第39話 探偵の真似事
地下二十階――十階で聞いた話が確かなら、ここにも地上へと戻らずに留まっている冒険者がいるはずだが……建物はある。それこそ小さな町と言えるほどには。
しかし、人がいない。
「お邪魔します」
不用心に開け放たれているドアから中に入れば、人が住んでいた形跡はある。テーブルの上には籠に入ったパン――元より保存食用の水分の少ない硬いパンだが、カビは生えていない。
「食事中だったわけではなさそうだが……」
まさか異世界に来て探偵の真似事をすることになるとは思わなかった。
食料の備蓄はある。血の痕は無いから争ったわけではないだろう。つまり、自主的に出て行ったと考えるべきか? いや、そもそも他人に言われたところで地上へ戻るくらいなら、初めから留まってはいないだろう。
となれば、可能性は三つ。
一、殺された。
二、無限回廊を進んだ。
三、地下十階に戻った。
問題は人がいないことではなく、人がいなくなっていることだ。最初からいないのであれば、問題にすらならない。
最悪のパターンは殺されていた場合だ。モンスターにせよ、悪質な冒険者にせよ、二十階まで到達できた冒険者を殺すだけの実力がある敵を相手することになる。
さて――そろそろか。
「フドー!」
「フドーさん、そちらはどうでしたか?」
「家はあるが人はいない。争った様子も無い。そっちは? ヨミ、ネイル」
「こちらは十階と同じような訓練場を見つけましたが、同じく誰も」
「全員でお出掛けかにゃん?」
さすがに全員では無いと思うが、可能性はある。本来であればいないはずのモンスターが居たと仮定するためには、何人かの冒険者が十九階か二十一階にでも行って引き連れてきたと考えれば合点がいく。だが、それならそれで争った形跡が無いのも可笑しい。……まだ足りないな。
「あ、グランとステラが帰ってきたにゃ」
二人共が険しい表情をしているな。
「グラン、ステラ、何か見つけたか?」
「何か、と問われれば見付けたと言えるのだろうが……言葉にするのは些か難しい。見たほうが早いだろう」
グランとステラに連れられて川沿いへとやってきた。
そこにあったのは見覚えのある紋様が二つ。
「これは……転移魔法の魔法陣、だよな?」
「ですね。片方が地上へ戻るもので、もう片方が十階へ戻るものだと思います」
「ステたちが見つけたのはそっちじゃなくて――あっちです」
視線の向かう先――転移陣から少し離れたところにもう一つの紋様があった。
「この色と臭い……血か? 転移の魔法陣とは違うようだが」
しゃがみ込んで紋様を確認していれば、ネイルが隣で鼻を鳴らした。
「すんっ――んにゃ、少し時間が経ってるからわかりにくいけど、確かに血の臭いにゃ」
「その紋様はおそらく召喚陣ですね」
「召喚? 転移とは違うのか?」
「感覚的には似ていますが、転移の場合はこの世界の中を移動することを言います。フドーさんの場合は例外ですが。召喚の場合は初めから別の世界のモンスターを呼び出すことを前提にしています。大きな違いがあるとすれば、召喚ではモンスターを呼び出した後に調伏させる必要が……まさか」
「そのまさか、と考えるべきだろうなぁ」
ネイルだけはよくわかっていない顔をしているが、状況から考えればまず間違いない。
「つまり、召喚系の能力を持つ冒険者が、新たなモンスターを調伏しようとして失敗した、と? しかし、それだけで二十階に辿り着いた冒険者全員が逃げ出すなど……」
「その可能性に関しては、むしろグランのほうがよくわかるんじゃねぇか?」
進む気も戻る気も帰る気も無い冒険者――日和見で、その日暮らしで、戦うことを忘れた冒険者が、果たして唐突な会敵に対して動けるのか否か。死ぬか逃げるかの選択肢なら、当然のように逃げるほうを選ぶだろう。
「え、あの、それってマズいんじゃないですか? だって、その仮説の通りだとしたら居るってことですよね? この階に、その召喚されたモンスターが」
そう。問題はそこだ。俺の気配読みはザルもいいところだが、ネイルの鼻は違う。もしもこの階に調伏に失敗したモンスターがいるのだとしたら、二人共が気が付けないほどに上手く気配を消しているということ。それだけ、強いということだ。
「召喚したのが知性のあるモンスターならこの場に留まっているはずはない。向かうとすれば上か――いや、下だな。となれば、ネイル。どれだけ戦いたいと思っても、そのモンスターと出くわす確率は万分の一だ。諦めろ」
「にゃっ! にゃにも言ってにゃいにゃ!」
「言わずとも、ですね」
「この階にそのモンスターがいないのであれば、一先ずは安全ということだな。どうする? フドーよ」
地下十六階での岩竜との戦い以降、大きな戦いはしていないし休息は必要ないだろう。むしろ有り余り過ぎている奴も一名いるわけだが……無駄に時間を消費する理由は無いな。
「ここの住人が地上に戻ったにせよ、十階に向かったにせよ、俺たちにどうこう出来ることは無い。先に進むとしよう」
「先の情報が無いのは不安ですが、仕方が無いですね」
軽い食事を済ませて、地図を頼りに階段へ。
「食後の運動にゃ~」
「モンスターがいないに越したことは無いけどな」
背筋を伸ばすネイルと共に階段に差し掛かる。
「……二人とも毎度似たような会話をして飽きぬものか?」
「飽きる飽きないじゃないんでしょうね」
「ステはいつも通りのお二人を見て落ち着きますよ」
そんな後方の会話を聞きながら階段を下り始めた時――ズシンッと響く足音に、全身が総毛立つのを感じた。
「――退けぇ!」
「――退くにゃっ!」
ネイルと声が重なって、即座に二十階へと戻って無意識に居合のように刀を構えた。
近付いてくる足音と共に、心臓の鼓動が速く大きくなっていく。
……その可能性は考えていなかった。上の階にしろ下の階にしろ、出てしまえば遭遇する確率はゼロに等しい。だが、戻ってくれば、この階層だけは――ここだけは誰であろうと共有されている。本来であればモンスターが入れない階だとしても、この世界で初めて存在を許されたのがこの場所ならば、戻れるのも当然だろう。
「いいか? ヨミとステラは絶対に――っ」
そこに姿を現したのは、体長三メートルで筋骨隆々の化け物。牛のような顔をしているが、頭には山羊のような巻き角を生やし――間違いなく初めて見るモンスターのはずだが、何故だか頭には名前が浮かんでいた。
「……イフリート」
「いふ……? このモンスターはフドーの世界から来たのかにゃ?」
「こんな奴がいて溜まるか。ただ口を突いて出ただけだが――もしもこいつが俺の知るイフリートだとすれば、相当マズいぞ」
確証は無いが、そうだとすればこの冷や汗にも説明が付く。
「教えてください、フドーさん。イフリートとはどんなモンスターなんですか?」
それぞれが目の前のモンスターを刺激しないように息を殺しながら会話をしているが、いつ攻撃態勢に入っても可笑しくない。間違っているかもしれない情報を話すだけの余裕があるのかはわからないが、許される限り、か。
「あまり詳しくは知らないが、俺のいた世界で言うイフリートとは変身能力を持ち魔術を使えて炎を操る悪魔、と言われている。だが、その情報がどれだけ正しいのかは――っ」
ただ半歩――たったの半歩分だけ、にじり寄られただけで気圧されて飛び退いてしまった。
実力差は明白。それを物語っているのは、今も尚、飛び出さずに構えたままで動かないネイルが横にいることだ。岩竜の時のように動かないのは、力押しでは決して勝てないことを本能で理解しているからだろう。
「お二方よ、どうやらあのモンスターは仕掛けてこないようだ。じわじわと下がり、転移陣にて十階か地上へ戻れば戦闘をせずに済むのではないか?」
確かにその選択肢も無しじゃない。
だが、俺たちが転移した後にイフリートが転移してこないという確証があるか? 普通のモンスターならいざ知らず、別の世界から召喚されたモンスターが通れない道理は無い。
地上へ戻れば、仮にイフリートが付いてきたとしてもすぐに倒せるだけの冒険者が来るだろう。しかし、犠牲がゼロで済むはずがない。それは十階でも同じこと。
どちらを選ぶ? 転移陣に向かい、イフリートが通れない賭けに出るか、この場で俺たちの手でどうにかするか――武士とは、何を以て武士たらしめるのか。拘るべきは勝利ではなく、何を守れたのか。
……仲間を守ることと、地上や十階の見ず知らずの者を守ること――いや、悩むまでもなく決まっている。
「悪いな、グラン。俺は、俺の後ろにいる全てを守らなければ気が済まない性分らしい。ここは食い止めておく。だから――」
「にゃっ、はっは、そうもいかにゃいにゃん」
「私たちがフドーさんを置いて逃げると、本気で思っているんですか?」
「ス、ステも……一緒に戦います!」
「で、あるならば、雇われである手前も助力しよう」
結局は全員参戦か。俺にそれを止める権利は無い。
「そんじゃあ、待たせて悪かったなイフリート。主の居なくなったお前はここで止める。さぁ――やろうか」
どれだけ強がった台詞を吐こうとも、冷や汗は出続けている。本能が告げている。勝つことはできないと。逃げるべきだと。だが、理性が語り掛けてくる。勝てないことが戦わない理由にはならないと。
そして何よりも――これは、剣道では無い。勝つか負けるか、ではない。生きるか死ぬか――殺すか、殺されるか、だ。
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