第420話 暗雲


6月17日 水曜日34



少女の姿が林立する巨木の向こうに消えた直後、【隠密】のスキルを発動した僕もまた、彼女のあとを追って走り出していた。


彼女自身からは、敵意のたぐいは少しも感じられなかった。

しかしこの地のダークエルフ達は、彼女の言葉通りとすれば、“人間ヒューマンの圧制”――ここがもしネルガルであるなら、種族全体の完全な隷属化――から逃れるために、わざわざ霧境けっかいに護られたこの地に移り住んできたという事になる。

だとすれば彼女の伝え方にもよるだろうけれど、見た目人間ヒューマンな僕が、越えられないはずの霧境けっかいを越え、この地に居ると知った時、彼等がどんな行動に出るかは全く予想がつかない。

少なくともルキドゥスなるダークエルフ達が住む街の近くまで行き、そこで可能な限り状況の推移を見守りたい。

平和的にコトが進みそうならいいけれど、万が一、完全武装したダークエルフの集団が出撃!なんて事態になったら、なんとか彼等を傷付けずに済む――そして本来の目的である、僕自身の霧境結界の向こうへの退去の方法を探る――落としどころを探らないといけなくなる。

そんな思惑おもわくで彼女の“尾行”を始めたのだが……


スキルでも使用しているのであろうか?

視線の先で、少女は飛ぶように木々の間を駆けていた。

彼女の姿を見失わないようにするため、レベル104の僕もまた全力で駆ける必要が有った。

数分後、10m程先を行く彼女が突然立ち止まった。


まさか尾行に気付かれた!?


とっさに近くの巨木の裏側に身を隠した僕は、そっと顔だけのぞかせてみた。

すると少女の背中越しに、行く手をはばむように立ちふさがる数人の人影が見て取れた。

少女を含めて彼等が僕の存在に気付いている雰囲気は感じられない。

しかし距離が有り過ぎて詳細が分からない。

彼等に気付かれないよう、慎重に近付いて行くと、やがて交わされる会話の内容が聞こえてきた。


「メル! お前またお化けと遊んでいたのか?」


巨木の裏側に身を隠しつつ、そっと様子をうかがうと、彼女のすぐ目の前に立つまだあどけなさの残る風貌のダークエルフの少年が、小馬鹿にしたような表情を浮かべているのが見えた。

周囲のダークエルフ達もおしなべて幼く見える。

少なくとも彼等は“大人のダークエルフ”ではなさそうだ。


「お化けじゃないモン」


僕に背中を向けている少女が抗議の声を上げた。


「おいルト! こいつの“オトモダチ”はお化けじゃ無くてゲンカクってやつだよ!」

「ゲンカクかぁ。魔法が使えないメルにはお似合いのオトモダチだな!」


僕には何が面白いのかさっぱり分からなかったけれど、周囲の少年少女達がドッと湧いた。

どうやら僕は期せずして、この少女――恐らくメルという名前?――が、少年少女の集団にいじめられている場面の目撃者にされてしまったようだ。

四方八方、未成熟な悪意を浴びせられ、じっと唇を噛みしめているであろう少女の小さな後姿うしろすがたは、僕の心を激しくかき乱した。

と、ふいに別の大きな声が響いた。


「こらぁ! 悪ガキども!」

「やべっ!」

「逃げろ!」


途端にメルを除く少年少女達は、文字通り蜘蛛の子を散らすように逃げ散って行った。

少し遅れて巨木の向こうから、緑色の軽装鎧に身を固め、背中に弓を背負ったやや大柄な男性が姿を現した。

切れ長の耳に褐色の肌。

狩人或いは街の衛兵みたいな立ち位置のダークエルフであろうか?


気付かれたら少々まずいかも……


緊張しながら様子を見守る中、しかし幸いな事にその男性は僕の存在に気付く様子もなく、メルに声を掛けた。


「メル、また一人でルペルの森に行っていたのか?」


メルは少しの間、バツの悪そうな雰囲気でもじもじした後、はじかれたように顔を上げた。


「あの! 舞女みこ様に急いで聞きたい事が!」

舞女みこ様に?」


男性が怪訝そうな表情で首をかしげた。


「そりゃぁ、メルが会いたいって言えば会って下さるとは思うが……急にどうした?」

霧境けっかいの向こう側に……」


言いかけて、メルが分かり易くアッという感じで、自分の口元を両の手の平で押さえた。

心なしか男性の目が細くなった。


霧境けっかいの向こう側に?」

「あの……その……」

「メル」


男性が身をかがめ、メルと視線の高さを合わせながら優しい口調で問い掛けた。


「まさか霧境けっかいの向こう側に行きたい、なんて言い出している訳じゃ無いだろうな? そりゃあさっきの悪ガキどもみたいにお前の事悪く言うやつもいるけど、俺や舞女みこ様はお前の味方だ。魔法使えないとか、精霊が見えてしまうとか、そんな事位で自暴自棄になっては……」

「違うよ!」


メルが慌てたように男性の声をさえぎった。


「私じゃなくて……」

「メルじゃない?」

「え~と……」


僕に背中を向けてはいるけれど、確実にメルの視線は泳いでいそうだ。


「メル、ルペルの森で何かあったのか? 例えば……」


男性はメルの様子を探るような素振りを見せながら言葉を繋いだ。


「……霧境けっかいの向こう側からやってきた誰かに会った……とか?」


背後から観察する僕にもはっきり分かる位、メルが動揺している。

男性が優しい口調のまま、彼女に問いかけた。


「誰に会ったんだ? もしかして外から逃れてきたダークエルフか? それともまさか……人間ヒューマンではないだろうな?」


メルは答える代わりに、完全にうつむいてしまった。

男性がメルの肩を優しくつかんだ。


「メル、これは俺達全員にとって、とても大事な話だ。誰に会ったんだ? 今もそいつはルペルの森に居るのか?」

「……でも悪い人じゃ無いよ。精霊達もそう言っていたし」

「良い悪いの問題じゃないんだ。とにかく、会った相手がどんな奴だったのかだけでも教えてくれ。ルキドゥスの存在を察知されていなければ、上手く誘導して霧境けっかいの向こうに帰ってもらう事も出来るかもしれない」


メルが顔を上げた。


「ホント?」

「ああ、本当だ。だからまず何があったのかだけでも教えてくれ」


少し逡巡する素振りを見せた後、メルが口を開いた。


「いつもみたいに精霊達とお喋りしようと思ってルペルの森に行ったら……」


少女が、男性の反応を確かめる様な素振りを見せながら言葉を続けた。


「男の人が倒れていたの」

「倒れていた? 怪我けがは?」


メルが首を振った。


「怪我はしていなさそうだったけど、どうやって来たのか覚えていないって」

「どうやって来たのか分からない?」


男性が首を捻った。


「それで、そいつは……人間ヒューマンなのか?」


メルは答える代わりに再びうつむいてしまった。

その様子を目にした男性の表情が、一挙に強張った。

彼は立ち上がると腰から笛のような物を取り出して吹いた。

僕には何の音も聞こえなかったけれど、数秒程で女性のダークエルフが一人、巨木の影から姿を現した。

彼女もまた、最初の男性同様、背中に弓を背負い、緑色の軽装鎧に身を固めていた。


「ドルメス、どうしたの?」

「レイラ、緊急事態だ。人を集めてルペルの森に向かえ。それと霧境けっかいの状況も確認して来るんだ」


レイラと呼ばれた女性の顔に緊張が走った。


「まさか侵入者?」


最初の男性――ドルメスという名前らしい――がうなずいた。


「ああ。メルがルペルの森で倒れている人間ヒューマンを見付けたらしい。帝国の斥候の可能性も有る。ただし、舞女みこ様からの指示があるまでは絶対に手を出すな。あくまで監視にてっするんだ。余計な騒ぎを起こしてルキドゥスの位置を特定されたくない。俺は今からメルを連れて舞女みこ様にお会いして来る」

「分かったわ」


うなずいたレイラが、ドルメスが持っているのとそっくりな笛を腰から取り出して吹いた。

しかしやはり僕の耳には、何の音も聞こえてこない。

どうやらあの笛は、ダークエルフのみに聞こえる周波数の音を出す、或いは魔力か何かを使用して仲間内だけで連絡を取り合うための魔道具のようだ。

それはともかく、僕の想定はやや悪い方向で的中したらしい。


まあ、最悪――問答無用の攻撃――ではなさそうなのだけが救いだな。

舞女みこ様と話し合う余地が有ればいいんだけど……


そんな事を考えながら、僕はふと重大な事実に気が付いた。


あれ?

今僕の【隠密】ってどうなっている?


僕の今のMPは、補正込みで160ちょっと。

【隠密】を維持するには、1秒ごとにMPが1必要になる。

つまり僕がMP回復無しで【隠密】維持出来るのは約160秒。

言い換えれば2分40秒。


という事は、とっくに効果が切れているんじゃ……

今後に備えてMP回復しておかないと!


慌てて僕はインベントリを呼び出した。


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