第10話 デート



 彩雲学園の最寄り駅――港南中央駅――の改札口は、ラッシュアワー時のサラリーマンやОLでごった返していた。

 郁斗はカジュアルな紺のジーンズにお洒落な青のサマーセーターという恰好で、午前六時五十分に約束の場所にたどり着いた。


 翠がいた。


 いつもの青のブレザーに膝上のミニスカート。

 彩雲学園高等部の制服だ。

 何故かスカートがいつもより短くて、ともすると見えてしまいそうに思える。


「遅れてごめん」


 郁斗は翠に駆け寄って言い訳をした。

 遅刻したわけではないのだが、それが女の子に対する礼儀だと思ったからだ。


「大丈夫よ。混雑するのはこれからだから」


 翠はまったく気にしてないという様子で穏やかに返答してきた。


「行くわよ」


「ああ」


 郁斗が商業地区に向かおうとすると、翠が手を掴んできた。


「違うわ。こっち」


 言うと翠は駅改札をくぐる。

 郁斗は電車に乗って都心部にでも出かけるのかと思い、翠に続く。

 二人は混雑しているホームから都心に向かうラッシュ時の電車に乗り込んだ。


 ドア付近に二人して身を寄せ合って立つ。

 確かに都心まで出かけるならこの時間帯でないと着くのが遅くなる。

 だがせっかくのデートなので混雑時は避けてほしかったというのが本音でもあった。


 と――


 こちらに背を向けていた翠が小声で何かささやいてきた。


「私……ないの……」


「え?」


 郁斗は聞き返す。

 翠が口にするのが恥ずかしいという様子で、つぶやいてくる。


「こんなに年頃なのに……今まで合ったことないの……」


「……何に?」


「痴漢……」


 絶句した。


 翠が何を口走ったかわからなかった。

 しばらくして理解が追い付く。

 翠が、懇願するように言葉にしてきた。


「郁斗。痴漢して」


 二人の間に沈黙が降りた。


「ずっと夢だったの。痴漢されるの。それなのに、年頃になってこんなに無防備な恰好して制服着てるのに、男は誰も相手してくれないの。何回もラッシュの時に会わせて乗っているのに誰もしてくれないの……」


 ドン引きだった。


「デートってそれかよっ!」


 思わず声を上げていた。


「もう郁斗しかいないの。お願い、痴漢して」


「俺捕まんじゃん!」


「捕まらないようにうまくやって!」


「断る」


「写真、バラまくわ」


 翠がとげとげの言葉で脅してきた。


「ついでに今ここで『痴漢っ!』って大声上げるから。言うこと聞いてくれないと、社会的に抹殺するから。本気だから」


 郁斗は脳内で呻いた。


 確かにこの女は本気に思える。

 ここまで真剣になれるのは正直すごいと思えるが、頼まれていることは尋常ではない。

 それだけ翠に信用されたという証でもあるが……


 断れば、翠を裏切れば、確実に社会的に葬り去られるだろう。

 翠の言っていることはもはやそう言ったレベルのことだ。

 だが翠に手を出せば、もやは後戻りできない段階に達する。


 どうするかと懊悩して……郁斗は覚悟を決めた。


「声、絶対出すなよ」


「うん……」


 翠がしおらしく頷いてくる。


「絶対に変な態度見せるなよ」


「うん。わかった」


 翠はあくまでも素直だ。


「ああっ、すごく興奮してきた。抑えられない。夢みたい……」


 翠が口にして、郁斗は口内にたまった唾液を飲み込んだ。

 この年で合法的にだが痴漢プレイを経験することになるなどとは考えてもいなかった。

 興奮と躊躇で心臓が高鳴る。

 本当にいいのか、思いながらその翠の見えそうで見えない部分、お尻に……郁斗はそっと手を触れた。


「うんっ……」


 翠が声を漏らす。

 同時に翠の柔らかい感触に総毛立つ。

 程よい弾力と肉の感覚が郁斗の脳髄を容赦なく襲ってくる。


「郁斗……揉んで……」


 翠が小声でささやいてきた。

 郁斗が臀部を少し掴んだ。


「んっ……もっと……はげしく……」


 翠が素直な欲望を小さな音で伝えてくる。

 郁斗ももはや抑えがきかなかった。

 翠のお尻を激しく揉みしだく。

 翠は口に手を当てて必死に声を我慢している様子に見える。


 バレるんじゃないか、この人痴漢ですと誰かに言われるんじゃないかとドキドキしながら、混乱と恐怖と興奮で脳内がぐちゃぐちゃになりながら、翠の尻を揉み続け。

 終点のターミナル駅で電車を降りて、駅の端に避難する。

 二人して息を整えるが、治まらない。

 翠が手を自分の胸に当てる。


「すごい……。まだドキドキが収まらない……」


 翠は一度目をつむって思い起こす様な仕草を見せてから、


「すっごく興奮した……」


 郁斗に向かって満面の笑みを浮かべる。

 郁斗も、その笑顔『だけ』は可愛いと理解できる程度には収まってきた。でもやっていることは二人とも変質者には変わりはない。


「濡れ……ちゃった……」


 翠は両手を頬に当て恥じらう様子を見せる。


「トイレで下着取り換えてくるわ」


 翠がにこやかに告げてきた。


「替えの下着まで用意しているかよっ!」


 郁斗が思わず突っ込んだ。


「確信犯じゃねーか」


 構わず翠は続けてくる。


「郁斗もすっごくおっきくなってる。下着、濡れたでしょ。換えなくていいの?」


「交換用なんて持ってきてねーよ」


「はい」


 翠が、パッケージに包まれた新品パンツを差し出してきた。


「用意いいでしょ。ほめてほめて」


「褒める部分じゃねーよっ!」


 翠が頬を膨らませて不服そうな様子を見せる。


「頭なでなでしてくれないと、帰りの電車でもしてもらうから。本気だから」


 郁斗は仕方なしに、翠の頭頂部を二、三度、撫でた。


「なでなでって言って」


「子供かよっ!」


「言って」


 やむを得ず、


「なで……なで……」


 郁斗が口に出す。


「合格です」


 翠は満足そうな表情を見せた後……

 トイレに向かって歩き出した。

 その背を見ながら。郁斗はこれからどうなってしまうのかと、ただただ途方に暮れるばかりだった。



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