第369話 F級の僕は、ティーナさんに振り回される


6月15日 月曜日27



僕が受け取ったスマホの画面には、見た事の無いアプリが立ち上がっていた。

黒い背景にいくつかの英語の項目と、真ん中に白い線で縁取られた四角い枠が表示されている。

ティーナさんが黒い直方体――高性能ボイスチェンジャー?――を僕のスマホに繋いで何か操作していたから、そのせいだとは思うけれど。

言われた通り、スマホのマイク部分に向けて話してみた。


「昨日は朝起きたら……」


僕の声に反応するかの如く、例の白縁四角い枠の中にうごめく波形が現れた。

そのまま10分程かけて、トゥマへのモンスター襲撃の顛末てんまつを語り終えたところで、ティーナさんが声を掛けてきた。


「あリガトウゴざいます。もう結構デスヨ」


ティーナさんは、僕からスマホを受け取ると、再び何かの操作を始めた。

十数秒後、ティーナさんが、今度は黒い直方体を繋いだままの僕のスマホを関谷さんに手渡した。


「自分のスマホに電話シテミテ下さい。着信したら、自分のスマホをスピーカーにして下サイ」


関谷さんが、言われた通りに自分のスマホへ電話をかけた。

着信音が鳴り響き、関谷さんが自分でその電話に出て、スピーカーに変えた。


「これでいいのかしら?」

『これでいいのかしら?』


関谷さんの実際の声とほぼ同時に彼女のスマホのスピーカーからも同じ言葉が聞こえてきた。

ただし、その声音こわねはどう聞いても僕の声だ。


ティーナさんが悪戯っぽい笑顔になった。


「自己紹介シテミテ下さい」


少し戸惑った雰囲気のまま、関谷さんが僕のスマホに向かって話し始めた。


「私の名前は関谷詩織……」

『私の名前は関谷詩織……』


関谷さん自身の声と、関谷さんのスマホのスピーカーから聞こえて来る僕の声が見事にハモっていた。


「上手くいったミタイですね。一度電話を切って貰っていいデスヨ」


電話を切った関谷さんが、感嘆の声を上げた。


「凄いですね。これを使えば、もしかして私の声が、相手には中村君の声に聞こえるって事でしょうか?」


ティーナさんが頷いた。


「なカナカノ優れもノデしょ? これを使エバ、均衡調整課からの電話、関谷さんが代わりに出てアゲル事、出来マスヨ」


なるほど。

これなら僕が1時間に1度、こっちに帰って来て電話を均衡調整課にっていう雑事からは解放されそうだ……って待てよ?

これ、少し問題が……


口を開きかけたところで、ティーナさんが僕の心を読んだかのように言葉を続けた。


「たダシイクツか問題が有りマス」


そうだよね


「最初の問題は、中村君のスマホを関谷さんに半日貸しっパナシニなるという点デス」

「まあそれは僕の方は構わないけれど……」


どのみち、あっちネルガルに行きっぱなしだったら、スマホを使う機会もやって来ない。

それにそもそもF級という判定結果が出て以来、定期的に連絡を取り合う友達も全員去ってしまっている。


「私は中村サンのプライベートな部分をよく知リマセンが、関谷サンにスマホの中身を見られてシマウカモしれまセンヨ? 妙なサイトの閲覧履歴とか、細々こまごまとした女性関係とか、関谷さんにバレて困りソウナ事項には、前もってロックを掛けテオク事を推奨しマス」

「ちょ、ちょっと!? 何言い出すんだよティー……じゃなかった、エマさん!?」

「中村君のプライバシー、の、覗いたりしないですよ!? 気にならないと言えば嘘に……って違うから!」

「関谷さん、落ち着いて! そもそもそんなの無いから!」


ティーナさんは、僕等のやり取りをひとしきり生暖かい目で見守った後、口を開いた。


「次の問題はコノ機能、音声やイントネーションは完全置換可能デスガ、喋り方を変える事は出来ナイトいう点デス。つまり、『私、そんな事出来ないわ』と関谷さんが口にスレバ、そのママノ言葉が、中村さんの声音で向こうに伝わるトイウ少し残念な結果が待ち受けてイマス」


それは大分だいぶ嫌かも。

四方木さんの頭の中で、僕に関する項目に、“オネエ”というタグがつけ加えられる情景を思わず想像してしまった。


「マアこの点に関シテハ、基本、丁寧語使用で、一人称を“僕”に変更してモラウダケデ回避でキルとは思いマスガ」

「練習してみます」

「明日は一応、朝8時に中村君は起床する予定みタイデスカら、実際の電話連絡は、朝9時開始にナル公算が高イデス」


それだけ時間があれば、関谷さんならなんとかしてくれる……気がする。


「あとモウ一つ。位置情報を探らレタラ少し厄介デス」


位置情報。

確か携帯電話の電波を中継する基地局か何かから、電波を発信中の携帯電話のおおよその位置を割り出す事が出来るはず。


ティーナさんが、関谷さんに問いかけた。


「関谷サンの明日の予定ハ?」

「午前中、二コマ、午後に一コマ、大学の講義が入っています」

「一日休講に出来マスカ?」

「大した講義では無いですし、出なくても単位に影響しないです。エマさんが気にしているのは、私と中村君、違う大学だから、私の大学構内から四方木さんに発信したら、不審がられるかもしれないって事ですよね? なら、明日は私が中村君の大学に行って、図書館で本を読んだり、学食で食事したりしながら、1時間に1度連絡をって形がいいですか?」

「ソレデイイと思いマス。あと、コレが最後で最大の問題かモシレマセんが……」


前置きしてからティーナさんが言葉を続けた。


「知識、或いは記憶が関わる会話の必要性が生ジタ場合、対応出来ナクナル可能性がありマス」

「四方木さんが、僕しか知り得ない話題を振って来る可能性があるって事?」


ティーナさんが頷いた。


「可能性は無くは無いデス。その時は適当に電話を切ッテ……」


ティーナさんが、持ち込んでいるボストンバッグから、僕も持っている『ティーナの無線機』そっくりのフック付きイヤホンを取り出した。


「コレで私に連絡して下サイ」


ティーナさんが差し出したフック付きイヤホンを受け取った関谷さんが、ティーナさんに問いかけた。


「これは?」

「右耳に付けて下サイ」


関谷さんが、言われた通り右耳にフック付きイヤホンを装着した。

ティーナさんの右耳にも、同じタイプのフック付きイヤホンが装着されている。

彼女はそれに右手で触れて、何かの操作を行った後、小さな声で何かを囁いた。


ティーナさんの囁きがダイレクトに自分の右耳に届けられたからであろう。

関谷さんの眉がねた。


「コレ、私と関谷サンとのホットラインみタイナモノです。困ったら、コレ使って私に呼びかけて下サイ。可能な限り、サポートしマスヨ」

「ありがとうございます」


話が一段落ついたところで、僕は改めて関谷さんに感謝の気持ちを伝えた。


「こんな真夜中に無理難題持ち込んだのに、引き受けてくれて本当にありがとう。今度絶対何か埋め合わせ……」


言いかけて、ティーナさんの笑顔が視界に入ってきた。

ただしティーナさん、顔は笑顔だけど、目が笑っていない。


「……エマさんも含めて今度何か埋め合わせをするよ。二人ともありがとう」


言い終えてからティーナさんの様子をそっと確認してみた。

澄まし顔の彼女の様子からは、彼女の心の動きまでは読み取れなかった。

関谷さんが言葉を返してきた。


「気にしないで。前にも話したけれど、私は少しでも中村君を手助け出来る存在であり続けたいの。だから……」

「関谷さん……」


関谷さんの優しさに少し心がうるっときた所で、なぜかティーナさんの顔が視界に入ってきた。

今度はちゃんと彼女の気持ちが読み取れた。

表向きの表情とは無関係に、間違いなく笑っていない。

どうでもいいけれど、謎に僕のメンタルがゴリゴリ削られている気がするのは、きっと気のせいでは無いはずだ。


なにはともあれ、とりあえず、これで明日は向こうネルガルに専念出来そうだ。

時刻は午前2時20分。

そろそろ引き上げた方がいいだろう。

僕は二人に声を掛けた。


「それじゃあ明日……こっちの時間で朝8時に起きたら、関谷さんとエマさん、二人に連絡したらいいのかな?」

「それでイイト思いマス」

「分かった。電話待っているね」

「それじゃあ今度こそ、おやすみなさい」


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