第298話 F級の僕は、呪具の存在に振り回される


6月11日木曜日1



結局その後、テントの中でも外でも何事も起こらないまま、僕等は翌日の朝を迎える事が出来た。

手早く着替えを終えて外に出ると、僕等より一足先に目を覚ましていたらしいスサンナさん達が、焚火の傍で朝食の準備に取り掛かっている姿が目に飛び込んできた。

焚火にかけられた鍋から上がる湯気が、食欲をそそるほのかな香りを漂わせている。

近付いて来た僕等に気付いたスサンナさんが、笑顔になった。


「タカシ様、おはようございます。間も無く朝食が出来上がりますので、お掛けになってお待ち下さい」


僕はスサンナさん達に挨拶を返してから、ターリ・ナハとララノアに挟まれる形で、焚火の傍に置かれた木製のベンチに腰かけた。

周囲に視線を向けると、8m程向こうの馬車の傍では、ボリスさん達男性3人が、馬の世話を行っているのが見えた。

僕の視線に気付いたらしいボリスさんが、大声で呼びかけて来た。


「タカシ殿! 昨夜はゆっくり休めたかな?」

「朝までぐっすり眠れました。呼び出しが無かったという事は、ボリスさん達も見張り、お暇だったという事でしょうか?」

「ははは、まあそんなところだ。奴ら、君がユーリ様の護衛に加わってくれた事を知って、恐れをなしたと見える」

「買いかぶり過ぎですよ」


まあなんにせよ、真夜中に『解放者リベルタティス』達の再襲撃なんて事が起こらなかったのは、幸いだ。


大声で会話を交わしていると、ふいに馬車の扉が開かれた。

そして白銀色のコートを羽織った一人の人物が姿を現した。

後ろで一房に束ねられた金髪、翡翠色の双眸。

ユーリさんだ。

しっかりとした足取りで地面に降り立った彼は、仮面をつけてはいなかった。

見た感じ、“まだ”、再度呪詛を受けたりはしていなさそうだ。


「ユーリ様!?」


彼に気付いたらしいボリスさんが驚いたような声を上げた。

その声に、僕等の傍で朝食の準備を進めていたスサンナさんとポメーラさんも、馬車の方を振り返った。

ポメーラさんが、慌てた感じでユーリさんの方に駆け寄って行った。

彼女から二言三言、話しかけられるのを手でやんわりと制しながら、ユーリさんがこちらに向かって歩いて来た。

彼は僕等の傍まで来ると、隣に置かれたベンチに腰を下ろした。

たおやかな微笑みが彼から僕等に向けられた。


「タカシ殿、おはようございます」

「おはようございます。体調、いかがですか?」

「もうすっかり良くなりました。タカシ殿のお陰です」

「ユーリ様!」


スサンナさんが、ユーリさんに呼びかけた。


「外は寒うございます。お食事でしたら馬車にお運びしますので……」

「スサンナ」


ユーリさんは、ユーリさんに笑顔を向けた。


「こうして焚火に当たれば、別に寒くはないですよ。それに、せっかくあのわずらわしい呪いから解放されたのです。私も久し振りに皆と食事を共に楽しませて下さい」


スサンナさんは、まだ少し何か言いたげな素振りを見せた後、すぐにやれやれといった表情になった。


「ユーリ様は言い出したら聞かないですからね……。ポメーラ、そこの器にユーリ様の分もご用意して差し上げて」


ポメーラさんが、焚火に掛けられた鍋から器に何かの煮込み料理をよそい、それをユーリ様に手渡そうとして……



―――ドサッ!



いきなりユーリさんが、うつ伏せに地面に倒れ伏した。


「ユーリさん!」

「ユーリ様!?」


皆が慌てて駆け寄り、一番近くにいた僕が、彼を抱き起した。

彼の白く美しかった顔が紫に染まっていた。


「これは……!?」


彼の顔が苦し気に歪み、皮膚の表面が、ふつふつと沸騰するかの如く、醜い出来物で覆い尽くされて行く。

そして少しうめいた後、一気に脱力した。

恐らく意識を失ったのだろう。


「まさか呪詛!?」


スサンナさんの悲鳴のような叫び声に反応したらしいボリスさん達が、こちらに駆け寄ってくる。

彼はユーリさんを一瞥すると、後ろに控えるルカさんとミロンさんに鋭く指示を出した。


「ユーリ様を急いで馬車の中へ!」

「待って下さい!」


僕は、駆け寄ってきたルカさんとミロンさんを手で制した。

そしてユーリさんを抱きかかえたまま立ち上がり、エレンに念話で呼びかけた。


『エレン!』


すぐに彼女からの念話が届いた。


『どうしたの?』

『今、僕のそばに呪詛に冒されている人物がいるかどうかわかる?』

『あなたとほとんど重なる位置に、昨日と同じ呪詛の波動を感じる……』


やはりユーリさんの症状は、再度呪詛を掛けられた事によるもの?

昨晩、危惧していた事が、早速現実に起こってしまった、という事だろうか?

ならば……


『呪具は?』

『……呪具もあなたの傍に存在する』


呪具がこの場所に?

馬車の中では無く?

今起こっている状況を頭の中で整理しようとしたところで、ボリスさんに詰め寄られた。


「タカシ殿! ユーリ様のその症状、呪詛の再発だ! まずは直ちに馬車にお移しせねば!」


僕は馬車にチラッと視線を向けた。

馬車までの距離は、約8m。

昨夜の時点で、呪具は馬車の中にあったはず。

そして、呪具と対象者が3m以上離れれば、呪具を介して対象に呪詛を掛ける事は出来なくなる、とエレンは教えてくれた第295話

と言う事は……?


「ボリスさん、スサンナさん、今朝になって馬車の中からここへ持ち出してきた物って何かありますか?」


ボリスさんが、イライラした雰囲気で言葉を返してきた。


「何の話をしている? とにかく早くユーリ様を……」

「お待ち下さい! ユーリさんは、昨夜、僕が一度解呪したにも関わらず、呪詛に再び冒されたって事ですよね? ならば、どうして今、そんな事になったのか、ちゃんと調べましょう。もしかして、この場所に何か原因があるかもしれませんし」

「原因?」


昨晩は馬車の中に置かれていたはずの呪具は、今、この場所に存在する。

ならば僕以外の何者かが、知ってか知らずかは別として、今朝になって、呪具をここへ運び出した、と言えるのでは?

しかしその何者かの正体が不明な現状、“呪具”という単語を軽々しく口にするのははばかられる。


「この調理器具類は、馬車から持ち出してきた物ですが……」


スサンナさんが、僕に試すような視線を向けながら言葉を続けた。


「もしや……呪具の存在を疑ってらっしゃいますか?」


スサンナさんの口から“呪具”という単語が出た。


「可能性の一つとして、です。とにかく、ユーリさんを……」


ユーリさんをどこへ運ぶのが“安全”だろうか?

或いは、どうすれば、呪具を特定できるだろうか?

待てよ。

今この付近に呪具があるという事は、逆に今、馬車の中には呪具は無いのでは?

まあ、呪具が1個だけと仮定すれば、だけど。


「分かりました。とにかく、一度ユーリさんを馬車に運びましょう。それと、申し訳ないのですが、この場所に置いてある物品はそのままで。絶対に動かさないで下さい」


そして僕は、隣で成り行きを見守っていたターリ・ナハとララノアに、そっと囁いた。


「君達はここに留まって、実際に品物を動かそうとする人物がいないかどうか見張っていてもらってもいいかな?」

「分かりました」

「お、お任せ……下さい……」


僕はユーリさんを抱えたまま、馬車に向かって歩き出した。

ボリスさんとスサンナさんが、僕に同行する。

歩きながら、僕は再度エレンに念話を送った。


『今、僕と呪具の距離感って分かる?』

『……分かる。呪具はあなたのすぐ傍に存在する』


すぐ傍?

焚火の方を振り返った。

今僕は、ユーリさんが倒れた焚火のある場所から、馬車に向けて歩いているのだけど。


『遠ざかっていない?』

『呪具の気配に変化は無い。つまり、あなたと呪具との距離に変化は生じていないはず』


僕は改めて腕の中のユーリさんに目を落とした。

彼の長い金髪は、紺色のリボンで一房に束ねられている。

白銀色のコートの下は、仕立ての良さそうな白いワイシャツのような上着と、茶色のズボン。

足元は、黒系統の靴を履いている。


まさか……?


『衣服や装飾品って、呪具になり得る?』

『可能。呪具に形状や材質の制限は存在しない』


僕はユーリさんを馬車の中に運び込み、ベッドにそっと横たえた。

そして改めてボリスさんとスサンナさんに“提案”してみた。


「ユーリさんの衣服と装飾品、全て脱がせてもらえないですか?」


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