8 幽霊は無理なお願いをするか?

「藤本、英語の歌詞じゃなかったら、歌うのか」

 水原が顔をこちらに向け訊いてくる。

「そう言われてもなあ……英語じゃなかったら日本の曲でしょ。誰の曲? ミスチル? サザン? お父さんの影響で結構知ってるよ。あ、でも女性歌手のがいいかな。あいみょん? YUKIとか?」

「いや」水原はわたしから川の方に視線を移した。「俺が作った曲」

「え、水原って作曲なんかできるの」

「たぶん」

「たぶんって。作った曲があるってことでしょ?」

「まあ、うん」

 なんだか歯切れが悪い。

「日本語の歌詞なの? どんな曲?」

「歌詞は考えてないよ。俺は歌わないし。ただ……なんとなく、俺の作った曲を藤本が歌ったらどうなるだろうって、今、考えた。藤本はとても綺麗な声をしているから」

 水原は川の方を見つめたままだ。相変わらず何を考えているのかよくわからないが、もしかしたら、照れているのだろうか。


 わたしも正面に向き直ってみると、対岸で子どもたちが整列しているのが見えた。試合が終わったらしい。白いユニフォームと紺色のユニフォーム、どちらが勝ったのかわからないけれど、お疲れ様。


「水原が作った曲をわたしが歌う? 歌詞もまだない曲を? なんだそりゃ」


 いつの間にか、わたしの顔はだらしなくにやけていた。気がついたけれど、どうにもおさまらない。

 わたしはベンチから立ち上がって、思い切り息を吸い込んで、川に向かってありったけの力を込めて「バカヤロー」と叫んでみる。自分でもびっくりするくらいの大きな声だった。野球少年たちにも届いただろうか。


「なにがバカヤローなの」

 座ったままの水原を見下ろすと、前髪の奥の目が丸く見開かれていて、露骨に驚いていた。そんな顔もできるんだ。水原の表情らしい表情を初めて観測した。

「こういうときの定番って、やっぱバカヤローじゃん」

 ふう、と呼吸を整え、わたしも再び座る。

「こういうときってどういうときかわからないけど、川より海だと思う」

 ボケとツッコミが逆になってしまった。

「とりあえず」わたしは水原の顔にぐいと近寄る。「聴かせなさいよ、水原の作った曲」


 無表情に戻った水原が、またギターを構えた。こん、こん、とギターのボディを叩く。

 さっき右手は指だけしか使っていなかったが、今度は、いつの間にか持っていた緑色のピックと指を織り交ぜて弦をはじき始めた。

 もの悲しいような、優しいような、眠たくなるような、わくわくするような。シンプルな構造の曲なのにいろいろな感情にさせられる。テンポはイエスタデイに似てゆったりとしていた。しかし、イエスタデイが後ろ向きだとするならば、なんとなくこれは希望を感じる曲だった。淡々とした始まりから、サビと思われる箇所でぱっと視界が明るくなる感覚があった。

 わたしは三分の間、水原の左手と右手、ときどき顔をただただ眺めていた。


「こんな感じの曲だ」

「……なにが『たぶん作曲できる』だよ。『たぶん』でこんなことできるわけないじゃん。すっごくちゃんとしてんじゃん。ていうか、名曲じゃん。めちゃくちゃいいじゃん。なんだよもう」

「なんか怒ってる?」

 興奮して、声が大きくなっていたらしい。

「怒ってない。怒る理由がない」


 そう言いながらも、じゃあ今どういう感情なのか、自分でも名前をつけることができなかった。

 強いて言うならば――悔しかったのかもしれない。軽い気持ちで曲を聴かせてもらったら、思いの外心を揺さぶられている。鼓動が少し速くなっている。

 きっと、わたしは水原をあなどっていたのだ。


「あ、そう。じゃあ、藤本これ歌ってくれないか」

 じゃあ、ってなんだ。怒ってたら歌わせないのだろうか。

「歌詞はまだないんでしょ。歌のメロディは?」

 水原は目を瞑って腕を組む。

「まだそれも考えてない」

「歌えないよ、それじゃ」

「藤本が考えたらいいよ」

「え、いやいや無理無理」

「なぜ無理だとわかるの」

「やったことがないから」

「ならやってみたらいい」


 愛ちゃんだったら、「やる前から諦めちゃだめ」なんて言うだろうか。

 それにしたって、いきなりもいきなり。わたしが歌う? 自分で作ったメロディを? そんなことってある?


「恥ずかしいよ。上手くできないよ。しかもぶっつけ本番で」

「じゃあ、いいか」水原はギターケースを手に取ると片付け始める。「うん、無理なお願いだった」

「あ、待って待って」

 肩透かしを食らう。気持ちの整理が追いつかない。水原とは呼吸が合わない。何を考えているのかわからない。

「なに」

 水原は既にリュックを背負おうとしていた。

「いや、その……」

「なに」

「だからさあ」

「なに」

「やっぱり、あの、ちょっと、やってみてもいい……かな」

 綺麗な声、と言われたのがずっと頭から離れない。水原と呼吸が合わなくても、水原の弾くギターとならば合わせられるだろうか。




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