第301話 F級の僕は、初めてのお使いを頼まれる


6月11日木曜日4



それは銀色に輝く精巧な鎖で編まれたネックレスであった。

複雑な装飾が施されたペンダントトップの部分には、翡翠色をした小豆大の小さな宝石が嵌め込まれている。

僕等のテントの外、着替えを終えて出て来たスサンナさんにその事を伝えると、彼女は大きく目を見開いたまま固まってしまった。


「これが……呪具?」

「スサンナさん、これ、いつ手に入れました?」


スサンナさんは、しばらくの間目を閉じて、呼吸を整えるような仕草を見せた後、再び目を開いた。


「これは20年前、ユーリ様の亡くなられたお母様から、生前、私へと下賜して頂いた大切な品にございます」


20年前に下賜?

ユーリさんの年齢は分からないけれど、いくらなんでも、そんな昔から、このネックレスが、ユーリさんを対象とした呪具であり続けた、とは考えにくい。


「最近、すり替えられた形跡は?」

「ありません」

「失礼ですが、どうしてそう即答出来ますか?」

「実は私にだけ分かる判別方法がございます」


彼女にしか分からない傷か、細かい色の変化か、はたまた真贋しんがんを見抜くスキルでも持っているのか、詳細は不明だけど、どうやらスサンナさんには、このネックレスがすり替えられた物では無い、と断言出来る何かの根拠があるようだ。

だとしたら……


「何者かが、スサンナさんの隙をついて、そのネックレスに呪力を込めた……?」


或いは、やはりスサンナさんが、呪詛を仕掛けた術者の協力者か、だけど。


「とにかく、この品は僕の方で預からせて下さい」


皆がうなずくのを確認した僕は、インベントリを呼び出した。

そして、その中にネックレスを放り込むと、エレンに念話で問いかけた。


『エレン、今インベントリに呪具を収納したんだけど、呪具の存在って感じ取れるかな?』

『呪具の気配は消えた。インベントリは、亜空間に繋がっている。そこに収納してしまえば、呪詛の媒介も出来なくなる』

『一度呪具にされてしまったネックレスを、普通のアクセサリーに戻す事って可能かな?』


少し間があってから答えが返ってきた。


『通常は不可能。だけど私か……光の巫女なら恐らく可能』


ならば、このネックレスが、スサンナさんにとってどんな意味を持つ物であれ、“解呪”出来るまでは、インベントリに仕舞っておくのが無難だろう。


それまで黙って状況を見守っていたボリスさんが口を開いた。


「これで今、我々の周囲から呪具の影響は、完全に排除されたという理解でいいのかな?」

「そうですね……」


僕は少し考えてから、ボリスさんに言葉を返した。


「ちょっとこの野営地内、もう一度確認してきてもいいですか?」

「もちろんだ。宜しく頼む」


僕はその場をボリスさんやターリ・ナハ達に任せると、エレンと念話を交わしながら、野営地の中に他に呪具が隠されていないか、調べて回った。

結果、呪具は、僕がインベントリに収納したスサンナさんのネックレスだけである事が確認出来た。

戻って来た僕からの報告を聞いたボリスさんが、口を開いた。


「とりあえず、スサンナには悪いが、呪詛に関する全容が判明するまでは、ユーリ様への接触は控えてもらわねばならん」


スサンナさんが、硬い表情のまま項垂うなだれた。


「当然の判断です……」

「ユーリ様のお世話は、当分、ポメーラに任せるとして……」


ボリスさんが難しい顔になった。


「問題は、スサンナをどこに隔離するか、だ」


現在、ユーリさん達の馬車は1台だけ。

今までは、その馬車に同乗していたらしいけれど。


「仕方ない。近くの村か街で、もう1台馬車を購入して、スサンナには、その中で過ごしてもらおう。となると……」


ボリスさんが、僕に視線を向けて来た。


「申し訳ないが、タカシ殿にその役、お願い出来ないだろうか?」

「馬車をもう1台買ってくるって話ですか?」

「そうだ」

「言いにくいんですが、この国帝国で、馬車の売買なんて経験、皆無ですよ?」


この国どころか、この世界イスディフイでも馬車なんて買った事無いんだけど。

大学入学後、スクーター買った時も、自賠責やら何やら手続きが必要だった。

手続きどうこうって話になれば、ちゃんと対応出来るか自信は無い。


「昨日も話した通り、俺達はこの州を商圏としている商会と対立関係にある。君なら顔を知られていないはずだし、何よりゴルジェイ殿の手形も持っている。馬車を買うのに、複雑な手続きも不要だ。どうか、頼まれてはもらえないだろうか? もちろん、礼は弾む」


どうしようか?

ボリスさん達の“本当の”事情は未だに不明だけど、どうやら本気で近隣の村や街には近付きたく無いようだ。


「……分かりました。ただ2点、心配な事があります」

「心配な事?」

「まず、ちゃんとここまで戻って来られるかどうか、です。街道沿い、州都モエシアまでの地図は持っていますが、この野営地は、街道からは随分離れていますし」


その時、ララノアがおずおずと口を開いた。


「わ、私が……道案内……」


ララノアは、基本、属州モエシア内で生活してきたようだし、魔法で周囲の状況も探知出来るようだ。

彼女なら、僕をここまで連れて帰る事が出来る、という事だろう。


「道案内は、ララノアにお願いするとして……あとは、馬車の相場や良し悪し、さっぱり分からないんですが……」


つまり、粗悪品を高値でつかまされても気付かないかもしれない、という事だ。


「ははは、それは心配無用だ。君はゴルジェイ殿州総督の三男の手形を持っているだろ? それを見せれば、いかな悪徳商人でも、君をだます事に、心理的な抵抗感を覚えるはずだ。それに万が一、君が購入してきた馬車が欠陥品であったとしても、それを責めたりはしないから安心してくれ」


結局、僕は馬車を買って来る事を了承した。


手早く朝食を済ませた僕は、ターリ・ナハに『二人の想い(右)』を手渡した。

今から向かうのは、僕等にとって、昨夜の本来の目的地、チャゴダ村。

ここからなら、オロバスを疾駆させれば30分弱で到着出来るはず。

帰りは、購入した馬車を無理矢理オロバスに繋ぎ、ここまで持って帰ってくる予定だ。

馬車ごとインベントリに収納出来れば話は早いのだが、どうやら馬車のように大きな物体は、収納出来ないらしい。

ともかく、馬車の購入がスムーズに進んだとしても、往復1時間強は、この野営地を留守にする事になる。

万が一何かがあった場合は、ターリ・ナハには自らの身の安全を第一に行動する事、アリアやクリスさん達と連絡を取りながら、モエシアへ向かう事、等をあらかじめ伝えてある。


MPに余裕があれば、【影】1体位は、護衛としてここに残しておきたかったんだけど……


エレンのバンダナを頭に巻いている僕は、1秒間につき、MP1自動回復の恩恵を受けられる状態にある。

だけど、肝心の女神の雫MP全快ポーションが残り少ない。

オロバスも【影】1体も維持には、1秒間にMP1必要。

どちらか一方だけ召喚するとすれば、普通の馬に乗り慣れていない僕としては、やはり、オロバスを選択せざるを得ない。



朝8時半、ボリスさんから馬車購入用の帝国金貨が詰まった袋を受け取った僕とララノアは、皆に見送られながら、野営地を出発した。

ほぼ一直線に目的地へ突き進むオロバスがぐんぐん速度を上げ、木々が流れるように後ろへ走り去る。

空は晴れ渡っているけれど、吹き抜ける風は、身を切るように冷たい。

と、ふいに僕を包む空気が暖かくなった。

はてなと思う間も無く、後ろにまたがるララノアがささやいてきた。


「あ、あの……魔法で……温風……」


どうやらララノアが、僕等を温める空気を作り出してくれているようだ。


「ありがとう」


振り返って声を掛けると、フードが脱げているララノアが、なぜか耳まで真っ赤にしてうつむいた。


「あ、あの……つ、つかまっても……服……」


オロバス、普通の馬と違って、高速走行中も振動やGはほとんど感じない。

別に僕につかまらなくても、落ちたりはしない事、既に昨日オロバス乗馬体験済みのララノアは知っているはずだけど?


「ダ、ダメ……でしょうか……?」


なんだかおどおどした感じで問いかけてくるララノアの様子から考えるに、元々こういう乗り物自体が苦手なのかもしれない。

僕は努めて笑顔で言葉を返した。


「ダメじゃ無いよ。怖かったらしっかり掴まってもらって大丈夫だよ」

「あ、ありがとう……ございます」


おずおずといった感じで、ララノアが僕の背中にぴったりとくっつきながら、腕を前に回してきた。


「あ、温かい……」


安心したようなララノアのつぶやきと彼女の体温を背中に感じながら、走る事約30分。

僕等は予定通り、チャゴダ村に到着した。


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