第79話 F級の僕は、エレンに唇を奪われる


5月20日 水曜日15



僕が差し出した魔石を目にしたターリ・ナハは、怪訝そうな顔をした。


「これは……?」

「売れば、そこそこの金額になるでしょ? 当面の生活費に使ってよ」

「こんなに受け取れません」

「でも、君には君のしたい事、きっとあるでしょ? その足しにして。もし、いつか返したいって思うなら、出世払いでも良いし」


事情はどうあれ、アク・イールを殺したのは僕だ。

僕には、ターリ・ナハを手助けする義務がきっとあるはず。

死の直前、アク・イールがネックレスの話を持ちだしたのも、僕にこうして欲しい、と願ったからに違いない。


……こう言えば聞こえは良いが、自分でも分かっていた。

これは、僕の贖罪、僕の偽善。


二三回の押し問答の末、結局、ターリ・ナハは、魔石を受け取ってくれた。


僕は、改めてエレンに話しかけた。


「じゃあ、行こう」


エレンが僕の手を取った。

次の瞬間、視界が切り替わった。

一瞬の後、僕等は、王宮内の廊下の一角に転移していた。

そこは、僕にとっては見覚えの無い場所であった。

僕は、エレンに囁いた。


「えっと、僕の部屋って、どっちかな?」

「あっち。まっすぐ行って、突き当りを右」

「ありがとう」

「それじゃ」


エレンがいつものようにそっけなくどこかへ転移しようとした。

僕は、慌てて彼女に声を掛けた。


「待って」

「何?」

「今夜は色々ありがとう」


黒いローブに隠れたエレンの口元に僅かな微笑みが浮かんだ気がした。


「明日から、レベル上げ頑張って」

「うん。頑張るよ。早くエレンを第110層に連れて行ってあげないといけないとね」

「早くレベルを上げて……あいつを……」

「あいつ?」


エレンは、ハッとしたように口をつぐんだ。


「気にしないで」


さっきも口にしていた“あいつ”。

エレンですら、どうにも出来ない相手がいるのだろうか?

そんな相手を、エレンは、レベルさえ上げれば、僕ならどうにか出来ると思っているのだろうか?


それはともかく、僕がエレンを呼び止めたのは、お礼を言うのともう一つ……


「前から思ってたんだけど、僕からエレンに連絡取る方法って無いかな?」


僕の言葉を聞いたエレンは、小首を傾げた。


「あなたから私に連絡?」

「うん。ほら、今ならレベル上げ行けるよ~とか、僕から知らせる事出来たら便利でしょ?」


エレンは、少し考える素振りを見せた後、顔のフードを取り去った。

そしてやおら、僕の両頬を両手で挟み込んだ。


「えっ?」


戸惑う僕の顔に彼女の顔が近付いてきて……

僕の唇に彼女の柔らかい唇が重なった。

その瞬間、何かが僕の中に流れ込んできた。



紅蓮の炎に包まれる世界。

悲鳴、叫喚、憎悪、絶望……

一人のうずくまる少女。


「私を殺して……」


紅蓮の炎を背景にして、黒い人型のシルエットが浮かび上がってくる……



「!?」


視えた物の理解に、僕の頭が追い付く前に、エレンの唇は離れていた。


「今のは……?」


視えた物のせいか、された行為のせいか分からないけれど、僕の心臓は、かつてないほどバクバク言っている。

そんな僕とは対照的に、落ち着いた声でエレンが答えた。


「パスを繋いだ」

「パス?」

「そう。これであなたは、念じるだけで私と連絡が取れる」


テレパシーみたいなものだろうか?


僕は、試しにエレンに向けて、心の中で呼びかけてみた。


『エレン、聞こえる?』

『聞こえる』


不思議な感覚。

目の前のエレンは、口を全く動かしていない。

なのに、彼女の言葉は、直接頭の中に聞こえて来た。


「じゃあね」


そう口にすると、エレンは今度こそ、どこかへ転移して去って行った。

僕は、気を取り直して、自分の部屋へと戻る事にした。

エレンに教えて貰った方向に進み、突き当りを右に曲がると、見慣れた僕の部屋の前の廊下に出た。

僕の部屋の前に、メイド姿のエルフの女官が1人立っているのが見えた。

近付いてみると、それは、アリアを僕の部屋まで案内してくれた女性であった。

彼女は、僕からノエミちゃんへの伝言を受け取った後、“殿下”の部屋の中に消えて行った。


その後、戻って来たって事かな?


彼女は、僕と目が合うと、一礼してきた。

僕も彼女に会釈を返しながら、話しかけてみた。


「こんばんは。ノエミ様に伝言、届けて頂けましたか?」

「はい」

「ノエミ様は何と?」

「それは……」


彼女が少し困ったような顔になった。


「伝言をお伝えしただけですので」

「そうですか……」


残念ながら、僕の力量では、彼女の表情その他から読み取れる情報は何もなかった。

僕は、彼女に軽く頭を下げると、部屋の扉を開け、中に入った。


部屋の中、僕のベッドの上で、アリアが横になっていた。

近付いてみると、気持ちよさそうに、スースー寝息を立てている。


待たせ過ぎちゃったかな……


僕は、彼女にそっと布団を掛け、再び部屋の扉の方に向かった。

扉を開けると、先程の女官が、先程と同じ姿勢のまま立っていた。


彼女は、アリアを部屋に送り届けようと、こうして待っているのではないか?


そう思った僕は、彼女に声を掛けた。


「すみません。アリア、もう寝ちゃってるみたいなんですよ」


僕の言いたい事を察してくれたらしい女官は、僕に一礼した。


「かしこまりました。それでは、おやすみなさいませ」


女官が、その場から立ち去るのを確認した僕は、扉を閉め、再度部屋の中に戻った。


ベッドは、アリアが寝てるし、僕は、ソファで寝よう……


僕は、ソファの方に移動した。

そして、インベントリを呼び出し、装備を変更すると、そのままソファで横になった。


今日は、色んな事がありすぎた。

明日は、神樹の間で神様の言葉を聞く日だ。

ノエミちゃんにも会えるかな……


目を瞑ると、やはり僕も疲れていたのであろう。

すぐに夢の世界へといざなわれた。




5月21日 木曜日1



「おはよう!」


まだ眠い目をこすりながら身体を起こすと、傍にアリアが立っていた。


「昨日は、遅かったね?」

「昨日……」


僕は、立ち上がると大きく伸びをした。


「アリア、おはよう。昨日は、ちょっと色々あってね……」


僕は、昨晩この部屋を出て、再び帰ってくるまでの出来事を、簡単に説明した。

アリアは、特に、僕が『暴れる巨人亭』でターリ・ナハから見せてもらった立体映像の話に強い関心を示した。


「……それ、絶対、ガラクって大臣は、誰かの伝書鳩よね?」

「僕もそう思う。でも、至尊が、女王陛下って意味なら、ちょっとおかしいような気もするけどね」

「きっと、あの王女様が、女王陛下の意思って事で、命令出したんだよ」


やはり、ノエル様がこの件に関わっているのだろうか?

今日、神樹の間に、ノエミちゃんが現れるかどうかは、一つの判断材料になりそうだけど。


そんな事を考えていると、扉がノックされた。


―――コンコン


「はい、今開けます」


扉の向こう側には、僕の知らないメイド姿の女官が、立っていた。

彼女は、僕の顔を見ると、一礼した。


「朝食をお持ちしました」


彼女の傍に、二人分の料理が積まれたワゴンがあった。


「どうぞ」


僕の言葉に、女官は再度一礼して、ワゴンを押しながら、部屋の中に入ってきた。

そして、慣れた感じで、テーブルの上に、二人分の料理を並べ始めた。


パン、野菜にフルーツ、何かの肉料理、スープ、紅茶の様な飲み物……


美味しそうな見た目と匂いが、僕の食欲を刺激した。

朝食の準備を済ませた女官は、再度一礼した。


「外でお待ちしておりますので、終わられましたらお知らせ下さい。」


彼女がワゴンを押して退出した後、僕は、早速、アリアに声を掛けた。


「美味しそうだね。早く食べよう」

「待って!」


アリアは、なぜか僕を制止すると、パンの一つを手に取り、匂いを嗅いだ。


「どうしたの?」


しかし、アリアは、僕の言葉に答えず、難しそうな顔のまま次々と料理を手に取り、匂いを嗅ぎまくっている。

そして、やおらひとちた。


「……大丈夫かな?」

「だから、どうしたの?」


僕の言葉に、ようやくアリアが返事をした。


「毒でも入ってたら嫌だな~って」


僕は、思わず噴き出してしまった。


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