僕の方へ顔を向けてきていた。

ただし、彼女の目元は複雑な幾何学模様が描かれた浅葱あさぎ色の布で覆い隠されているけれど。

それはともかく、発せられた言葉の内容、向けられた顔の角度から見て、“目隠し”状態の彼女が、僕を“視認”しているのは確実と思われた。

緊張で全身が強張こわばるのを感じながらも、どう対処するべきか――例えば返事をする、全力でこの場から逃走する等々――考えていると、こちらを見上げている彼女が再度口を開いた。


「おや? この“色”……なるほど、そなたが“先触さきぶれ”じゃな」


“目隠し”しているはずの彼女が、“色”について言及するのはかなりの違和感だけど、それより“先触さきぶれ”って……?

確か“先触れ”という言葉は、前触まえぶれとか予告とかそんな意味があったはず。

しかし僕は別段、何かを告げるためにここへ来たわけでは無い。

というより、いかなる能動的な動機も持ち合わせていないまま、気付いたらここにいたというのが実情だ。

戸惑とまどっていると、彼女が優しい口調で言葉を続けた。


「心配いたすな。ここにいるのはそなたとわしだけじゃ。降りてきて話をせぬか?」


彼女の言葉通り、見える範囲内に他の人影は見当たらない。

とは言え、元々ここは巨木が林立する森の中。

見通しも悪く、僕の視界の外に他のダークエルフ達がひそんでいても僕には分からない。

少し逡巡しゅんじゅんしたけれど、結局あきらめた僕は地面へと飛び降りた。

数mの高さが有ったけれど、僕自身のステータス値の高さのお陰か、地面に敷き詰められた針葉樹の落葉がクッション代わりになったのか、大した衝撃は感じない。

彼女と2m程の距離で向き合う形になった僕は問い掛けてみた。


「え~と……あなたは?」


彼女が苦笑した。


「この地ではそなたが来訪者じゃ。まずはそなたから“自己紹介”するべきじゃろう」


口調とは裏腹に、若々しく若干おどけた感じの声。

しかし確かに彼女の言う通り、まず“来訪者”側から名乗るべきだ。


「僕は……」


一瞬、どう“自己紹介”するべきか考えたけれど、結局当たり障りが無さそうな選択肢を選ぶことにした。


「……ルーメルの冒険者でタカシという者です」


答えてから、彼女の反応をそっとうかがってみた。

彼女は満足そうに微笑んだ。


「タカシ殿か。わしの名はアルラトゥじゃ。この地に住むダークエルフ達の……おや? いかがいたした?」


彼女が言葉を途中で区切ったのは、恐らく僕の顔色が変わった事に気が付いた――“目隠し”しているのになぜ分かるのか、という疑問はさておき――からであろう。

しかしこの状況下で、“アルラトゥ”という名前を出されて反応するなと言う方が無理な話なわけで。


僕は彼女の様子を改めて観察してみた。

目元が隠されているから断定は出来ないけれど、見た目、雰囲気、そして声、全てが僕の知るアルラトゥとは異なるように感じられる。

まあ、少し落ち着いて考えてみれば、名前かぶりは僕等の世界でもよくある話で、アルラトゥという名前のダークエルフがこの世界で一人だけという方がかえって変な話になるかもしれない。


気を取り直した僕は軽く頭を下げた。


「すみません。偶然、知り合いが同じ名前だったので」

「同じ名前?」


“アルラトゥ”が束の間小首をかしげた後、問い直してきた。


「そなたの知り合いだというアルラトゥとやらもダークエルフか?」


僕はうなずいた。


「はい。実はその……アルラトゥと名乗るダークエルフの女性と知らない森の中で話していたのですが、いつの間にか、この近くのルペルの森で倒れていました。それでその……」

「つまりその後、メルと出会った、というわけじゃな?」

「はい」


相槌あいづちを打ってからハタと気が付いた。

メルと僕が出会った事を知っているこの女性、もしかして……?


「あなたが“舞女みこ様”ですか?」


僕の問い掛けに彼女が微笑みを浮かべたまま言葉を返してきた。


「ほう……メルから既に何か聞いておったか」

舞女みこ様が500年前にダークエルフ達をこの地に導いてくれたとか、この地は霧境けっかいに護られているから人間ヒューマンは……」


……決して入り込めないとか、教えてもらっただけですよ、と言いかけた所で口ごもってしまった。

他ならぬ見た目人間ヒューマンの僕自身が、突破出来ない?はずの霧境けっかいを越えてここに居る。

しかしその事について、なぜか彼女のがわに気にする雰囲気は感じられない。


「事情は大体把握した。ところで、そなたの知り合いだというそのアルラトゥと名乗るダークエルフについて、もう少し詳しく教えてもらえるかな?」


アルラトゥについて……

どこまで話すべきだろう?

しかし僕の今のこの状況、あのアルラトゥが関わっているのはほぼ間違いないはず。

そして今、目の前で言葉を交わす“アルラトゥ”は、なぜか非常に友好的だ。

ここは正直に話して、“アルラトゥ”(=舞女みこ様?)の協力をあおいだ方が良いかもしれない。

彼女について話すのなら、やはり最初の話題は……


解放者リベルタティスってご存知ですか?」


僕の問い掛けに、彼女の口元がわずかにゆがむのが見えた。

しかし彼女は声の調子を変える事無く、言葉を返してきた。


「そういう集団が存在するという話は聞いておる。帝国の支配から逃れたダークエルフ達も多数参加しておるとか」


帝国!

彼女の口から、僕にも馴染なじみのある単語が発せられた事で、僕の気持ちは否応いやおうなく高揚した。


「という事は、ここはネルガル大陸のどこか、という理解で正しいですか?」

「ネルガル大陸、か……霧境けっかいの外に住まう者達は、我等が今いるこの大地の事をそう呼ぶようじゃな」

「良かった……」

「ん? 何が良かったのじゃ?」

「あ、その……き、気にしないで下さい」


馴染なじみのある単語をいくつか聞く事が出来た安心感から、思わず心の中の言葉が漏れてしまった。

理解不能な出来事が立て続けに起こる中、やはり僕の神経はだいぶ参っていたようだ。

幾分いくぶん気が楽になった僕は、話題の軌道修正を試みた。


「それで、アルラトゥというダークエルフは、その解放者リベルタティスの首領らしいんですが……」

「首領?」

「はい。首領というか、指導者というか……」


アルラトゥが、実際、解放者リベルタティス内部でなんと呼ばれているのか知らないけれど、とにかくそういう立場の存在だ、という理解で正しいはず。


解放者リベルタティスの首領が、アルラトゥと名乗るダークエルフの女性……」


目の前の“アルラトゥ”は、そうつぶやくように口にした後、なぜか大きく首をかしげたまま、何かをじっと考え込む素振りを見せた。

彼女の様子に違和感を抱いた僕は、おずおずとたずねてみた。


「何か気になる事でも?」


僕の言葉に彼女はハッとしたように顔を上げた。


「あ、いや……気にするでない。それでその……そなたの知るアルラトゥは解放者リベルタティスを率いて何を成そうとしておるのじゃ?」


何を成す?


僕は5日前、アルラトゥが幻影第305話を使って、ネルガルに滅びを告げて来た時の事を思い出した。

もしかしたら、霧境けっかいに護られたこの地では、あの幻影を見る事は出来なかった、或いはアルラトゥの力を持ってしても、幻影自体を届かせる事が出来なかったのかもしれない。


「確か、ネルガルでの帝国の支配をくつがえし、魔族やダークエルフ達の王国を築こうと……」


僕はあの幻影の内容について簡単に説明した。

途端に“アルラトゥ”の表情が険しくなった。


「なんという……アルラトゥが道を誤るという事か……」

「え?」


彼女の言葉の意味が分からず、思わず聞き返してしまった僕に、彼女が静かに語り出した。


「アルラトゥという名は、ダークエルフにとっては特別な意味を持っておる」

「特別な意味?」


彼女がうなずいた。


「創世神様の力の一滴ひとしずくを分け与えられ、その御業みわざを代行する者に与えられる名前じゃ」


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