第364話 F級の僕は、シードルさんの屋敷に到着する


6月15日 月曜日22



もうすぐ夜の7時になろうという時間帯。

まだ連絡の取れないアリアとクリスさん。

昨夜のアリアとの念話では、今日の夕方には、トゥマの街に到着するという話だった第341話

何かの事情で到着が遅れているだけならいいんだけど……


エレンとの念話を思い出した僕の心の中で、不安感が急速に膨れ上がって行く。

しかし現状、僕に出来る事は、二人をこの地トゥマの街でただ待つ事だけ。

二人の事は気になるけれど、いつまでも僕等がこの宿を占拠しているのも迷惑になるだろう。

宿の主人にお礼を渡して、とりあえずはシードルさんの屋敷に向かおう。


僕はアルラトゥに聞いてみた。


「君達三人をここで休ませてもらって、食事を出してもらって、もし対価を払うとしたら、帝国白金貨何枚位が適当かな?」


今、ゴルジェイさんが下賜してくれた帝国白金貨が4枚残っている。

アルラトゥが少し驚いたような顔で、言葉を返してきた。


「お出し頂きました料理の質は非常に高いもので御座いました。ですが、私ども奴隷3匹分を合わせましても、帝国白金貨1枚だといささか多過ぎるかと。その半分、金貨5枚でも喜んで頂けると思います」


確かこの街で魔法書を購入しようとした際、1冊で帝国白金貨10枚第336話だった。

多分、帝国白金貨1枚が、ルーメルあたりの10万ゴールドに相当するって事だろう。

ならばまあ、金貨5枚なんて半端な通貨持ってはいないし、3人美味しい料理を頂いて、1時間半近く宿が貸し切り状態になったのだから……


僕は宿の主人に、帝国白金貨を1枚差し出した。


「コレ、お礼です。ありがとうございました」


宿の主人が目を丸くしてそれを押し返してきた。


「街を救って下さった英雄様からお代なんて頂けませんよ!」

「ほんの感謝の気持ちです、どうか受け取って下さい」

「申し訳ございません、受け取れません」


押し問答していると、ターリ・ナハがすっと僕に近付き囁いた。


「ここは宿の主人のご好意、ありがたく受け取っておきましょう。見返りを求めない好意は、与える側の方がより喜びが大きいものですよ」


まあそうかもしれないけれど。


諦めた僕は、改めて宿の主人に頭を下げた。


「分かりました。それでは改めてありがとうございました」


皆を連れて宿を後にしようとした僕を宿の主人が呼び止めて来た。


「あの……英雄様にお願いが……」


宿の主人がニコニコしながら、木の板と炭のような物を僕に手渡して来た。


「宜しければ、こちらに“トゥマの英雄タカシが泊まりし宿”ってお書き頂けないですか?」


……うん、なかなかちゃっかりしていて、逆に好感が持てる。


結局、ネルガルの文字は読めるけれど、書く事は出来ない僕に代わって、アルラトゥが代筆してくれた。

こうしてトゥマの街角に、【『トゥマの英雄タカシが泊まりし宿』金木犀きんもくせい】の看板が掲げられる事になった。



宿を出た僕の服のすそを、ララノアがそっと掴んできた。


「? どうしたの?」


僕の問い掛けに、ララノアが俯き加減に言葉を返してきた。


「で、殿下から……」

「殿下から?」


あ、そうか。

彼女は皇太女殿下のユーリヤさんから、僕をシードルさんの屋敷まで、責任を持って案内するよう“命じられて第360話”いたんだっけ?

律儀に命令を護ろうとするララノアの姿が少し微笑ましくて、僕は思わず彼女の頭を撫ぜてしまった。



―――ぴくっ



フード越しとは言え、いきなり頭に触れられて驚いたのだろう。

ララノアが少し身を固くするのが感じられた。

僕は慌てて手を離した。


「ごめんね! びっくりさせて」

「いえ……あの……」


ララノアが顔を上げた。

心なしか、頬が上気している。


もしかして、子ども扱いされたと思ってむくれている?


とりあえず、話を本題に戻そう。


「シードルさんの屋敷に案内してもらってもいいかな?」


時間もそろそろ午後7時を回る頃だ。

もし僕の分の食事を用意して待っていてくれたら申し訳ない。


しかし、なぜかララノアは上目遣いでこちらにチラチラ視線を向けて来るだけで、動こうとはしない。


「ララノア?」


僕の再度の声掛けに、ララノアがぼそぼそと小さな声で、言葉を返してきた。


「あ、あの……頭……」

「頭?」

「ご、ご主人様が……お触りに……なりたい……なら……」

「いや別に触りたいわけじゃ……」


思わず撫ぜてしまっただけだし。

しかし、僕の言葉を聞いたララノアの目に明らかな不安の色が浮かび上がって来た。


「あ、あの……」


……ここはもしかして、頭を撫ぜるのが正解なのだろうか?


僕はおずおずと、もう一度ララノアの頭に手を乗せると、優しく撫ぜてみた。

ララノアが目を閉じ、気持ちよさそうにしている。

そして僕ら二人に向けられるターリ・ナハとアルラトゥの視線がなぜか、とても生暖かく感じられる。


母親らしき女性に手を引かれた幼い男の子が、通りすがりに僕等を指差した。


「ママ! 英雄様が女の子の頭撫ぜてる!」

「そうだね~。お利口さんだったから褒めてもらっているのかもね~」


……

のどかだけど、なんだか猛烈に恥ずかしくなってきた。


適当な所で切り上げた僕は、今度こそララノアの案内で、シードルさんの屋敷へと向かって歩き出した。



シードルさんの屋敷には、歩いて20分程度で到着した。

屋敷は街の中心部やや北西方向、小高い丘の上に建てられていた

よく手入れの行き届いた感じの、人の背丈程もありそうな生垣が、その周囲をぐるりと囲んでいた。

門の傍には槍を手にした衛兵が一人立っていた。

彼は僕等に気付くと右手の槍を立て、直立不動になった。


「タカシ様、お待ちしておりました。どうぞ中へお入り下さい」


衛兵が開けてくれた門を潜ると、その向こうには小さいながらも綺麗な庭園が広がっていた。

そこからは、メイド姿の若い女性が、僕等を屋敷の中に案内してくれた。

屋敷の中は、華美では無いけれど落ち着いた雰囲気の調度品でまとめられ、質素で落ち着いた雰囲気であった。

彼女の話では、ユーリヤさん達もつい先程シードルさんと一緒に、屋敷に到着したという事であった。

僕等は三階建ての屋敷の中、最上階の客室の一つに案内された。

広さは十畳程で、屋敷の中と同じ感じの落ち着いた雰囲気の家具類とキングサイズのベッドが一つ置かれている。


「30分程で食事の準備が整いますので、しばらくお寛ぎ下さい」


メイド姿の女性が、丁寧にお辞儀をして客室を出て行った後、僕は三人に話しかけた。


「実は今夜から明日の……」


話しながら僕は頭の中で、日本とここトゥマの街の時差――4時間日本が進んでいる――を計算した。

一応、均衡調整課の宿直室で“起床予定の朝8時”は、トゥマの午前4時。

で、日本の朝8時過ぎに、朝食断って、すぐに外出するとして……

この前の93層の時第268話を参考にすれば、斎原さんが97層のゲートキーパー謎の失踪――まだ斃してはいないけれど――に気付いて、富士第一の外へ引き返してくるのが夕方の6時過ぎ。

つまりトゥマの時間に換算すれば、午前4時以降、少なくとも午後2時過ぎまで、1時間おきに向こうに帰って、電話で均衡調整課に連絡を入れないといけない。

……うん、メンドクサイ。

唯一の救いは、今のところ、明日はこっちネルガルで何の予定も入ってはいないってトコかな。


素早く考えをまとめてから、言葉を続けた。


「……お昼過ぎにかけて、また何度か“倉庫”に荷物を取りに行ってこなきゃいけないんだ。一応、ユーリヤさん達にも伝えておくから、君達もそのつもりでいてね」

「分かりました」

「か、かしこ……まり……ました……」

「かしこまりました」



30分後、ほぼ予告通りの時間に迎えに来たメイド姿の女性の案内で、僕等は夕食が用意されているという1階のダイニングへ向かうため、階段を下りて行った。


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