第85話 F級の僕は、ようやくノエミちゃんの元に辿り着く


5月21日 木曜日7



「聖下様、ここは危険です。早くお部屋にお戻り下さい」


エルザさんが、ノエミちゃんに近付き、その手を取ろうとした。

しかし、ノエミちゃんは、その手を振り払うと、僕とアリアの方に駆け寄ろうとした。

アリアに槍を突き付けていたイシリオンが、少し逡巡する素振りを見せた後、槍をこちらに向けたまま、素早くノエミちゃんの方に移動した。

僕はその隙に腰のベルトから神樹の雫を取り出し、飲み干した。

脇腹の痛みは、瞬時に消え去った。

イシリオンは、こちらに油断なく目線を送りながら、ノエミちゃんの前に立ち塞がった。


「聖下様、エルザの言葉通り、お部屋にお戻り下さい」

「そこをどいて下さい」

「なりません。やつらは、聖下様を騙し、再びさらおうと企んでおります」


イシリオンの言葉を聞いたアリアが叫んだ。


「何言ってるの! ノエミをこんな所に閉じ込めてるの、あなた達の方じゃない!? ノエミは、連れて帰るんだから!」


イシリオンは、アリアを睨みつけた。


「連れて帰るだと? ネズミめ、本音が出たな? 聖下様は、決してお前達の思い通りにはさせぬ!」

「イシリオン」


ノエミちゃんが、静かに語り掛けた。


「もう一度言います。そこをどきなさい」

「どきませぬ。この者達は、殿下のご意向を受け、あなた様を連れ去ろうと……」

「タカシ様とアリアさんがお姉さまの命令に従っていると、どうしてそう思うのですか?」

「このタカシとやら、今朝も殿下から下賜された光の武具を身にまとい、勇者の如く振舞っておりました。加えて、このアリアとやらも、共に、殿下と会食を楽しんでおりました。大方、殿下が、昨今の啓示を捻じ曲げて、ご自身の権威をより高めようと、偽の勇者を……」


イシリオンの言葉を、ノエミちゃんが遮った。


「イシリオン、言葉を慎みなさい」


そして、ノエミちゃんは、僕の方に向かって、深々と頭を下げた。


「タカシ様、申し訳ございません。ですが、これ以上、あなた様の名誉が傷付くのを黙って見ているわけには参りません」


ノエミちゃんは頭を上げると、イシリオンとエルザさんに向き直った。


「そちらにいらっしゃるタカシ様こそ、啓示にあった異世界より降臨した勇者様その人です」

「なっ!」


その場の全員が絶句した。

しばしの沈黙の後、イシリオンが口を開いた。


「それは……まことでございましょうか?」

「間違いありません。何より私が、光の巫女として、自身の目で確かめました」

「しかし……それなら……」


イシリオンの目が泳いだ。


「聖下様は、なぜ最初にその事をお話にならなかったのですか?」


ノエミちゃんが、微笑んだ。


「タカシ様は、謙譲を美徳とされるお方。自身のお力を広く誇示される事を喜ばれなかったからです」


どうやら、ノエミちゃんは、僕の気持ちを推し量って、今の今まで、僕について、王宮の誰にも説明していなかったようだ。

実際の僕は、謙譲の美徳とか関係なく、ややこしい事に巻き込まれたくなくて、ただ逃げ回っていただけなのだが……

それはともかく、ノエミちゃんの口から、“僕が異世界の勇者だ”という話が出てしまった。


険しい表情を浮かべたイシリオンが、身構える僕に、問いかけてきた。


「貴様……今の聖下様のお話、まことか?」

「……自分に勇者とかそういう自覚は無いけれど……」


僕は、そこで目をつぶって、一度深呼吸した。


「僕が、この世界の人間じゃないのは、確かだ」

「タカシ!?」


アリアが、これ以上ない位、大きく目を見開いた。


「ごめんね。今まで黙ってて。なかなか言い出せなくて……」


僕は、アリアに、頭を下げた。

そして、改めてイシリオンとエルザさんに話しかけた。


「とりあえず確認したいんだけど、あなた方は、ノエミちゃんを閉じ込めてるわけじゃ無い?」


僕の言葉に、イシリオンがやや憤慨した様子で返事した。


「何を馬鹿な事を。我等は閉じ込められている聖下様に、これ以上危険が及ばないよう、こうしてお守りしているのだ」

「ノエル様が、ノエミちゃんをここに閉じ込めた?」

「そうだ」

「ノエル様が命令したって証拠は?」

「証拠も何も、昨夕の晩餐会の後、聖下様は、陛下のご命令との事で、ここへ無理矢理連れて来られたのだ」

「ノエル様は、陛下じゃ無いですよね?」


僕の問い掛けに、イシリオンがイライラした様子で答えた。


「陛下は床に伏せっておられる。命令をお出しになれる状況には無い。殿下が陛下の名を借りて出した命令としか考えられない」


イシリオンの言葉に、僕は違和感を抱いた。

彼の言葉をそのまま受け取れば、彼は、ノエル様が直接そうした命令を下した場面に遭遇した訳では無さそうだった。


「その命令、もしかして、ガラクさんから伝えられたのではないですか?」


イシリオンの顔に驚きの表情が浮かんだ。


「どうしてそれを……?」


やはり、あの“立体映像”通り、ガラクさんがこの件に関与しているのは間違いないようだ。

問題は、この件の黒幕が、ガラクさん止まりなのか、さらに上に誰かいるのか……


「イシリオンさん、【黄金の牙アウルム・コルヌ】とその族長アク・イール、御存知ですか?」


イシリオンが怪訝そうな顔になった。


「もちろん知っている。が、なぜいきなり彼等の話を持ち出した?」

「アク・イールは、ガラクさんから命じられて、ノエミちゃんをさらったんだ」

「なんだと? 本当か!?」


僕は、アク・イールを倒して【アク・イールのネックレス】を手に入れた事、王宮の地下牢からターリ・ナハを連れ出した事、そして、ターリ・ナハから聞いた【黄金の牙アウルム・コルヌ】の話と、あの“立体映像”の中で見た“真実”について語った。


僕の話を聞き終えたイシリオンの表情がほころんだ。


「なるほど……。しかし、当代の勇者は、見かけとは裏腹に随分豪胆な男なのだな」

「えっ?」

「アールヴの治安維持を一手に任されている光樹守護騎士団団長たる私の前で、王宮地下牢から咎人とがびとを脱獄させた、と堂々と宣言するのだからな」

「あっ……」


つい勢いで色々喋っちゃったけど、この話、イシリオンの前ではまずかったかな?


しかし、イシリオンは、僕の心配を他所に、苦笑いを浮かべながら、言葉を続けた。


「いずれにせよ、ターリ・ナハなる人物が収監されていた、という話自体が初耳だ。私に知らせず収監していた、という事なれば、やはり、その娘も此度の一連の事件の被害者だったと判断すべきだろう」


そう話すと、イシリオンは、僕に向き直って、軽く頭を下げてきた。


「私とした事が、過ちを犯すところだったようだ」

「過ち?」

「どうやらお前は、殿下の用意した偽者では無く、本物の勇者のようだ」


よく分らないけれど、イシリオンは、僕を敵では無いと判断してくれたようだ。

先程まで僕に向けられていた殺気が、今は嘘のように消え去っていた。

エルザさんが、僕とアリアに微笑みかけた。


「立ち話もなんですし、こちらへ」


僕等は、エルザさんの案内で、ノエミちゃんが“閉じ込められている部屋”に案内された。

部屋は、案外広く、内部も落ち着いた上品な調度品が設置されていた。


少なくとも、暗く冷たい場所に幽閉って感じじゃなかったんだな……


僕が少しホッとした顔をしているのに気付いたのであろう、エルザさんが教えてくれた。


「一応、静養の為、という事になっておりますので」


そう言えば、ノエル様も神樹の間でそんな話をしていたな。


僕がそんな事を考えていると、エルザさんが、僕に頭を下げてきた。


「先程は申し訳ございませんでした」


先程……

イシリオンと一緒に、僕を攻撃した事を言ってるのかな?


「別に謝って頂かなくても結構ですよ。エルザさんも、ノエミちゃんを守ろうとしての事、と理解してますし」

「ご理解頂きまして、ありがとうございます」


僕とアリアは、エルザさんに勧められて、部屋の中のソファに腰を下ろした。


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