第140話 F級の僕は、ティーナさんと一蓮托生の間柄にされる


5月27日 水曜日5



―――キシェェェェ!


頭部を持ち上げたブラックセンチピードが、大あごを180度近く広げながら僕を見下ろしていた。

僕の後方、10m程の場所でこちらの様子を見守っているはずの斎原さんの声が聞こえて来た。


「中村君、あ……ん…………し…………」

「?」


声の届き方に違和感を抱いた僕は、思わず後ろを振り返った。

斎原さんは、右手に拳銃を構え、口を開き、何かを叫んでいる姿勢のまま固まっていた。


一体、何が?


戸惑う僕の耳に、ティーナさんの声が聞こえて来た。


「周辺の重力場に干渉して、Ms. Saibaraと周囲の時間の流れを極限まで遅らせました。今ならinventoryを使用しても、彼女にそれを見られる心配はありません。Black Centipedeの時間も遅らせているので、ゆっくり準備して下さい」

「!」


見上げると、僕の少し後方で箒に腰かけ、空中に浮遊しているティーナさんがニコニコしているのが目に飛び込んできた。

そして、ブラックセンチピードの方も、彼女の言葉通り硬直している。


一般相対性理論によれば、重力の強い場所では、周辺と比べて時間の進み方が遅くなるらしい。

ティーナさんは、その重力を操れると話していた。

つまり、彼女は、斎原さんやモンスターの周囲だけ局地的に重力を強めている、と言う事なのだろう。

普通に考えれば、斎原さんもブラックセンチピードも、強い重力で即座にぺしゃんこになりそうなものなのだが、一体、どういう理屈で時間の流れだけ遅らせたり出来ているのだろうか?

いずれにせよ、反則みたいな能力だ。


諦めた僕は、インベントリを呼び出した。

中から、カロンの小瓶類――賢者・技能・強壮の各小瓶――と、女神の雫、神樹の雫を取り出した。

カロンの小瓶類は、僕が握って念じるだけで、次々とポーションで満たされていった。

賢者・技能の各小瓶の中身を飲み干し、強壮の小瓶と女神の雫、神樹の雫を腰のベルトに差し込んだ僕は、ケースの中から魔導電磁投射銃を取り出した。

その様子をじっと眺めていたらしいティーナさんが声を掛けて来た。


「そろそろ時間の流れ、戻しても大丈夫ですか?」


僕は、ブラックセンチピードから少し距離を取り、魔導電磁投射銃を構えたまま、言葉を返した。


「どうぞ」


照準の先のブラックセンチピードの止まっていた時間がまた流れ始めた。

同時に、僕は魔導電磁投射銃に今の補正が掛かったMP203全てを充填した。

そしてブラックセンチピードに照準を合わせたまま、引き金を引いた。

今の僕の補正が掛かった知恵のステータス値は199。

充填したMP203と掛け合わせて40,397の不可視の魔法攻撃力が、銃口から発射された。


―――ドシュ!


ブラックセンチピードの上半身が消し飛んだ。

しかし、さすがはS級モンスターといったところだろうか?

上半身を失いながらも、まだHPがゼロになっていないらしいモンスターが、地面をのた打ち回っている。

僕は腰のベルトから強壮の小瓶を抜き取ると、急いで飲み干した。

途端に、MPが全快するのが感じ取れた。

魔導電磁投射銃にMP203を再度充填した僕は、もう一度引き金を引いた。


―――ドシュ!


ブラックセンチピードの下半身も木っ端みじんに吹き飛んだ。

破片はキラキラ光の粒子へと変化していく。



―――ピロン♪



ブラックセンチピードを倒しました。

経験値55,019,069,125,067,000を獲得しました。

Sランクの魔石が1個ドロップしました。

センチピードの外殻が1個ドロップしました。

レベルが上がりました。

ステータスが上昇しました。



と、斎原さんが駆け寄ってきた。


「さすがね。この階層のモンスターを単独で狩れる者は、私のクランメンバーでもそう多く無いわ」


僕に笑顔を向けてきていた斎原さんは、しかしすぐに、やや怪訝そうな表情になった。


「あれは……?」


斎原さんは、ブラックセンチピードが消滅した場所へゆっくりと近付いていった。

そこには、Sランクの魔石と……

剣道の防具の胴に形も大きさもよく似た黒いアイテム、『センチピードの外殻』が落ちていた。


「まさかモンスターの遺留品?」


『センチピードの外殻』を拾い上げた斎原さんは、そのアイテムを丹念に調べ始めた。


「魔力を感じるけれど……?」


彼女は首を傾げながら、上空に浮遊するティーナさんに声を掛けた。


「これ何なのか、あなたには分かる?」


箒に腰かけたティーナさんが、ふわりと舞い降りて来た。

斎原さんから『センチピードの外殻』を受け取ったティーナさんは、その感触を確かめるように触りながら呟いた。


「……It looks property of the Black Centipede, but……」


彼女は、ちらっと僕の方に視線を向けた。


「なぜ、これは残ったのでしょうか?」


地球では倒された、つまりHPがゼロになったモンスターは、魔石以外、跡形も無く光の粒子となって消滅する事が常識だ。

遺留品が残されていた、等という話は聞いた事が無い。


まあ、こうなるのは戦う前から分かっていた事だけど……


斎原さんが、僕とティーナさんに宣言した。


「ともかく、それは持ち帰って研究者に見せるわ。いいわね?」


と、『センチピードの外殻』を手にしたティーナさんが、箒に腰かけたまま、ふわりと浮き上がった。

斎原さんが慌てたように声を上げた。


「ちょっと! どうするつもりなの?」

「これは、私達で調べさせて下さい。結果は後で教えてあげますから」

「ここは、“日本の”富士第一ダンジョン90層よ。あなた達アメリカが勝手に持ち去るのは、協定違反になるわよ?」

「ですが、私達の方が、あなた達よりも確実に、より詳細に調べる事が可能です」

「そんな勝手は許されないわ!」


斎原さんが、ティーナさんに拳銃を向けるのが見えた。

と、僕の身体がふわりと浮き上がった。

そしてそのまま、一瞬にして、ティーナさんの方に引き寄せられた。

気付くと、僕はティーナさんの後ろで、箒に跨っていた。


「しっかりつかまっていて下さい。飛ばしますよ?」


慌てて彼女にしがみついた次の瞬間、僕等を乗せた箒が、凄まじい速度で飛行し始めた。

耳元で風が金切り声を上げ、周囲の景色が信じられない勢いで後方へと流れて行く。

やがて雲間の上に出た所で、箒は停止した。


ティーナさんが、僕の方を振り返った。


「ところで先程Monsterを倒した後、何かを吸収していましたね? 何を吸収していたのですか?」

「吸収? ですか?」


何の話だろう?

今まで、そんな事は誰からも指摘された事無いけれど……


「Black Centipedeが消滅する直前、何かのenergyが、あなたに吸収されるのが“視えました”」


まさか、経験値獲得の事を言っている?

と言うか、彼女は経験値の獲得を“視る”事が出来る?


僕は出来るだけ平常心を装いながら言葉を返した。


「すみません。よく分らないです」

「そうですか……」


ティーナさんは、一瞬、探るような視線を向けてきた後、話題を変えて来た。


「ところでこれ、預かっておいてもらえないですか?」


彼女が『センチピードの外殻』を差し出してきた。


「預かる?」

「はい。あなたのinventoryに収納しておいて下さい。そうすれば、野営地に戻った後、Ms. Saibaraが追及してきてもシラを切れます」

「シラを切るって、何についてですか?」

「それはもちろん、あなたがMonsterを倒した後、魔石以外の遺留品が残っていた件についてです」

「!」


紺碧の空のような彼女の瞳に見つめられ、僕の鼓動が跳ね上がった。

彼女が微笑んだ。


「Just kidding. あなたがinventoryに物品を収納出来る事を知る者は、今回の調査隊のメンバーの中には、私以外いないはずです。ですからそこに隠しておいてもらえれば、戻った後で、Monsterの遺留品を出せと迫られてもそんなものは知らない、とシラを切れます。あなたはMonsterを倒した後の記憶がなぜか曖昧になった、とでも証言しておいて下さい。気付いたら、私の箒に乗せられて野営地まで連れ戻されていた、と」


僕は、ティーナさんの顔をまじまじと見てしまった。

この人は、一体……?


ともあれ、彼女の提案に乗るのは、僕にもメリットがありそうだ。

今回、僕が倒した事でモンスターが魔石以外の遺留品を残したという事実を隠すことが出来るかもしれない。


「近い内に、私の国アメリカにご招待しますよ。その時まで、それは預かっておいてください」


……つまり、『センチピードの外殻』を、アメリカの研究所かどこかまで持って来い、という事だろう。

それはそれで危険な臭いがする。

『センチピードの外殻』と一緒に、僕も研究対象にされたりしないとも限らない。


逡巡していると、彼女が悪戯っぽい顔になった。


「We are in the same boat」


え?

ボート?

どういう意味だろう?


「日本語だと、イチレンタクショウ? ともかく、私はあなたの秘密を知っていますし、あなたは私の秘密を知っています。あなたが秘密を守ってくれる限り、私も秘密を守ります。お互い、仲良くしましょう」


仕方ない……


僕は、彼女から受け取った『センチピードの外殻』を、インベントリに収納した。


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