第3章 俺はこの〇〇少女をどうしたらよいのだろうか?

第1話 露見

 次の日の朝。


 郁斗は彩雲学園に向かって足を進めていた。

 中央公園を抜け、丘上に続くスロープを上る。


 昨晩は寝ないで考えた。

 やはり翠にはきちんとした形で、『恋人として付き合ってくれ』と言葉にした方がいいと思う。

 なあなあの形での恋愛関係、愛人関係ではしっくりいかないし、翠に対しても誠実でない。

 翠の性癖に関してはおいおい考えていけばよい。

 郁斗という男性が傍にいれば満足してくれると楽観もしている。


 郁斗は下駄箱で上履きに履き替えて廊下を進む。


 と――

 掲示板の辺りに十人程の人だかりが出来ていた。


 ……?

 立ち止まって、生徒をかき分けて覗いてみた。

 全身が凍り付いた。

 心臓が止まりそうになる。


『学園のアイドル高瀬翠の正体!』


 その大見出しの号外紙程の張り紙に、翠が今まで学校で隠れてやってきたことが写真と共に大々的に張り出されていたのだ。

 ご丁寧に学校裏サイトのURLまで書いてある。


 脳内が混乱する。

 戸惑い狼狽しながらも、張り付けてあった紙をひっぺがす。


 そのとき、


「郁斗……」


 険しくそれでいて震えるような声が小さく響いた。

 そちらを向く。

 少し下を向いた翠が、廊下の前方に立っていた。


 翠が顔を上げる。

 困惑が見てとれた。


「学校中の掲示板に貼ってあるわ」


 翠が震え声を響かせる。

 郁斗はそれを確認しようと、駆けだしかける。


「待って!」


 翠に止められた。


「学校に朝練で早く来ていた人に聞いてみたんだけど、朝六時に来た時にはもう貼ってあったみたい」


 郁斗が絶句する。


「もうかなり多くの生徒が見たわ。今更はがして回る意味はないわ」


 翠の肩は震えていた。

 その翠が近づいてきて、


「来て……」


 手を引かれて歩き出す。

 二人していつも一緒にたまり場にしている生徒会室に向かった。





「どうしてこうなるのっ!」


 生徒会室に入るやいなや、翠が郁斗に声をぶつけてきた。


 翠の噂は瞬く間に広がっていた。

 郁斗が何か言ったというレベルのあやふやなものではなく、ちゃんとした画像等のデータが存在したからだ。

 スマートフォンでアクセスした裏サイトには、さらに克明に翠の行ってきた蛮行、あることないこと、さらには翠を誹謗嘲笑する悪口が書き散らしてあった。


「あのデータは郁斗に渡したUSBにしか入っていないものよっ!」


「俺じゃないっ!」


 郁斗も翠の熱に侵されて言い返していた。


「あのUSBはちゃんと机の引き出しの奥にしまってあるっ!」


「じゃあ、何でっ!」


 翠が悲痛な声で叫んだ。


「私、今日ちゃんと郁斗に『告白』しようと思って学校に来たのにっ! 昨日覚悟を決めて、ずっと楽しみで寝れなかったのにっ! どうしてこうなるのっ!」


「くっ!」


 郁斗は呻いた。


 確かに今回バラされた情報は、翠と郁斗しか持っていないものだ。だが翠が自らそれをするわけもなく、郁斗も情報を誰かに漏らしてはいない。


 不可解で怪訝で、そして不条理だった。

 翠が机に両腕を着いて顔を下に向ける。

 長い黒髪が落ちて翠の顔を覆った。

 翠は小刻みに震えながら口にした。


「少し……一人にさせて……」


 何も答えられず。

 何と声を掛けてよいかわからず。


「お願いだから……」


 その涙交じりの声に押されるように、郁斗は一人生徒会室を後にした。





 一時間目の授業。古典が始まってしばらくして。

 教室に翠が入ってきた。

 落ち着いている様に見えた。


 教師に「すみません遅れました」と一言だけ告げて、翠は自分の席に座った。


 やがて……

 翠が教師に当てられて、教科書を持って立ち上がる。


 枕草子を朗読し始めた。

 いつも通りの流麗な声。

 長く真っ直ぐな黒髪に整った面立ち。


 だが教室の生徒たちは、もはや以前の様に翠の朗読に見惚れる様子を見せなかった。

 あちらこちらで小声で話す声が聞こえる。

 たまにクスクスとした笑い声が響く。


 この容姿端麗で成績優秀な生徒会長に対する憧れと羨望は、消えていた。

 翠が自分の受け持ち部分を読み終えて席に座る。


 翠はただ黙ってじっとしている。

 一時間目の授業は終わった。





 一時限目後の休み時間。

 郁斗が翠の席に行く。

 翠は少し沈んだ様子だったが、郁斗はいつも通りに声を掛けた。

 何気ない会話を、二、三、する。


 と――


 翠の取り巻きの女生徒三人がやってきた。


「翠さん……」


 おずおずとした様子で声を掛けてきた。


「張り紙、見ました。嘘……ですよね?」


「悪戯にしても悪質すぎます。私、先生に抗議します」


「翠さんと郁斗さんのこと、良く思ってない生徒もいると思いますけど、私達は断然応援します」


 翠を勇気づける様に言葉を並べてくる。


「ありがとう……」


 翠が微笑みを見せた。


 が……

 その笑みに含まれた陰りは隠せない。

 十分ほどの休み時間は、あっという間に終わった。





 昼休み。

 翠は郁斗の席にやってこなかった。

 なんとか教室の席に踏みとどまっている様子だったが、入れ替わり立ち代わり教室を覗く野次馬の生徒たちがやってきては、翠の事を指さして何かをしゃべっては去ってゆく。


 郁斗はたまらず翠の手を取って教室を出た。

 廊下を逃げるように進み生徒会室に駆け込んだ。

 翠は生徒会室で力なく立ち尽くしている。

 諦めたような沈んだ面持ちで声を出す。


「どうしてこうなっちゃうのかな……」


 郁斗は答えられなかった。

 ただただ悔しくて。

 こぶしを握り締めて奥歯を噛みしめた。


 翠と郁斗は以前の様に会話が弾むこともなく、二人して生徒会室でただただ時間が過ぎるのを待つばかりだった。




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