第65話 F級の僕は、黒装束の男に頼み事をされる


5月20日 水曜日1



建物の影から飛び出した僕は、夜空を赤く照らす一角へ向かって、暗い夜道を走った。

通りの角を曲がるとすぐ前方に、炎上する大きな建物が見えて来た。

急いで近付くと、その建物の周りで、大勢の人々が立ち騒いでいた。

その中の一人が、僕の姿を見て、駆け寄ってきた。


「タカシ!」

「アリア!?」

「いないから、心配したよ! どこ行ってたの?」

「ちょっと散歩に……」


苦し紛れの言い訳を考えながら、周囲の状況を確認すると、カイスやドルムさん達も呆然とした様子で、炎上する建物を眺めている事に気が付いた。


「何があったの?」

「見ての通りよ。気付いたら宿屋が火事で、ちょうどいま、皆、慌てて逃げ出したところよ」


どうやら、燃えているのは、僕等の今夜の宿だったはずの建物らしい。

寝ている内に到着してしまった僕は、今、初めてその外観を目にする事になった。

もっとも、炎上中なので、元の外観は、結局、分らず仕舞いになりそうだけど。


カイスが、僕に気付いたらしく、声を掛けてきた。


「ノエミさんを知らないか?」

「えっと……」


どうしよう?

ノエミちゃんは、今、エレンと一緒に、少し向こうの建物の影にいるはず。


と、ふいに後ろから呼びかけられた。


「皆さん、これは……?」

「ノエミちゃん!?」


ここにいないはずのノエミちゃんの姿に、僕は、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。


「ノエミさん、無事だったんですね!」


カイスやドルムさん、他の周りの人達も集まってきた。

ノエミちゃんは、周囲の人々に少し視線を向けた後、ぺこりと頭を下げた。


「ご心配をおかけしましたようで、申し訳ありませんでした。極めて個人的な相談事を聞いて頂こうと、タカシ様を夜中の散歩にお誘いして、今、戻って来たところで御座います。一体、何があったのでしょうか?」


カイスが、大仰な身振りで説明を始めた。


「何があったのかは、よく分からないんだ。いつの間にか、宿屋が炎上していてね。まあ、僕の英雄的な働きで、淑女の方々には、お怪我も無く、速やかに避難して頂けたのだが……」

「あんたのお陰じゃなくて、最初に気付いて皆を起こして回ったのは、私なんですけど?」


カイスの言葉に、アリアが、口をとがらせて反論した。


それにしても、いきなり宿屋が炎上するなんて、おかしい。

一昨日の、ノエミちゃん拉致騒ぎ、昨日の日中、『誰かに頼まれて』襲撃してきたリザードマン達、そして、今夜の火事……


僕は、密かに【看破】スキルを発動した。

そして、そのまま周囲にそっと目をやった。

すると、あの黒装束の人物が、滑るように、近付いて来るのが見えた。


「皆、気を付けて!」


僕は、ヴェノムの小剣を抜き放ち、その黒装束の人物に斬りかかった。


―――ガキン!


黒装束の人物は、手に持つ小剣で僕の小剣を弾くと、後ろに飛び退いた。


「何だ!? 何が起こってる!?」


カイスが、狼狽したように叫びながら、剣を抜いた。

アリアやカイスの仲間の女冒険者達も同じく慌てた様子で、身構えているのが見えた。


どうやら、僕以外の人々には、この黒装束の人物の姿は、見えていないようであった。


「昨日の襲撃者だ! 皆、下がって!」


僕は、そう叫ぶと、再び黒装束の人物に向き直った。


「お前は、一体何者だ? なんで、こんな事をする?」


黒装束の人物は、無言のまま、小剣を突き出してきた。

それを僕がかわした瞬間、その人物は、僕の顔目掛けて、何か粉のような物を投げつけて来た。


「うわっ!?」


僕は、それを避け切れず、まともに顔に浴びてしまった。

そして、少なくない量が、目の中に直接入った。

焼けつくような痛みで、僕は、目を開ける事が出来なくなった。

思わず目を押さえてしゃがみ込んだ僕の脇を、黒装束の人物がすり抜けて行くのを感じた。


まずい、このままだと他の皆やノエミちゃんが、また……


「【影分身】……」


僕は、【影】を呼び出してみた。

そして、あの黒装束の人物を攻撃するように“命令”した。


―――ズシャッ!


「ぐ……ぬ?」


あの黒装束の人物のものと思われるうめき声が聞こえて来た。

どうやら、目をやられていても、呼び出した【影】は、ちゃんと相手を攻撃できるようだ。


―――ガキキン!


黒装束の人物と【影】が小剣を打ち合う音が、聞こえて来た。

僕は、手探りで、腰のベルトに差していた神樹の雫を取り出すと、アンプルの首を折り、それを飲み干した。

たちまち、目の痛みが消え去り、僕は、再び視界を取り戻した。

立ち上がると、【影】と黒装束の人物とが、激しく斬り結んでいるのが見えた。

そして、その様子を呆然と眺めるアリアやカイス達の姿も見えた。


黒装束の人物を認識出来ない彼等の目には、恐らく、黒い【影】が、見えない何かと戦っていると言う、異様な光景が映っている事だろう。


僕は、黒装束の人物の背後に近付き、思いっきりヴェノムの小剣を突き出した。


―――ドシュッ!


不意打ちの形になった攻撃で、ヴェノムの小剣の刀身が、柄の根元まで、相手の身体の中にめり込んだ。

そして、僕は、肉を抉りながら、斬り裂いた。

血飛沫ちしぶきが舞った。



―――ピロン!



ヴェノムの小剣による【毒】が発動しました。アク・イールは、【毒】に冒されました。



「うぐっ……」


アク・イールなる黒装束の人物が、呻きながらよろめいた。

僕は、MP消費の激しい【影分身】のスキル発動を停止した。

【影】は、溶けるように僕の足元に吸い込まれて消えていった、

僕は、間髪入れずに再びアク・イールを斬り裂き、その身体を地面に押し倒した。


「が……は……」


そして、そのままアク・イールの上に馬乗りになり、動けないように抑え込んだ。

毒に冒され、深手を負っているはずのアク・イールは、それでも、逃れようと身をよじった。

僕は、アク・イールの右肩にヴェノムの小剣を突き立て、そのまま地面に縫い付けた。


「お前の負けだ!」


僕は、アク・イールの顔のフードをぎ取った。

フードの下の顔は、エレンから聞いていた通り、やはり獣人のものであった。

狼のような耳、顔にはいくつもの古い傷跡、そして、苦し気に歪む年配男性の顔。

アク・イールは、苦しそうな声を返してきた。


「見事だ……お前は、一体、何者だ?」

「お前には関係ない。降参しろ」


今、アク・イールは、深手を負い、なおかつ毒に冒されているはず。

どれ位のペースでHPが減少しているのか定かでは無いが、このまま治療を受けなければ、確実に命を落とすだろう。

少しでも生に執着があれば、降参させられるかもしれない。

そして、こいつを降参させる事が出来れば、こいつの背後にいるであろう、何者かの情報を引き出せるかもしれない。


しかし、僕の期待とは裏腹に、アク・イールの苦し気な顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。


「降参しろだと? 久しく聞かない冗談だな」

「だけど、このままだと死ぬよ?」

「この任務にいた時から、死は元より覚悟の上だ」


僕は、腰のベルトに差した神樹の雫を見せてみた。


「誰に頼まれた? それを話せば、神樹の雫を飲ませてやる」

「ふ……お前のような強者が……光の巫女の護衛にいていたとはな……」

「!」


ノエミちゃんの素性を知っている!?

ノエミちゃんは……確か、光の巫女は、その任務を後継者に譲るか、王位を継承するまで、その存在をとくされると語っていた。

と言う事は……


「ノエミちゃんのお姉さんに頼まれたのか?」


アク・イールは、それには答えず、苦し気な息をつきながら、話しかけて来た。


「お前に……頼みがある」

「頼み?」

「私が死んだら……私のネックレスについている……ロケットペンダントを……」

「ロケットペンダント?」

「王宮の……地下牢に……ぐふぅ」


アク・イールは、吐血して、動かなくなった。



―――ピロン!



聞き慣れた効果音と共に、ポップアップが立ち上がった。



アク・イールを倒しました。

スキルを奪いますか?

▷YES

 NO



スキルを?

奪う?


呆然とする僕に、アリア達が駆け寄ってきた。


「タカシ!」


抱き付いて来たアリアを受け止めながら、僕は、目の前に立ち上がったポップアップを、ただ、見つめていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る