第209話 F級の僕は、斎原さんとの会話を何とか切り上げる


6月1日 月曜日8



斎原さんは、にこやかな表情で近付いて来た。


「均衡調整課に行くんでしょ? 送るわ」


僕にそう声を掛けると、背中を向けて歩き出した。

彼女の行く手、10m程の所に、巨大な黒いリムジンが停まっている。


「斎原さん」


僕の呼びかけに斎原さんが振り向いた。


「スクーターで行くんで大丈夫ですよ。それより、なぜここへ……?」


それに、どうして今から僕が均衡調整課に行こうとしていたと分かったのだろう?


「どうしてって、お礼を言いに来たのよ」

「お礼?」


最近、斎原さんにお礼を言われるような事、したっけ?


「伝田の小賢こざかしい謀略、潰してくれたでしょ?」

「伝田さんの……?」


もしかして、伝田さんが僕を斎原さんのところに送り込んでスパイさせようとした話だろうか?


「昨日の富士第一92層での話ですか?」


斎原さんが頷いた。


「エンシャントドラゴンの群れ、瞬く間に叩き落として、伝田と田中を圧倒したそうじゃない。さすがね」


耳が早いと言うか何と言うか。

もう斎原さんまで伝わっているとは驚きだ。

均衡調整課の職員達がわざわざ斎原さんに伝えるとは思えないし、クラン『百人隊ケントゥリア』か『白き邦アルビオン』所属のA級達が漏らしたのだろうか?


「たまたま成り行きでそうなっただけです。それでは急ぐので……」


僕は駐輪場に停めてあるスクーターにまたがろうとした。

そこに斎原さんがすっと近寄ってきた。

同時に、斎原さんのボディーガード――S級にボディーガードが必要とも思えないけれど――のようなサングラスを掛けた体格の良い男性2人も、僕を囲むような位置に立った。


「私、何か嫌われる事したかしら?」

「別にそんな事無いですよ。ただ本当に急いでるんで……」

「これでも少し傷付いてるのよ? 居留守も使われたし」

「居留守?」

「さっきあなたの部屋の呼び鈴、鳴らしたけれど、出てくれなかったじゃない」


僕は首をかしげかけて思い当たった。

もしかすると、ちょうど【異世界転移】していた時間帯だったのかも。


「すみません、先週末、滅茶苦茶色々あって、ついさっきまで部屋で寝てたんです。呼び鈴鳴ったのには気付かなかったみたいです」

「それじゃあ、その埋め合わせに、私に均衡調整課まで送らせて」


そう言うと、斎原さんは、僕の手を取ろうとした。

それをさりげなくかわしながら、僕はスクーターのエンジンを掛けた。

その様子をそれまで黙って見ていた体格の良いサングラスの男の一人が口を開いた。


「貴様、お嬢様がお誘い下さっているのに、それを断るとは何様のつもりだ!?」

「皆川!」


斎原さんが、鋭い声でその男を制止した。


「中村君に失礼な事をしたら許さないわよ?」

「申し訳ございません」


典型的なお金持ちのお嬢様とそのお供の会話。

実際目の当たりにすると、少し滑稽な風にも感じられる。

それはともかく、こんな所で時間を潰していては、本当に間に合わなくなる。


「本当にすみません。送って頂くと、均衡調整課からの帰りの足が無くなってしまうので、やっぱりスクーターで行きますね」

「……それなら、均衡調整課での用事が終わった後、少し時間を作ってもらえないかしら?」

「友達と夕食一緒に食べる約束してるんですよ」


今夜は7時から、関谷さん達が、僕に何かを御馳走してくれる予定だ。


斎原さんは、僕に探るような視線を向けてきた後、頭を下げた。


「先約があるなら仕方無いわね。今日は中村君の都合も考えずに、急に押し掛けてごめんなさい」


あれ?

なんだか随分まともな反応。

もしかして、本当に好意で送迎してくれようとしていただけだったのかな?

ならば、少し悪い事をしたかもしれない。


「すみません。今度時間作りますから、それで勘弁して下さい」


斎原さんが微笑んだ。


「そう言ってもらえると嬉しいわ。それじゃあね」


斎原さんは、サングラスの男達に声を掛けると、向こうに停めてあるリムジンの方に歩き去って行った。

それを視線で見送った僕は、ようやくスクーターを発進させることが出来た。



結局、均衡調整課には、午後5時ぎりぎりに到着した。

四方木さんと真田さんと言ういつものメンバーによる“事情聴取”は、和やかな雰囲気の中、30分程で終了した。

事実関係――ティーナさん絡みの話を省いて、だけど――を淡々と話し終えた僕は、個人的に気になっていた話題を持ち出した。


「ここに来る直前、斎原さんが僕のアパートに来てましたよ」

「斎原様が?」


四方木さんの目が細くなった。


「どういったご用件でした?」

「均衡調整課まで送ってあげる、と。斎原さんは、どうして僕がこの時間に均衡調整課に行く事、知ってたんでしょうか?」


四方木さんと真田さんがお互い顔を見合わせた。


「斎原様は確かにそうおっしゃったのですか?」

「はい」


僕は斎原さんが昨日の件で勝手に僕に恩返しをしたいとアパートの前に立っていた事を説明した。


「斎原様は、昨日の件も既に御存知だったと?」

「昨日92層に居たA級達が話したんじゃないでしょうか?」

「おかしいですね……」


四方木さんが、少し意外なほど深刻そうな表情になった。


「今日、ここへ来る話、他の誰かにしました?」

「他の誰か……関谷さんとなら、電話で話しましたが……」


四方木さんが、じっと何かを考え込む様子になった。


あれ?

もしかして、関谷さんが疑われてる?


数秒後、四方木さんが再び僕に視線を向けて来た。


「斎原様は、どうやら“独自の情報網”をお持ちのようですな」

「情報網? ですか?」

「中村さん、クラン所属のA級達は厳しく統制されています。間違ってもクラン内の情報を潜在的には敵である他のクランに漏らしたりはしないはずです。均衡調整課も、わざわざ事情を聞くためにお越し頂く方の情報を他に漏らしたりはしません。ですから、昨日の富士第一92層での出来事や、一昨日の事件に関して均衡調整課が事情聴取を行うという事を、斎原様が既に知っていたとすれば、“独自の情報網”をお持ちという結論になります」


“独自の情報網”って、つまり……


「……関谷さんが、情報を漏らした、とかでしょうか?」


僕の問い掛けに、四方木さんが苦笑した。


「その可能性は低いでしょう。彼女を“独自の情報網”に組み込んでも、斎原様的には、利用価値が低過ぎますから」


良かった。

関谷さんが斎原さんの工作員だったら、なんだかとってもへこむ気がする。


「では誰が?」

「大方、昨日、92層に居たA級達の一人でしょうな。それに、均衡調整課内にも自身の息がかかった人物を配しているのかもしれません」


伝田さん、既にあなた自身が“スパイ大作戦”されちゃってるみたいですよ。


「ただ分からないのは、斎原様が、どうして“独自の情報網”を持っている事をわざわざ示唆してきたかです」

「示唆って、誰に対してですか?」

「もちろん、我々均衡調整課に対してですよ。中村さんにそんな話をすれば、間違いなく我々の耳に届くと計算出来るはずです。均衡調整課にプレッシャーを掛けようとしているのか、或いは他の思惑が有るのか……」


斎原さんの訪問にそんなに深い意味があったとは。

四方木さんが深読みし過ぎているだけかもしれないけれど。



均衡調整課を出た僕は、チャットアプリを起動して関谷さんにメッセージを送信した。


―――『今終わったよ』


もうすぐ6時だけど、そう言えば、具体的な店名とか聞いてなかった。

送信メッセージはすぐに既読になった。

そして、しばらくすると、関谷さんからのメッセージが届いた。


『お疲れ様。今、均衡調整課?』


―――『そうだよ。どうしようか?』


『スクーターで来てる?』


―――『うん』


『中村君、また飲むよね?』


“飲むよね”の所に、ビールの絵文字が入っている。


―――『止めとこうかな。また潰れたら迷惑かけるし』


『大丈夫だよ。そうなったらまた泊めてあげるから』


……酔って知り合いの女性宅に泊めてもらうって、男として大分情けない感じがしないでもない。


『車出すから、アパートに帰って待ってて』


―――『了解。着いたら電話して。準備しとくから』


チャットアプリを終了した僕は、スクーターに跨った。

夕日に照らし出され、茜色に染まった街を、僕は自分のアパートに向けてスクーターを走らせた。


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