第52話 マリア・コア


 ゼノ主星を尊い犠牲のもとに破壊したその一カ月後。


 太陽系に向かい超空間を航行中のアギラカナにおいて、アーセン憲章に代わりアギラカナ憲章下で生まれた第一期のバイオノイドが十五歳となり成人を迎えた。これまでのバイオノイドと異なりこの新憲章下で生まれたバイオノイド達にはそれまでアーセン憲章で禁じられていた生殖能力が付与されている。彼らこそ純正のアギラカナ人なのである。



 今は超空間航行中なのでインターネットも繋がらないし、特にすることもなく、暇を持て余しているので、デビューもしていない俺が執筆とはおこがましいが、俺は例のごとく執務机で小説を執筆中だ。小説を書く以外することもなく、あとは寝て食べての繰り返しで夕方になると私邸で幹部連中と宴会をしていることが多い。そういった生活をしていても太ることもなく体調はいたって良好だ。


 コアのアバターのマリアさんが秘書のアイン達を地球に残している俺に、新しく秘書の配置を何度も勧めてくるのだが、売れる当てもない小説家になってしまった俺には特に秘書が必要でもないので、いまは断っている。


 アイン達がいるときはいつも淹れてもらっていたインスタントコーヒーだが、たまに執務室の隣の給湯室で自分でインスタントコーヒーを淹れるぐらいの労働はした方が良いと思っている。


 いつものマグカップにティースプーンに一杯のインスタントコーヒーを入れ、小量の水でかき混ぜる。そうした方がいきなりお湯を入れてかき混ぜるよりコーヒーが良く溶けるのだそうだ。確かに水でインスタントコーヒーを溶かした後に湯を注ぐ方がだんぜん香りも高く味も濃い。それを試して以降、この方法以外でインスタントコーヒーを淹れることが無くなった。


 そういうわけで、自分で淹れたコーヒーを持って席に戻り、だだっ広い執務室をぼんやり眺めながら、息でカップを吹き冷ましながらコーヒーを飲んでいると、めずらしくマリアさんがやって来た。


「あら、艦長、いつも通り暇そうですね」


「まあ、お互いさまでしょ」


「あら、わたしはこう見えても、艦内のことでいつも忙しくしてるのよ」


「そういうことにしておきましょう。わたしが暇なのは見ての通りですけどね」


「それで、今日ここに来たのは、そんな暇を持て余している山田艦長に朗報があって来たの」


「朗報? なんですか朗報って?」


「先日、アギラカナ憲章下で生まれた第一期のバイオノイドが成人したでしょう。それで、その中の陸戦課程を終えたを艦長の秘書にどうかと思って連れて来たの。どう? いい話でしょ」


「よしてくださいよ。この通り暇してるわたしに秘書なんて不要でしょう」


「そうはいってももう連れて来ちゃってるの。今から帰すのは可哀そうじゃない。それに艦長のインスタントコーヒーの淹れ方まで教え込んでるのが無駄になるのはもっと可哀そうよ」


「わかりました。それじゃあそのを呼んでください」


「マリアいらっしゃい」


 高校生ぐらいに見える黒髪を短髪にした姿勢の良い女の子が俺の執務室に入って来た。


「え、このはマリアさんと同じ名前なんですか?」


「そう。

 わたしみたいな軍属は軍人と違って肉体を酷使するような訓練をしていない分若く見えるでしょうけど、わたしはもうすぐ百歳になるの、そしたらマリアを卒業するつもり。山田艦長と会えて地球の文化に触れることも出来てほんと楽しかった。卒業する前にゼノもたおせたし。

 それにね、私たちバイオノイドは、山田艦長が来るまでは、仕事をするのが楽しいしそれが生きがいだったの。でも、それだけしかなかったの。でもいまは仕事が一番なのはかわらないかもしれないけど、いろんな楽しいことや生きがいがバイオノイドたちの中に生まれてきてるのよ。みんな山田艦長のおかげ。ありがとう。

 この子がわたしの次のコアのアバターのマリアになるから可愛がってあげてね、わたしのことは忘れてもいいから。……でも、やっぱり忘れられるのは少し寂しいから、艦長の私邸の庭にこのハンカチを埋めてくれる。そこに桜の木の苗を植えてくれればもっとうれしいわ」


 ……淡々と話すマリアさんの言葉が、なんだか頭の中を滑っていく。そんな感じで聞いていた。俺は何も言えずレースで出来た白いハンカチをマリアさんから受け取り頷くしかなかった。


 マリアさんが、自分の名前と同じ名前を持つ少女を残して執務室から出ていくのを黙って見送り、俺は残された十五歳のマリアを近くに呼んだ。


「アギラカナ艦長の山田です。よろしく」


「マリアです。よろしくお願いします。わたしのことは、マリアと呼び捨てでお願いします」


「それじゃあ、マリア、俺のことは艦長って呼んでくれ」


「了解しました」



 十五歳の少女を隣の秘書室で一人で座らせておくのも可哀そうなので、俺の執務室にオペレーションボードと椅子を用意させそこに彼女を座らせることにした。とはいっても、今のところ彼女の仕事と言えば、俺にコーヒーを淹れることくらいなんだけどな。


 マリアさんが俺にハンカチを託していったその二日後。俺の机の向かいに座った少女が俺の前までやって来て告げた。


「艦長、先ほどマリア・コアが生命活動を停止しました。現在より私が正式なマリア・コアとなります」


 十五歳のマリアはコアのアバターになると同時に中佐に自動昇進した。マリアさんは軍属であったため中佐相当官だったが十五歳のマリアは軍人のため、れっきとしたアギラカナ宇宙軍中佐となったわけだ。航宙軍で言えば、軽巡洋艦の艦長、陸戦隊で言えば、大隊長相当である。


 その日の夕方、俺は外周部第一層にある俺の私邸の庭の真ん中にスコップで穴を掘り、マリアさんから託されたレースのハンカチを穴の底に置いた。その上に用意してもらっていた桜の苗木を植えて、一人で私邸の自室で酒を飲んでそのまま寝てしまった。




[あとがき]

ここまで、お読みくださり、ありがとうございます。引き続きよろしくお願いいたします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る