第2話 春香
それから頻繁に。といっても週に二度くらいだが。翠が用事で留守の時を見計らったように吉野春香がやってくるようになっていた。
この前流石に、この状況は翠にも春香にも悪いと思って正式にお断りしたのだが、それでもやってきて、友達の小早川しほりと一緒に音楽だとか趣味だとか何でもないことを話して去ってゆく。
乱暴に追い散らすわけにもいかず。
翠のいない時間に浮気みたいなことを重ねている。
翠に対する負い目はあるし、周囲に人がいる状況での逢瀬で翠の耳にも入ってないはずがない。
でもこの少女の朗らかさに癒される部分は確実にあって、ついつい流されるがまま春香との会話を楽しんでしまっている郁斗がいた。
今日も昼休み。
四時間目の終齢が鳴り、生徒会の事務で教師に呼ばれている翠が出ていくやいなや、入れ違いにすぐに春香がやってきた。
空いている椅子を持ってきて、郁斗の前の席に座る。
小早川しほりもやってきて、三人で郁斗の机を囲む。
春香は持っていた小さな風呂敷包みを郁斗の前に置いた。
「今日、郁斗君の為にお弁当作ってきたの」
春香がいつも通りの朗らかさで言葉にしてきた。
「翠が作ってきた分があるんだが……」
戸惑いながら郁斗が返答すると、
「だから早めにやってきたの。翠さんの、食べちゃう前に」
悪びれる様子も全くなく言い放つ。
春香が風呂敷を開いて、丸く可愛いお弁当箱を広げる。
卵焼きにタコさんウィンナー。ミートボールに海苔を敷いたごはんという、オーソドックスな構成。
春香が卵焼きを箸に掴んで、あーんと差し出してきた。
口を開くのは躊躇われた。
その性癖に辟易している翠だが、毎日郁斗の為にお弁当を作ってくれるなど、可愛いらしい部分もある。あーんは、その翠ともしたことがない行為だ。これいいのか? と思ってしまう。
春香が顔から明るさを消す。
「ごめん。やっぱり迷惑だった?」
寂しそうにつぶやく。
「料理、あまり得意じゃないけど、早起きして一生懸命作ったの。無駄になっちゃったね」
泣きそうな笑顔でにっこりと微笑む。
無視は出来なかった。
郁斗ははむっと、春香が持っていた卵焼きをほお張った。
もぐもぐと咀嚼する。
飲み込んでから、
「甘い……」
感想を口にする。
「甘いの、嫌いだった?」
ごめんと春香があやまってきた。
「いや、嫌いじゃない」
ふふっと春香が笑顔を見せる。
じゃあこっちと、ウィンナーを差し出してきた。
春香は、もの凄く幸せだという表情でお弁当を給仕してくる。
「春香ちゃん、本当は料理、もの凄く上手なんですよ」
横で黙って自分のお弁当を食べていたしほりが口を挟んできた。
「しほり、言っちゃダメ。郁斗君にアピールしなきゃいけないんだから」
「でも私、郁斗さんには翠さんより春香ちゃんの方が合っているって正直思います」
「それ決めるの郁斗君だから」
「郁斗さんも春香ちゃんのこと、考えてみてください。春香ちゃん、本当にいい子なんです」
「しほり。強制しちゃだめ。郁斗君が思う様にしてくれれば満足だから」
会話が弾み――
全部食べ終わって、「ごちそうさまでした」、「おそまつさまでした」と言葉をキャッチボールした。
春香のお弁当は、はっきり言ってとても美味しかった。翠の派手目のお弁当とは方向性こそ異なるが、春香の様な落ち着いた安心感があって甲乙つけがたい。
しほりが用事があると言って去り。
春香が「またつくってくるっ!」とはしゃいだ声を残して、教室を出て行った。
と――
入れ違いに、状況を見計らっていたように翠が教室に戻ってきた。
自分の鞄から弁当箱を取り出し、春香が座っていた郁斗の前の席に来る。
「郁斗、昼もう食べちゃった?」
座りながらの翠の問いに、
「いや、まだだが……」
郁斗は正直に答える訳にも行かない。
「よかった。一緒に食べましょ」
翠がにこやかな笑みを浮かべた。
郁斗はまずったとは思うが、覆水盆に返らずだ。
翠に促されて、鞄から渡されていたお弁当を取り出す。
翠のお弁当は春香の可愛いものよりボリュームが多い。腹はかなり膨れている。
「ん?」
翠がどうしたの? という感じで郁斗を見つめてくる。
「今日は、『あーん』を実行するわ」
そう言った翠。
全てわかってやってんじゃねーかとも邪推できる程だ。
げっぷが出そうになって、慌てて口を押えた。
春香の弁当でおなかが一杯だと言う訳にもいかず。
郁斗は翠の作った二つ目のお弁当に取り掛かった。
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