第359話 ちょっとしたアイデア

 ランズヘルト共和国とリーゼンブルグ王国を隔てる広大な森は、かつて起こった木に擬態するトレントという魔物の極大発生によって生まれました。

 トレント自身が木に擬態したまま寿命を迎えたり、カモフラージュのために撒き散らした種が育ち、今の大森林となったそうです。


 魔の森には、トレントの来襲と共に多くの魔物が住み着き、人間から住処を奪いました。

 魔の森が出来た後、人間に出来たのは道を一本通すのみで、その道さえも通り抜けるには大きな困難を伴いました。


 腕利きの冒険者を護衛に雇い、十分な準備を整えなければ自ら魔物の餌になりに行く自殺行為になりかねない。

 当然、道が出来ても通行する者は少なく、魔の森を抜ける往来は途絶えがちになりました。


 魔の森が出来る以前、ランズヘルト共和国はリーゼンブルグ王国の一部でしたが、往来が途絶えがちになってから独立し、現在の形となったそうです。

 僕の最初の眷属、ラインハルト、バステン、フレッドの三人は、国が二つに分かれる以前の騎士達です。


『近頃は、ヴォルザードとリーゼンブルグを行き来する者が増えているようですぞ』

「そうなの?」

『コボルト隊が巡回し、我らも魔物を間引いておりますから、街道付近に限ってですが、以前よりも遥かに安全になっております』


 生前は、一つの国であったリーゼンブルグを憂う騎士だったラインハルトだけに、二つの国の往来が盛んになることが嬉しいのかもしれません。

 セラフィマの部屋を出た後、明日からの魔の森横断に支障が無いように確認に来たのですが、相変わらず僕の出番は少ないです。


 街道や一夜を明かす野営地の準備も、既に万端整っている感じです。

 野営地に至っては、屋根と壁だけの簡素なものですが、風雨をしのげる建物まで用意されています。


「うーん……そうか……」

『ケント様、何かご不満な点がございますか?』

「ううん、みんなの準備には感謝してるよ。それで、この風景を見ていたら思いついたんだよね」

『ほう、また新しいことですな』

「うん、ここに街を作ろうかと……」

『ほほう、イロスーン大森林にあるスラッカのような感じですかな?』

「そうそう、ヴォルザードのミニチュア版みたいな街を作って、より安全に通行できるようにしようかと思ってね」


 ランズヘルト共和国とリーゼンブルグ王国は、必ずしも友好的な関係ではありませんでした。

 ランズヘルトとすれば、自分たちは独立した一つの国だと思っていて、自分たちを治めているかのごとく振る舞うリーゼンブルグを快く思っていなかったようです。


 逆にリーゼンブルグからすると、ランズヘルトは元々は自分たちの領土だという意識があるようで、やはり快く思っていなかったようです。

 ただ、それも魔の森が出来てから年月が流れ、そうした敵対感情を抱く人たちは少数派になりつつあるそうです。


「たぶん、僕が居なくなってから往来を増やせば、なにかしらの衝突が起こると思う」

『逆にケント様が健在なうちならば、衝突を防げますな』

「そう、僕が生きている間に、友好的な関係を深めてしまえば、その後も平和な時代が続くような気がするんだよね」

『なるほど……二つの国の間に街を築くとなれば、権利の問題でも揉めるでしょうし、ケント様のような力が無ければ実現は難しいですな』

「うん、今すぐというのは無理だろうけど、スラッカとかの運営の方法とかも聞いてから実行しようかと思ってる。僕らにとっては、街を作ること自体は難しくないからね」

『ぶはははは、いかにもいかにも、普通の者にとっては、魔の森の只中に街を築くことこそが難事業ですが、我らにとっては造作もありませんからな』


 現在行われているイロスーン大森林を抜ける街道の工事は、想定したペースでは進んでいないようです。

 僕の眷属が時々巡回して、魔物の数を間引いているのですが、それでも工事現場が襲われる事があるそうです。


 勿論、そうした事態は想定して護衛の冒険者も雇っているのですが、襲撃されれば魔物の討伐が終わるまで工事は止まってしまいます。

 襲撃による被害は少ないものの、襲撃の回数が想定を上回っているせいで工事の進行が遅れているようです。


 まぁ、僕の眷属を動員すれば、襲撃自体がなくなるでしょうが、それでは冒険者達の仕事を奪うことになります。

 それに対して、魔の森の中間に街を作る事業は、そもそもやろうという人間がいませんから、他人の仕事を奪う心配は要りません。


「あっ、そうか……街が出来ても移住する人がいないと街として成立しないのか」

『さようですな。ですが、魔王ケント・コクブが築いた街ともなれば、移住を希望する者はいるはずですぞ。それに、最初から移住しなくとも、ヴォルザードとラストックの往来が増えれば、自然と人は集まって来るものです』

「そうだね。往来が増えれば、確実に商売になる立地条件だもんね」


 セラフィマの到着予定を知らせるついでに、街の話をクラウスさんに相談してみることにしました。

 クラウスさんの姿は、ギルドの執務室にありました。


 クラウスさんの机の前には、ドノバンさんの姿もあります。

 これはこれは、珍しく仕事をしているみたいですね。


「以上が今回の被害状況です」

「そうか、結構農地も水をかぶったみたいだな」

「はい、それとダンジョンに向かう橋ですね」

「ダンジョン自体には、影響は出ていないのか?」

「それについては、向こう岸に渡れていないので、何とも……」


 どうやら豪雨は、ヴォルザードにも大きな被害をもたらしているようですね。

 ダンジョン上の岩山には、石材の切り出しに行きましたけど、ダンジョンや近くの集落がどうなっているのかまでは見ていません。


 そう言えば、ダンジョン近くの集落は、殆どが地下に作られているはずですが、水没したら大変な被害が出るんじゃないですかね。

 この場合は、一旦廊下に出てから声を掛けた方が良さそうですね。


 一度、廊下に出てドアをノックすると、不機嫌そうなクラウスさんの声が聞こえました。


「誰だ!」

「ケントです。入ってもよろしいでしょうか?」

「入って来い」

「失礼します」


 ドアを開けて執務室に入ると、クラウスさん、ドノバンさん、ベアトリーチェの三人が少し呆れたような表情で出迎えました。


「ケント、どうせ中の様子を覗いていたんだろう? 面倒な事してないで直接入って来い」

「やっぱりバレてます? 次からは直接入るようにします」

「で、何の用だ?」

「はい、ラストックの橋の復旧が終わったので、明日の朝にはバルシャニアの皇女セラフィマ一行が出立いたします。明後日の夕方には、こちらに到着する予定です」

「そうか、受け入れの準備は出来ているから心配するな」

「ありがとうございます。ところで、あちこち被害が出ているみたいですけど……」


 どうせ盗み聞きしていたとバレているならば、話に加わった方が良いですよね。

 ドノバンさんから視線を向けられたクラウスさんは、少し考えた後で口を開きました。


「農地が水を被ったり、橋が流されたりしている。ダンジョンに向かう途中の橋が流されたので、今現在は連絡が付かない状態だ」

「緊急性が高いのは?」

「農地に関しては、土砂が流れ込んでいるらしいから、すぐに復旧というわけにはいかんだろう。橋の復旧も、特別に急ぐほどではない」

「では、ダンジョンの状況ですか?」

「そうだ。ヴォルザードにとって、ダンジョンは厄介者であり産業の要でもある。現状を把握できていないのは、領主にとっては良い状況ではない」


 クラウスさんが苦い表情を浮かべているのは、状況が分からない事に加えて、僕に指名依頼を出すか否かを悩んでいるのでしょう。

 指名依頼は、お金掛かりますもんね。


「様子を確かめてくるだけならば、行って来ますよ。セラフィマ一行の受け入れ準備とかもお願いしてますしね」

「おぉ、そうかそうか、ちょっと行って見て来てくれ」


 ベアトリーチェが、ちょっと不満げな表情を浮かべています。

 ちょっとどころか、すっごく可愛いじゃないですか、後でギューって抱きしめちゃいましょう。


「ダンジョン近くの集落は、殆どが地下だから心配ですよね」

「いや、そっちは心配してねぇ。集落の入り口は一段高く作ってあるから、ダンジョンが全部水没でもしない限りは、集落が沈む心配はねぇ。問題は、ダンジョンだ」

「でも、ダンジョンは相当深いでしょうし、地下の水脈まで続いてそうですから、水没するようなことは無いんじゃないですか?」

「そりゃあ、完全に水没するなんて思っていねぇよ。だが、ダンジョンに潜っている連中は、外の様子なんか分からねぇ。もし一度に大量の水が流れ込めば、場所によっては流される心配もあるし、流されれば己の力量以上の階層まで落ち込む心配もある。それに流されたことで、自分の居場所が分からなくなることだってあるからな」


 ダンジョンの内部は、場所によっては人一人が、やっと通れる程度の場所もあります。

 そうした場所に大量の水が流れ込めば、一気に流されてしまいかねません。


「ダンジョン内部で遭難する恐れがあるってことですね?」

「そういう事だ。冒険者って商売は、基本的には自分の命は自分で守るものだが、一度に多くの冒険者の命が失われれば、ダンジョンを探索する者が減り、ひいてはヴォルザードの経済にも影響が出る」

「分かりました。では、ダンジョンにどの程度の水が流れ込んだのか、遭難している冒険者がどの程度いるのか、確かめて来ます」

「頼むぞ、婿殿」

「はい、少し相談したい事がありますので、夕食には一旦戻ると思います」

「相談だと……? まぁ、そいつは後で聞く、頼んだぞ」

「はい、いってきます」


 僕からの相談だからって、そんなに嫌そうな顔をしなくたって良いじゃないですかね。

 なんなら、アンジェお姉ちゃんも僕にください……とか言ってみましょうか。


 クラウスさんの執務室から、一気にダンジョン近くまで移動しました。

 石材を取りに来ていましたが、水没の心配までは頭が回りませんでした。


 石材を切り出していたのは、ダンジョンの入り口とは反対の方向でしたから、全く集落とかの様子は見ていなかったんですよね。

 ダンジョンの入り口近くには、人だかりが出来ていました。


 人だかりの中心には、スキンヘッドのゴリマッチョ、右目に眼帯を巻いたロドリゴさんの姿があります。

 騒ぎが大きくなると困るので、人目に付かない場所から表に出て、ダンジョンの入り口へと歩み寄りました。


「ロドリゴさん、まだ通れるようにならないのか?」

「まだだ、そんなに急には通れるようにならんぞ」

「三階層から下の様子は全く分からないのか?」

「分からん。通れないのだから分かるはずがない」


 どうやら、聞こえてくる内容からすると、三階層から下の階層へと降りる道が崩れているようですね。


「ちょ、ちょっと通して……ちょ、ちょっ……うわぁ」


 人目に付かないところに出たのは良いですが、今度は集まった人の壁でロドリゴさんの所まで辿り着けません。


『ぶははは、ケント様、まだまだ鍛え方が足りませんぞ』

「それは分かっちゃいるけど……」


 そもそも集まっている連中が、ダンジョンに潜る冒険者ばかりですから、壁がデカいし厚いんですよ。

 仕方がないので一度影に潜って、ダンジョン側から近づく事にしました。


「おぅ、なんだあいつ」

「中から出て来たのか?」


 僕に気づいた人が声を上げて、ロドリゴさんも振り返りました。


「こんにちは、ロドリゴさん。クラウスさんから様子を見てくるように言われて来たのですが、中が崩れたんですか?」

「おぅ、ケントか。そうだ、三階層と四階層を繋ぐ細い回廊が、鉄砲水の土砂で埋まっているらしい」

「では、四階層から下の様子が分からないんですね?」

「そうだ、それに三階層の多くが水に浸かっているらしいから、三階層の中でも孤立している奴がいるかもしれない」

「分かりました。ちょっと行って見てみますよ」

「頼む。潜ったままで戻っていない連中が百人近くいる。三階層に水が溜まっているから、四階層から下が水没している可能性は低いが、手持ちの食糧が尽きる奴もいるかもしれん」


 ダンジョンに潜る時は、浅い階層ならば日帰りで戻って来られますが、深い階層まで足を延ばす場合には、数日潜り続けることも珍しくないそうです。

 そうした場合、十分な装備や食料を整えて行くそうなのですが、何日も閉じ込められていたら食料が尽きてしまうでしょうね。


 まぁ今回の場合は、豪雨から二日しか経っていませんから、大丈夫だとは思いますが、通路の復旧に時間が掛かれば食料が尽きる可能性もあります。

 とりあえずは、現場を見てからですね。


『ケント様……かなりの水深……』

「案内して、フレッド」

『りょ……』


 さすがはフレッド、僕がロドリゴさんと話している間に、先行して現場を確かめてくれたようです。

 影の中から覗いてみると、三階層の水が溜まっている場所は、一番深いところでは3メートルぐらいの深さがあるようです。


『三階層は……一番浅いところでも腰ぐらいの深さ……』

「それって、相当な量の水が流れ込んだってことだよね。この水は放っておいて無くなるものなのかな?」

『ジワジワとは減る……でも、数日か十日以上かかるかも……』

「四階層に行ってみよう」


 三階層からの通路が崩れた場所には、十数人の冒険者が集まっていました。

 ふさがった通路からは、ジャバジャバと水が流れて来ていて、その様子を眺めながら、今後の対応を話し合っているようです。


「だから、問題は水の量だって! よく見ろ上の方からも流れて来ているじゃないか」

「だからって、いつまでもここで手を眺めている訳にはいかないぞ」

「掘るのは良いとしても、それで一気に大量の水が流れて来たらどうするんだ。実際、下の階層まで流されていった奴もいるんだぞ」

「何とか、上と連絡を取れれば……」

「それこそ無理言うなよ」


 ヴォルザードのダンジョンは、鉱石系のダンジョンなので、採掘や探知を担当する土属性の魔術士が同行しているのでしょう。

 そうした人達にとっては、土や岩盤を掘るのはお手の物だけど、どれほどの水が溜まっているのか分からないので、下手に手を出せない状況なのでしょう。


「もう、いっそ一気に崩しちまおうぜ」

「馬鹿、それで鉄砲水に流されたらどうすんだよ」

「その先を曲がった所から、天井が高くなってるじゃないか。あの上の方に横穴を掘って、そこに上がってやり過ごすんだよ」

「だが、崩れる時は一気に崩れるぞ。逃げ切れるのか?」

「そりゃあ、頑張れば……」

「ふざけるな! お前は風属性だから自分は掘るのには関係ねぇと思ってんだろう。俺ら土属性だけが割を食うような方法は却下だ!」

「じゃあ、どうすんだよ。このまま指をくわえて見てるのか? いつ上からの助けが来るのかも分からないんだぞ」

「もう少し様子を見てだな……」

「いつまでだよ! もう散々様子を見続けて来て、何も状況は変わってねぇじゃないか」

「だったら、お前もここを崩すのに参加しろ。風属性の攻撃魔術だって、少しは土砂を崩す役に立つだろう」

「いや、それは専門の土属性がやった方が……」


 色々と立場の違いや思惑の違いがあるようで、閉じ込められているからか、だいぶ苛立ってきているみたいです。


「はいはい、そこを崩すのは待って下さいね」

「誰だ!」

「魔物使いなんて呼ばれているものです。その上には、大量の水が溜まってますから、下手に崩すと二次被害、三次被害を引き起こす可能性があります」

「魔物使いって、あの魔物使いなのか? お前、上の様子が分かるのか?」

「水が溜まっているって、どれほどの量なんだ?」


 表に出て声を掛けると、集まっていた冒険者達が一斉に振り返り、僕のもとへと集まって来ました。


「深いところでは、僕の背丈の倍ぐらいの水が溜まっています。これから排水を試みますから、ひとまず安全な所に避難していて下さい。そう、さっきの横穴とかが良いかも」

「そうか、通れるように作業をしてくれるんだな?」

「まぁ、少なくとも溜まった大量の水は何とかしますから、ちょっと待ってもらえますか?」

「勿論だ。状況が分かっただけでも有難い。あのまま無理して掘り進めていたら、何人か犠牲になっていたかもしれないしな」


 とりあえず、集まっていた冒険者の皆さんには退避してもらい、水抜きの作業に取り掛かります。


『ケント様……どうやって排水する……?』

「塞がっている所の底の部分と、川の一番下流を闇の盾で繋げちゃうつもり。盾の維持はゼータ達でも出来るからね」

『なるほど……良いアイデア……』


 影の空間経由で一旦ダンジョンの外にでて、遥か南側の魔の森を流れている川へと移動しました。


「ここなら、多少は川が溢れても問題ないでしょう」


 フレッドに、溜まった水の底の位置の目印になってもらい、闇の盾を使って繋げました。


「うぉぉ! 凄い勢い……」


 下流に向けて、斜めに開いた闇の盾からは、ダムの放流のような勢いで水が流れ出て来ました。


『ぶはははは、これは壮観ですな。ですが、この勢いでは三階層で流される者がいるかもしれませんぞ』

「そうか……いや、大丈夫でしょう。闇の盾には生きた人は入れない……って、遺体だったら流されちゃう?」

『まぁ、それは我々が監視しておきましょう』

「うん、お願いね」


 とりあえず、全ての水を流し終えるには、相当な時間が掛かりそうなので、一旦報告に戻ることにしました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る