第7話 間接
「例え話をしようじゃないか」
少女の提案に、少年は小さく頷いた。
「今日という日に限って私は水筒を忘れてきてしまったんだ。おかげで、今まで一滴の水も摂取できないでいる。そろそろ干からびて死んでしまうことだろう」
少女はわざとらしく舌を出して、暑がっている仕草を見せた。
たしかに今日は暑い。真夏日というやつだ。まだ6月も半ばだというのに、本来なら梅雨の時期でじめじめ鬱陶しいはずなのに、どういうわけかカラッと乾いた日差しが刺すように照りつけている。少年にとっても好ましいとはいえない天気模様だった。
しかし、色々とツッコミどころがありすぎて、少年はどこからツッコんでいけばいいのか分からなかった。
「水道の水でも飲んでいればいいんじゃないか」
とりあえず核心に近いであろうところからいってみる。少女は人差し指で頬を掻きながら答えた。
「いやあ、それは確かに正論なのだが、恥ずかしいことに私は、水道水を飲むとお腹の調子がよろしくなくなるんだ。そのザマったらないぞ、酷いぞ。まるでダムの決壊だ。濁流が襲いかかって下流がそれはもう大変なことに──
「いい、いい。具体的な例えはいらん」
少女は仮にも美人である。美人の口から汚い比喩表現など、誰だって聞きたくないであろう。いくら少年でもそこは一般的な感性である。
少年はため息を吐いた。
「で、どうしてほしいんだ、俺に」
「察しが悪いな、キミらしくもない。目の前に喉が渇いた女の子がいるんだぞ?」
そうだろうとも。分かり切っていたからこそのため息だったのだが、少女はにこにこ笑っている。ちょっと
「いくら俺でも、死にかけている人間を見捨てるほど薄情者じゃない。言ってくれれば水くらい分けるぞ」
「ああ、もちろんそれはそうだろうな。私の見込んだ男なのだから。だが、もし間接キスしか手段がないのだとしても、同じ答えをくれるのだろうか?」
「はあ?」
関節キスしか手段がない、とは。それこそどういう状況だろうか。
思いっきり疑問を顔に出した少年に、少女は唇を舐めながら言った。
「ペットボトルしかないんだよ、今のキミの手持ちには、な。中身を注げそうな器も見当たらない。つまり私にペットボトルを手渡すしかないわけだが、私は渡されたら堂々と口をつけて飲むぞ。余裕がないからでもあるし、欲望に忠実になりたいからでもある」
「お前の舵取り次第かよ」
げんなり、という表現がこれほどまでに似合うことがあるだろうか。それくらい少年はげんなりした。
少女が目を細め、試すように少年を見る。からかっているつもりなのだろう。いつもならこのまま少女のペースに飲まれてしまうわけだが、たまには反撃してみたくなった少年は、あっけらかんと言った。
「別に、勝手にすればいい」
「おや?」
少年は鞄から自分の水筒を取り出し、少女の前にどんと置いた。驚いて目を丸くした少女は、水筒に視線を落としている。
「……構わないのか?」
少女にしては珍しい、戸惑ったような声だった。こういう切り返しは今まであまりしたことがない。まさか、という思いがあったのだろう。少年にしてみれば、してやったり。そして、少女を真似してここは追撃だ。
「今更、そんなことを気にするような間柄でもないだろう。真実はどうあれ、俺とお前は同じ時間を共有しすぎている。そういう抵抗感が薄れている実感はあるんだ。だから、いい」
「さしものキミでも、か?」
やはり戸惑った少女の声。だが、少し様子が違った。
何が違うのかが分からなかったので顔を見ると、少女は水筒に目を落としたまま、嬉しそうにほほ笑んでいた。愛おしい小動物を包み込むような手つきで、少年の水筒を手に取る。
「それは、私に心を許してくれている、ということでいいのだろうか」
「違う。それだけは絶対にない。だが、まあ、有象無象に比べるべくもなく、近いところにいるのは否定できないだろ」
「そうか。ああ、そうだな、うん」
少女は宝物を渡されたように、じっくり少年の言葉を聞いて、それから、恐らく聞かせるつもりのなかった言葉を呟いた。
「嬉しいな……。とても」
心の底からの言葉だ。聞いただけでそう分かってしまうくらいに、少女の本心がこぼした言葉だ。少年は狐につままれたような気がして、そっぽを向いた。
水筒を少女が持っているため、話を切り上げるために鞄を拾い上げることもできず、少年は窓の外を流れる雲を観察していた。少女が水筒を返してくれる頃には、外はすっかり暗くなっていて、いつものようにごく自然な足取りで少年の横に並んだ少女の機嫌が今日の太陽よりも良かったのは、言うまでもないことだろう。
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