60.アイスピックからの脱出

 鋭いアイスピックのニードルが手術室の冷たい照明に光り、ゆっくりと沖田に近づいてきた。

 沖田は拘束具で固定された上、更に屈強な兵士と看護士が上から押さえつける。

 看護士の一人がまぶたの裏にスパーテルが差し込もうと、まぶたの端を持ち上げた。

「お前ら全員ウェルダンにしてやる」

 沖田の全身からみるみる煙が上がり、室内に煙がたちこめ始める。

「王女と女王、どちらかが陵辱された上死ぬことになるが、やってみるかね?」

 ニコライの義理の甥を名乗るセルゲビッチの目が、丸眼鏡の奧で異様に光った。

「チッ」

 さも忌々しく舌打ち一つして沖田が大人しくなった。

 嬉しそうに沖田を見つめるとセルゲビッチが、

「前回の被験者は、泣き叫んで慈悲を請うたがね」

 その異様な色をした眼で沖田のまぶたの奧を覗き込む。

 多くの人達を実験台として利用し苦痛を与えてきた彼にとって罪悪感などは既に存在しないようだ。与える苦痛と絶望を想像して自我の欲求が満たされることに狂気している。

「さてさて、脳の損傷も、その超常の力で修復されるのかな」

 緊張と期待で頬を震わせむしろ青白くなった顔を沖田に近づけてくる。

 歯を食いしばり、体を硬直させた沖田が固定され動かせない体をのけぞらせた時だった。

 室内に備え付けられているスピーカーから聞き覚えのある曲が流れてきた。

 当時、日本の音楽界で大ヒットしているそのユニットの、去りゆく彼女をレジスタンスに例える曲が、今の状況にふさわしいのかどうなのか分からないが、沖田、吉川、小坂にとって、合図としては十分過ぎた。

 セルゲビッチは悲鳴を上げる間とてなかった。

 沖田達が拘束具を引きちぎり、或いは、盤台の上に置かれたナイフで切り裂くと、瞬く間に重装の警護兵と看護士達をなぎ倒す。

 沖田の燃える右手がセルゲビッチの顔をわしづかみにした。

 自分の頭がゆっくり燃えていく感覚に、セルゲビッチがあっという間にパニックになり、持っていたアイスピックで沖田をめった差しにした。

 最後に肩甲骨に当たって止まったアイスピックを見つめたセルゲビッチの眼が、真っ黒な絶望に染まっていった。

「残念だったな。サディストの甥っ子」

 沖田の右手の中でセルゲビッチの頭部が黒く炭化してはじけ飛んだ。

 

 冷たいタイル張りの床の上に裸足で立つと背筋の奧が一瞬震えたが、三人は急いで倒した兵士から装備を剥ぎ取り始めた。

「おまえらいつ来たんだ?」

「まずは、ありがとうでしょ、沖田君」

 室内のスピーカーから長島ののんびりした声が響いた。

「マユミ先輩がね、先に飛び出しちゃったもんだから、慌てて追ってきたところを、マルコ爺が待ち伏せててね」

「マユミが?!」

 吉川が驚いてスピーカーを見上げる。

「愛されてるねぇ、吉川君」

 スピーカーの向こうで長島がちゃかした。

「で、どうやって潜入したんだ?」

 倒した警備兵の迷彩服とコンバットブーツを履いた沖田が今度はボディアーマーと上着を剥ぎ取りにかかる。

「ハイテク部とアマチュア無線部でこの騒ぎの中、城内にスニーキングミッションですわ」

 横で作業をしているのか、何かをガチャガチャやっている長谷川の声が奧から聞こえる。

「目下、この城の監視、放送網と通信の一部は、武蔵野大付属高校ハイテク部とアマチュア無線部が掌握中」

「どうせ来てるんだろうから聞くけど、その他は?」

 とこれは吉川。

「フレデリックに引率されてパトリックと一緒に女王の救出に向かったよ」

「元グリンベレーとイギリス王室も来てんのかよ」

「大江編集長は記事のネタがありすぎちゃって、カメラと取材メモをぶん回して狂気乱舞してたよ」

「なんで楽しそうなんだかね。修学旅行じゃあるまいし」

 呆れ声で沖田が言い、小坂が片目をつぶって口の端で笑って見せた。

「で、俺らは姫の救出で良いんだな」

 切り裂いたシーツなどで大きめの装備を上手く調整して一式装備した小坂が、大きめのコンバットナイフの刃先を確かめる。

「そいつらの無線機を持っていってくれ。姫のところまでナビゲーションするよ」

「そっちは大丈夫なんだろうな?」

「まーかせてー。いざとなったら逃げ道は確保してあるので」

 身長190センチ以上の兵士から剥ぎ取った装備のため、全員だぼだぼな感じは否めないが、それでも今のところの戦闘準備としては十分な形が整った。

「さてさて、今度こそ姫を救出しますか」

「いよいよエンディングだな」

「まってろよーエリサ」

 一応三人でフォーメーションを組むと、室外の状況をミラーで確認しながら順に出て行く。

「悪い知らせもあってね」

 無線機のイヤホンから長島が、

「けっこうな規模のソビエト軍が国境を超えて侵攻してきているらしい。それと」

「まだあんのかよ」

「アメリカの特務部隊も潜入しているみたいだよ。検体としてヤンキーどもに拉致られないようにね」

 案外まじめな長島の声がイヤホンに響く。

「まったく、キチガイどもの欲望はつきないな」

 心底呆れ声で沖田が言った。


To be continued.

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る