第53話 魚釣り


 俺の私邸のある丘から北に向かうと川幅が300メートルほどの川がゆったりと流れており、川の両岸は背の低い木が川に向かって張り出している。川の名前は『あの川』だ。俺にはこの川しか用はないので、『あの川』で十分なわけだ。


 マリアの桜の苗木を植えた庭の端から、十年ほど前に作られた舗装道路を1キロほど下って行くと川岸の木を払った場所に作られた木製の船台に出る。その船台の上にはシートを被った小舟が置いてあり、その小舟で川遊びが出来るようになっている。小舟そのものが軽量なうえに、俺自身も超人化しているため一人で川に小舟を浮かべることも、最後に船台の上に引き上げておくことも簡単にできる。


 公邸の執務室にいて新しいマリアにやってもらいたいことがあるわけでもないし、黙って自席に座っている彼女を放っておくのも気が引けたので、今日は彼女を私邸のある外周部第一層に連れ出し、小舟に乗って魚釣りに出かけることにした。


 あとで知ったが、実際はマリアは俺と違って自席に座ってじっとしているときはアギラカナの内部点検確認をしているらしいのだが自分の目線で勝手に暇をもてあそんでいると決めつけていたようだ。


 この川で釣れるのは、地球から連れて来た魚ではなく、テラフォーミングの終盤に導入された魚という話なので、おそらくアーセンのどこかの惑星で生息していた魚なのだろう。見た目は鯉に似た魚なので『鯉もどき』と名付けたのだが、刺身にすると透き通った白身で、ヒラメと似た食感でとてもおいしい。煮ても焼いてもいいがやはり刺身が格別だ。川魚だと言っても虫などいないので生のまま食べても安全である。今では醤油も、ワサビもアギラカナで生産したものを使っている。


 何でも口に入れる魚なのでルアーでも釣れるのだろうが、今はエサ釣りをしている。釣りのエサは小麦粉を水で練って丸めた物だ。全くれていないためか、簡単に釣れてしまうので最初のうちは面白かったが、今では少し物足りない。そのくらいの方が初めて釣りをするマリアにはちょうどいいと思う。


 マリアは最初揺れる小舟に船台から飛び移るのに戸惑っていたので手を貸して乗せてやった。小舟の後ろにマリアを座らせ釣りの最中に少しくらい流されてもいいように上流の方に漕ぎ上がっておくことにした。小舟の形は日本の公園にあるようなボートを少し大きくした感じなのだがどういう訳か両手で力いっぱいオールを引くと面白いようにスピードが出る。まあ、単純に俺の腕力が上がっているのがその理由なのだと思う。


 外周部第一層と第二層はテラフォーミングが完了しているが、第一層はテラフォーミング完了から時間が経っているためか第二層と比べ植生が非常に豊かであり、大地や海も数十キロ上空の天井から広範囲に照らされ満遍なく熱を与えられているため、気候も穏やかだ。吹く風も穏やかで、ゆっくり流れる『あの川』の水面にはほとんど波も立たない。オリンピックに出たいわけではないが、オリンピック競技の一人乗りのボート、シングルスカルを今度作ってみてもよさそうだ。


 マリアが自分でも漕ぎたそうな顔をして俺の方を見ているので、2キロほど川を漕ぎ上がったあたりで交代することにした。揺れる小舟の船べりをもって恐る恐るお互い移動して位置を代わる。陸戦隊の訓練を受けているマリアはおそらくアイン同様俺以上の超人だろうから、最初は慣れるまでゆっくりオールを動かすよう注意しておいた。運動神経も良いらしくすぐにコツをつかんだようで、そのうちえらいスピードでボートが進み始めた。結局船台から10キロほど上流の川幅がやや広まって流れがほとんどないところで釣りをすることにした。


 俺まで釣ってしまうとすぐに食べられないほどの魚を釣ってしまうので、自分では釣りはせず、用意した釣り竿をマリアに渡し、釣り針にエサを付けてやったり釣り竿の使い方などを教えながら、魚が釣れるのを待つことにした。


 ゆっくりと川下に流されていく小舟の上で釣り糸を垂れるマリアを見ながら小説の構想でも練ろうかと思っていたら、釣り糸に付けた浮きがツツツーと水の中に引き込まれた。すぐに竿を立てて針にかかった魚をゆっくり引き寄せ、たもで掬ってやった。


 30センチほどの『鯉もどき』がたもから跳び出し船底で飛びはねている。すぐに針を外してやり水を入れたバケツに放り込んでやった。餌をもう一度付けて糸を垂れたら、すぐに次の当たりが来てと、それからは面白いように釣れ始めた。すぐに用意したバケツが『鯉もどき』でいっぱいになったので、釣りはその辺にして、ゆっくり川に流されながら船台まで戻ることにした。見上げると青空のもと薄い雲がゆっくり流れていた。



 その日の夕方は、いつものメンバーの航宙軍のアマンダ中将、陸戦隊のエリス少将、探査部のドーラ少将、兵站部のフローリス少将を私邸に呼び、新しいマリアも含めて六人で宴会をすることにした。若い人が一人いるだけでやはり違うのか、温泉につかってゆっくりしていると隣の女風呂はやけに騒々しかった。


 宴会では先日十五歳になりバイオノイドとして成人したマリアも今日釣った魚の刺身を箸を上手に使ってワサビ醤油で食べながら日本酒を飲んでご機嫌だった。ちなみに、日本酒も水作り、米作り、麹造りを含めアギラカナで醸造したもので非常に飲みやすい。種類も端麗から芳醇、甘口から辛口まで各種が揃っている。俺や成人したばかりのマリアも含めて全員アルコール耐性があるのでいい気分のままいくらでも酒が飲めるのがありがたい。


「艦長。マリアが逝ってしまって、艦長が、マリアの為に庭に桜の木を植えたんですよね。わたしが逝っても同じように桜の木を植えてくださいね」


 誰かが言い出したのを聞いてみんな自分もそうしてほしいと騒ぎ出したので、分かった分かりましたからと言ったらみんなすごく喜んでいた。



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