第448話 訪日
フラヴィアさんの店で買った一張羅に袖を通し、姿見の前に立ちました。
床屋に行くのを忘れていた髪は、髪油でまとめてオールバックに撫で付けてあります。
「どうかな?」
「うん、格好いいよ健人」
「ありがとう」
いよいよ、ディートヘルムが日本を訪問する当日となりました。
僕や唯香にとっては、一つの大きな節目となる日です。
カミラによって召喚されてから、本当に色々なことがありました。
何人もの知人を失いましたし、僕自身何度も命を落としかけました。
たくさんの人と出会い、たくさんの人の手を借りて、召喚された207名のうち帰国を希望した人は、亡くなった船山たちを除いて全員が帰国を果たしました。
日本で校舎の崩壊に巻き込まれて命を落とした方、怪我をされた方への賠償と謝罪が正式になされる事で、事件は一応の解決となります。
勿論、船山の父親をはじめとして、亡くなられた方の遺族や、重い後遺症に苦しむ方は、とても事件が終わったとは思えないでしょう。
それでも、今日の式典を一歩でも、二歩でも前に進む切っ掛けにしてもらえればと思っています。
「じゃあ、行ってくるね」
「うん、頑張ってね」
「まぁ、そんなに頑張るってほどの仕事はしないけど、頑張ってくる」
唯香、マノン、ベアトリーチェ、セラフィマ、四人とハグした後、唯香の父親、唯生さんと握手を交わしてから闇の盾を通って影の世界へと潜りました。
まず、スマートフォンを取り出して梶川さんに連絡を入れます。
「おはようございます、国分です」
「おはよう、国分君。今日はよろしく頼むね」
「はい、これから迎賓館の闇ゴーレムの配置をチェックしたら、リーゼンブルグに向かいます」
「予定の時間までは、まだ30分あるから余裕だね」
「送還の様子は生中継されると聞いてますけど……」
「地上波、BS、インターネット配信……全てで生中継する予定だけど、リーゼンブルグの皆さんが到着して国分君からOKが出るまでは、部屋にはカメラだけで誰も入らないよ」
「僕がOKを出した後も、入室されるのは政府関係者だけなんですよね?」
「そうだよ、記者からの質問を受けるのは、全ての式典が終わってからの一度きり、それも時間を制限して行う予定だ」
「了解です。では、リーゼンブルグの準備が整ったら、また連絡します」
「よろしく」
通話を終了して、スマートフォンをポケットに仕舞い、向かった先は赤坂迎賓館の東の間です。
今日のために床には特別なマットが敷かれ、その周囲に闇属性のゴーレムを配置してあります。
表には出ず、影に潜ったままで部屋の隅々までチェックしましたが、当然不審な人や物は見当たりません。
今日の警備は梶川さん曰く、日本の威信をかけた警備だそうです。
迎賓館の内部には、警備を担当する者でさえ厳重な身元調査をクリアーしないと立ち入れないそうです。
マスコミ関係者も、民放各社と大手新聞社、出版社に限られ、あらかじめ参加者のリストを提出させているようです。
マスコミ側からは、取材制限だ……とか、プライバシーの侵害だ……なんて声も上がったそうですが、頑として取材条件の変更は行われなかったそうです。
東の間の内部には、ディートヘルム達を送還するためのマットに向かって、数台のテレビカメラが据え付けられています。
パイロットランプが点灯している所をみると、既に映像は送られているのでしょう。
闇の盾から首だけ出して、お分かりいただけただろうか……的な映り込みをしちゃおうかと思ったけど、後で怒られそうなので止めておきましょう。
大丈夫だと思いますけど、一応テレビカメラの内部も影の世界経由でチェックしましょうかね。
みんな業務用のカメラばかりで、内部の詳しい構造とかは分かりませんが、爆薬が仕組まれているとかは無さそうです。
「あれっ? なんだこれ?」
『どうかなされましたか、ケント様』
「うん、ちょっとこれは変だね……」
5台ほどあるテレビカメラには異常は見当たらなかったのですが、1台おかしな三脚があります。
普通の三脚は、物理的にカメラを支える道具なので、電子機器は組み込まれていないはずです。
5台ある内の4台は普通の三脚に見えますが、1台だけ足の部分にケーブルが刺さっていました。
足の内部も覗いてみると、本来中空である場所に何かは分からない物質が詰め込まれ、そこに電線が差し込まれているようです。
これって爆発物じゃないんですかね。
急いでスマホを取り出して、梶川さんに連絡を入れました。
「準備できたかい、国分君」
「いえ、まだ迎賓館にいるんですが、ちょっと気になることがありまして……」
「気になること……?」
怪しい三脚を見つけた状況を説明すると、やはり爆発物である可能性が高いようです。
「マットの方向から見ると右から2台目のカメラだね?」
「はい、カメラは三脚の下に置いてあるノートパソコンに繋がっているようです」
「分かった。ネット配信用のカメラのようだ」
「梶川さん、これって下手に移動させようとすると、遠隔操作で爆破させられるんじゃ?」
「そうだね。ちょっと厄介だね。国分君、そのカメラだけ別の場所に送ることは可能かな?」
「いいえ、三脚が重なり合うように置かれているんで、この一台だけを送還するのは無理ですね。ちょっと写真撮って送ります」
さすがに特別仕様のスマホだけあって、無音でシャッターが切れちゃいます。
カメラの配置を後ろから撮影した画像と、三脚の脚に刺さっているケーブルのアップを撮影した画像を送信しました。
「国分君、このノートパソコンだけを別の場所に飛ばすことは可能かな?」
「はい、それでしたら可能です。でも、どこに送還します?」
「ヴォルザードからの帰還に使っていた、練馬駐屯地の倉庫はどうだい?」
「はい、目印さえ設置すれば可能です」
「リーゼンブルグの使節団を迎えるのに影響は無い?」
「異世界またぎじゃないので、そんなに魔力使わないから大丈夫でしょう」
「では、やってもらえるかな。ノートパソコンを飛ばし終えたら、カメラと三脚も排除するから教えてほしい」
「了解です、じゃあ、ちょっと準備します」
日本の威信をかけた警備という割には、ちょっと杜撰じゃありませんかね。
とりあえず、練馬駐屯地に移動して、闇属性のゴーレム……と思ったのですが、迎賓館で使ってしまっているので、マルト達に協力してもらいます。
「これから、送還術の目印をやってもらうけど、マルトはここ、ミルトは……ここ、ムルトは……ここね」
「わぅ、ご主人様、こんなに離れてていいの?」
「うん、いいのいいの。もしかして、爆発……ドーンってしちゃうかもしれないから、物が送られてきたら、すぐに影に潜ってね」
「わふぅ、分かった」
カメラの中身は確認しましたが、ノートパソコンの中身は確認していないので、もしかすると爆発する恐れがあります。
念には念を入れておいた方が良いですからね。
「梶川さん、国分です。じゃあ始めますね」
「よろしく頼むね」
「送還!」
迎賓館東の間から姿を消したノートパソコンは、無事に練馬駐屯地に送られたようです。
「わぅ、ご主人様、ドーンしなかったよ」
「そっか、ドーンしたかった?」
「わふぅ、ドーンしないの?」
「また今度ね」
ちょっと残念そうなマルト達を撫でていると、SPらしき人が東の間に入ってきて、疑惑の三脚とカメラを持ち出していきました。
爆発物処理班って、もっと物々しい格好だったと思ったけど、そんなに簡単に持ち出しちゃって大丈夫なんですか。
5分ほど経つと、梶川さんから電話が来た。
「国分君、ではリーゼンブルグの準備を進めてもらっても良いかな?」
「はい、このまま予定通りに進めるんですね?」
「一応、予定通りだけど、記者会見とかは中止になるかもしれない」
「分かりました、一応予定通りということで進めます」
「よろしく頼むね」
通話を終了して、今度こそ王都アルダロスへと移動しました。
王城では、ディートヘルムやグライスナー侯爵、宰相候補のトービルなどが顔を揃えています。
日本を訪問する一行から見えやすい場所に闇の盾を出し、表に出ながら声を掛けました。
「おはよう、ディートヘルム。準備はできているかな?」
「おはようございます、魔王様、万端整えてお待ちいたしておりました」
「結構。おはようございます、グライスナー侯爵。今日はよろしく頼みます」
「おはようございます、魔王殿。街を見られないのは残念ですが、役目を果たしてきますぞ」
リーゼンブルグの準備は整ったので、闇の盾を出して、梶川さんに電話を掛けました。
「国分です、こちらの準備はオッケーです」
「了解、少し早いけど、送還してもらえるかな?」
「了解です」
スマホの通話は繋ぎっぱなしにして、リーゼンブルグの一行に整列してもらう。
ディートヘルムを中心にして、両脇をマグダロス、ネイサンの両騎士が固め、グライスナー侯爵以下は後方へと並びました。
「もう少し詰めてもらえますか。はい、結構です。これから日本に送還しますが、到着直後から皆さんの様子は多くの人に見られていると思って下さい。急に目の前の景色が変わりますが、慌てず、落ち着いて行動してください」
ディートヘルム達が頷いたのを確認して、送還術を発動しました。
「送還!」
ディートヘルム一行の姿が消えたのを確認して、梶川さんに呼びかけました。
「国分です、どうでしょう、皆さん無事ですか?」
「あぁ、少し驚いた様子をみせているけど、全員体調には問題はなさそうに見えるよ」
「そうですか、では後はお願いしてもよろしいですか?」
「あぁ、お疲れ様、一行が帰国する時に声を掛けるから、それまではゆっくりしてもらってかまわないよ」
「そうさせてもらいます。では、また後程……」
梶川さんとの通話を終了して、スマホを上着のポケットにしまいました。
全然表舞台に出ないから、一張羅を着てくる必要はなかったかな?
「魔王様、お疲れ様でした」
「カミラ、お茶をごちそうしてくれるかな?」
「はい、ただいま……」
ディートヘルム達からは少し離れた場所に控えていたカミラは、薄いブルーのドレス姿です。
騎士の制服みたいな格好をしていた時とは、すっかり印象が変わってお姫様オーラが漂っていますね。
「どうぞ、こちらへ……魔王様?」
応接用のソファーへと案内してくれたカミラを思わず抱き寄せてしまいました。
「ディートヘルム達は日本に送ってしまったから、これから僕らでリーゼンブルグを征服しちゃおうか?」
「魔王様が、お望みとあらば……」
一瞬表情を強張らせたカミラは、ふっと力を抜いて僕に身体を預けてきました。
うん、唯香たちと大人の階段を上がってしまったから、ちょっと調子に乗ってしまいました。
「ごめん、ちょっと冗談を言ってみただけ……」
「分かっております。どうか、これからもリーゼンブルグの民に力をお貸しください」
「うん、出来る範囲のことはするよ。でも僕にばかり頼っていては駄目だからね」
「はい……」
自分で抱き寄せておいて言うのも何だけど、唯香以上のボリューム感でけしからんです。
やはり、早くディートヘルムをリーゼンブルグの国王に据えて、カミラは幽閉するって名目で手元に引き取ってしまいましょう。
応接ソファーの向かい側に座ろうとするカミラを隣に呼び、影の空間からタブレットを取り出しました。
インターネットに接続して、ディートヘルムの訪問を伝えるネット中継を映しました。
「魔王様、これは……」
「日本から中継映像だよ。ディートヘルムの隣にいるのが日本の総理大臣。政治家の一番偉い人だよ」
「これが……先日見せていただいた場所ですね」
「そうそう、日本の赤坂迎賓館ね」
タブレットの中では、日本の井場総理がディートヘルム一行を歓迎し、これから会談を行う部屋へと案内する様子が映し出されています。
本日の主役は、言うまでもなくディートヘルムなんですが、度々グライスナー侯爵が大映しになるのは仕方ないんでしょうね。
一応、顔全体が映るようなアングルですけど、明らかに犬耳を写してますよね。
今回の会談は、とにかくスムーズに終了するように、全ての予定は勿論ですが、会話の内容に関しても事前に打ち合わせが行われています。
召喚によって起こった被害状況や、召喚された者たちのリーゼンブルグでの扱いに対する抗議、それに対してのリーゼンブルグ側の返答、謝罪まで、いわゆる台本が作られている状態です。
召喚される以前の僕だったら、そんなのヤラセじゃないかと憤慨していたでしょうが、当事者として関わっているから必要な措置だと納得しています。
そのままカミラと共に、タブレット越しに会談の様子を見守りました。
「ディートヘルムはかなり緊張しているみたいだね」
「はい、弟は身体が弱かったので、殆ど表舞台に立つ機会がありませんでしたから……それでも、これからは慣れてもらわなければ困ります」
「じゃあ、今日は良い機会じゃない?」
「できれば、もう少し気楽な場所を経験させておきたかったのですが……」
撮影しているのは4Kカメラなんでしょうか、ディートヘルムの顔の強張り具合とか、額に浮いた汗とかも映し出されています。
まぁ、日本政府としても、より良い条件を引き出すなどの交渉をするつもりも無く、円滑に終わらせることを望んでいるのですから大丈夫でしょう。
ちなみに、賠償にあてる金は、昨日のうちに別室に運び入れてあります。
今行われている台本通りの会談の後、金を積み上げてある別室で共同文書に署名が行われる予定です。
これまで、こうした国と国の交渉は、ニュース映像でチラっと見るぐらいで、どういった手順で行われるとか考えたことはありませんでした。
当事者となると、台本があると分かっていても、無事に終わってほしいと心配になるものなんですね。
「魔王様、ご夕食はいかがなされますか?」
「えっ、あぁ……考えてなかったや」
「では、こちらに準備させましょうか」
「うん、いつ向こうに行くことになるか分からないから、簡単なものでいいよ」
「かしこまりました」
現在、リーゼンブルグと日本の時差は約8時間、夕方に出発しても日本は朝で、会談と共同文書への署名を終え、昼食後に帰国するのは日付が変わる頃になるでしょう。
カミラが食事の支度を申し付けている間に、ネット中継とは別のタブレットでネットの反応を見てみました。
ざっと見てみただけですが、賛否両論といったところでしょうか。
肯定的な意見は、井場総理と較べると幼ささえ感じるほど若いディートヘルムが、緊張でいっぱいいっぱいに見える状態で頑張っているところや、実の姉であるカミラに対して王族から除外するという厳しい処分を下した点などが評価されているようです。
一方、否定的な意見としては、そもそもディートヘルム一行が本当に異世界リーゼンブルグから来ていないのではと信憑性を疑われています。
送還の場面は生中継されたのですが、それすらもCGなどの画像処理によるものだと思われているようです。
グライスナー侯爵の犬耳、尻尾に関しても、特殊メイクだ、偽物だといった書き込みが、海外の一部で活発なようです。
異世界だと証明するために訪問してもらったのに、やはり疑いの眼差しを向けられてしまっているようです。
中にはケモ耳のオッサンとか誰得なんだよ、連れて来るならケモ耳巨乳のお姉さんだろう……なんて書き込みもありますが、これは無視してもいいでしょうね。
信憑性を疑う意見は考えものですが、和解に関しては肯定的な意見が多いように感じます。
やはり召喚に伴う被害を認め、謝罪し、日本政府の要求する賠償額を超える金を支払う姿勢が評価されているようです。
ディートヘルムの訪日は、好意的な評価をもって受け入れられそうな感じです。
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