第一話 ジャッカス


 その日の部室には部長である雨梨先輩だけが不在だった。


 理由が掃除当番だというのは、昼休みに部員一同に聞かされていた。


 それならば大幅に遅れることはないので、先輩が来るまで部室待機。オレはゲイザーと小テストに向けての勉強、後輩二人はいつものように星について勉強。


 本日の部室はまるで学習室だと言わんばかりの空気だったが、それを見事にぶち壊してくれる人間が現れた。


「ちょっと、聞いてくれよ! みいーなチャーン!」


 そう言って学習室に飛び込んできたのは、本日デートの予定であった筈のジャッカスだった。


 春休みに出来た可愛い彼女だと自慢していた面が、苦悶の表情になっていた。顔色が変わっても、イケメンという事実は変わらない。


 非常以上に遺憾であったが、何があったか聞いてみた。


「振られちまったぜ!」


 知り合ってから、二か月ぶり五回目である。前回はバレンタインで告白された三年生で、卒業と同時に振られたって聞いていた。


 その前回は正月にナンパした女子大生だと思ったが、なんで振られたとかは聞き流していたので覚えていない。


 どうして振られたか聞いた方がいいのか、とオレはゲイザーにアイコンタクトを送った。関わらない方がいだろう、と言わんばかりにゲイザーは首を左右に振った。


「ジャッカス、オレらは部活中なんだ」


「お前、俺とゲイザー。どっちが大事なんだ」


「強いて言えばお前らより、お前のせいで勉強の邪魔をされた後輩二人だよ!」とオレは強めに言った。稲瀬みのりも南タマキちゃんも、馬鹿な先輩三人のせいで迷惑をかけられたようなものだった。


「なに、相原くん。また振られたの?」


 突然の声に顔を上げると、開けっ放しの引き戸の先には苦笑いの雨梨先輩が立っていた。廊下を歩いていると、部室の方からジャッカスの声がしたらしい。


「また振られましたね」とジャッカスが開き直っていた。


「そんなに振られる人なんですか?」


 我が義妹であり、部の後輩である稲瀬みのりが、顔をしかめて小声で聞いてきた。


 同居がバレるリスクを避けるため、ボロを出さないように部室で彼女から話かけてくることは極めて珍しい。


 とはいえ、この奇妙なイケメンの登場に、黙って居られなくなってしまったようだ。


「顔はいいが、少しだらしなさ過ぎる」とオレは答えた。


「過ぎる、ということは……少しでは無い。じゃないのでしょうか」


 稲瀬みのりの隣で、彼女の親友、南タマキちゃんが控えめに言った。全くもってその通りだが、今のアイツを表現出来る言葉はこれしかないように思えた。


 それを聞いた稲瀬みのりは何故か顔を赤くしていたが、ここは義兄らしく気づかないふりをした。


「浮気だと思われた?」


 雨梨先輩の声に顔を上げると、いつの間にか先輩とジャッカスが机を挟んで椅子に腰かけていた。


 どういう状況かをゲイザーに問うと、雨梨先輩が馬鹿の話を聞いてしまったとのことだった。


 部長だからとはいえ、部員でもない奴の面倒まで見る必要はないんじゃないか。


 嫉妬からそう言いたくなったが、先輩のやる気に満ちた目を見ると、とてもじゃないが言えない。


 部員じゃなくても後輩に頼られたら嬉しいのが、先輩なのだろう。オレだって未来の後輩である中学三年生に頼られているので、気持ちは分からなくは無かった。


「他の女の子と手を握っているのを見られました」とジャッカスは雨梨先輩に言った。いや、それ浮気じゃん。


「それ浮気じゃない?」と珍しくゲイザーとオレの意見が合った。


「違う、妹の友達だっての。中二だぞ、妹みたいなもんだ」とジャッカスは言った。


「いや、妹の友達と手ぇ繋ぐって、どういう状況だよ」


 オレが突っ込むようにそう言うと、網膜に焼き付いていた先週の光景が脳裏を掠めた。


 オレなんて義妹の友達と手を繋ぐどころか、自分の胸に抱き寄せていた。飛んで来た板から、南タマキちゃんを守ったという状況。


 本当にどういう状況だよ、自分で放った言葉が自身に刺さったような気がした。


「先週の土曜、風の強い日あったろ。妹の友達が歩きづらそうにしてたから、家まで送ってあげたんだよ」とジャッカスは不貞腐れたように言った。


 よりによって、あの時と同じ日だった。


 思い返してみれば確かにあの日、稲瀬みのりは南タマキちゃんの手を握ってあげていた。筋肉のせいで体重のある男は、女性のそういうところに無頓着だ。


 普段、我々には気の利かないくせに、ジャッカスはそういう所においては優秀な面を見せる。恋愛経験値がオレの数倍あるのも頷ける話だ。


「相手にそれは説明したの?」と先輩が聞いた。ジャッカスは首を左右に振った。


「だとしても手を繋ぐ必要はないって、話を聞いてくれませんでした」


 面倒な女だったんすよ、とジャッカスは溜息をついた。オレの耳が少し痛かったのは、板から守るからとしても抱き寄せる必要はないと言われているような気分だった。


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