第32話 一条、月に行く
雑談から始まった宇宙港計画だが、日本政府から、
俺の認識と違い、発着便の枠が窮屈だった成田空港だが、何とか便数を整理することで、増発を可能にしたようだ。空港のシステム的には、航空航路が一つ増えるだけの対応で済む。
運行形式は、旅客宇宙船を日本政府が出資するANL(全日本航空)に貸し出す形【注1】にしたのでパイロットとキャビンアテンダントについては問題ない。一機あたり二名のパイロットが形式上搭乗するのだが空港管制とのやり取りと機内放送が主な仕事で、操縦については指定された場所までタキシングして離陸ボタンを押すだけだ。離陸後は月に到着して着陸するまでほとんど自動で行われる。
月の観光用施設の従業員などはANLやその関連会社から人員を都合してもらうことになった。今回の月業務に携わる従業員についてはANL内で希望者が殺到したそうだが、厳重な身元調査を受けた第一期分数百名が採用されたようだ。すでに二期、三期分の増員も検討しているという。
月行き旅客宇宙船の飛行経路は、成田から離陸した後は、高度100キロほどでAA-0001の近くを飛行した後、地球を一周。その後高度を400キロまで上げてさらに地球を一周し、まもなく運用が終了すると言われている
乗客は、成田のANL専用チェックイン・カウンターでチェックインし国際線扱いでパスポートと月までの往復搭乗券を出国手続きカウンターで見せ、旅客宇宙船に乗り込むことになる。
月の観光用施設の名前はアギラカナ・ムーン・リゾート(AMR)愛称アムール。一条がこれしかないと言い張るのでこの名前に決まってしまった。月に着いたらお迎えにフラダンスの踊り子さんが出てきて大人なサービスをしてくれそうだな、と言ったらセクハラだなんだと言われて怒られた。後で知ったが、一条のヤツが勝手にこの名前で、いろんなところで交渉していたらしい。そりゃあ推すはずだ。誰も怒らないんだからちゃんと報告しろよ。
旅客宇宙船の名前は、木星近傍で工作艦というより工場艦と言った方いいような機能を持つSII-001だが、その工作艦SII-001(Repair Ship)で作った物なのでRSジュピター1型とまんまの名前を付けた。どこかのエンジンみたいな名前だが名称登録はOKだったみたいだ。
月への旅客運航が軌道に乗りAMRの営業も落ち着いてきたある日、どうしてもAMRを視察しておかないと今後の業務に支障が出ると言いはる一条を、一泊二日の日程で、搭乗券(往復しかない)とAMR内のANLホテルの宿泊券を添えて送り出してやった。
◇◇◇◇◇◇◇
箱崎から成田空港行きのリムジンバスに乗り、ANLのチェックイン・カウンターでチェックインをして手荷物であるキャリーバッグを預けた一条佐江は、早めに出国手続きを終え、ANLのラウンジでくつろいでいる。初めてのラウンジに舞い上がり、目に付いた高級カクテルを端から作ってもらって飲んでいったせいかかなり出来上がってしまった。視察旅行という建前は本人の頭の中には既にない。
『みなさま、こちらは全日本航空アギラカナ・ムーン・リゾート行き、1997便の搭乗案内でございます……』
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『アギラカナ・ムーン・リゾート行き、1997便にご搭乗予定の一条佐江さま。搭乗ゲートをまもなく締め切りますので、75番ゲートまでお急ぎください』
「待ってー。締めないでー」
真っ赤な顔をした一条佐江が、搭乗ゲートに駆け込んできた。何とか滑りこみセーフで搭乗便の出発を遅らせることなく搭乗できたようだ。
「ぜえぜえ、はあ、はあ。うっぷ! うっ」
酔っぱらった上の全力疾走、自業自得であるが、キャビンアテンダントのお姉さんにはいい迷惑である。
シートベルトをキャビンアテンダントに締めてもらい、タキシングを始めた旅客宇宙船ジュピターの窓から外を眺めると、ちょうど機がカーブを曲がったようで景色がぐるーっと流れていく。
「うえ! うっ」
ジュピターの席は全てビジネスシートなので席と席との間隔は幾分広めなのがせめてもの救い。エチケット袋を口に当てている一条を隣に座った乗客が
護衛対象が、ジュピターに乗り込むのを確認した陸戦隊特殊戦部隊から派遣された二名の隊員は報告のため大使館に戻った。一条の隣に座った乗客も実は彼らと同じ特殊戦部隊員で一条の警護を引き継いだ者だ。あと一人乗客を装った隊員も同乗している。警護に当たり、警護対象の動きは
『これより、当機は離陸いたします。離陸しますと、みなさまの天井部分が透明になります。空の旅、宇宙の旅をお楽しみ下さい。急に立ち上がりますとめまいなどを起こす場合が有りますので、ひじ掛けにあります、シートベルト着用のサインが消えるまで席をお立ちにならないようお願いします』
機内アナウンスとともに機内の照明が落とされた。それと同時に天井が透き通り青空が見え、白い雲が下に流れて行った。
「おおおっ!」
いきなり天井が取り払われたかに見えた乗客から、驚きの声と感動の声が上がる。
『当機は、このまま高度100キロまで上昇し、地球を一周します。その後、さらに高度を上げ、高度400キロでもう一度地球を一周後、月へ向かいます。月のAMR宇宙空港までの所要時間は二時間を予定しています。 ……シートベルト着用のサインが消えましたので、これより軽食やお飲み物などをお席にお持ちしますのでおくつろぎください』
「おおおっ!」
ジュピターが東京上空の巨大艦の脇をすぎた時、機内から再度のどよめきが漏れた。青みをおびた白い艦体に幾何学的模様が浮かび上がっている巨艦は神秘的ですらある。一条と護衛の二人を除き、乗員、乗客たちは、目の前の巨艦をアギラカナと思っているのだ。確かにこの姿を間近に見てしまうとそう思うのもうなずける。
この高度からだと、北海道から九州まで一望できるのだが、残念なことに沖縄までは望めない。それでも地図で知る日本列島が一望できることは、乗客には新鮮なものだ
そこからゆっくり高度を上げながら、ジュピターは西回りに地球を一周し、高度400キロでもう一周地球を周ったのち月に向かった。運が良ければ、ISS国際宇宙ステーションの近くを通り抜けるのだが、今回は少し距離があったようだ。
ここからの一時間半は、星の
月の引力圏に進入したジュピターは更に月に接近し、西側から低高度で月の裏面を回っていく。
「おおっ!
月の地平線から青い地球が上って来たのだ。中には
月を低高度で四分の三周したジュピターの前に、アギラカナ・ムーン・リゾート(AMR)が見えて来た。2キロ四方の土台となる建造物の上に直径2キロ弱の透明ドームが乗った建造物で、土台部分の脇にAMR宇宙空港が広がっている。
AMR宇宙空港に着陸した旅客宇宙船ジュピターに複数の気密式のボーディング・ブリッジが接続され、乗客が伸びをしながら手荷物を持って機外に流れ出ていく。ボーディング・ブリッジは乗客、乗員用のほか、荷物用、整備用のボーディング・ブリッジも同時に接続され、荷物の出し入れや、客室回りの整備が進められる。
残念なことに到着ロビーに乗客がやって来たからと言って、きれいな踊り子さんが大人なサービスをするわけでも、ムキムキのブーメランパンツのお兄さんがウサ耳を付けて餅つきをして歓迎してくれるわけでもないようだ。
【注1】レンタルに近い期間二十年のリース契約。客室関連のみ借り手が責任を持つ形。リース期間終了後は再リース契約を結ぶかリース元に返却。借り手の資産にはならない。
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