第488話 なぜっこ人間
どんなことにも理由を求めること、要するに、なぜ、と問うことは、物事を捉える姿勢として正しいのかと、ときどき疑問に思うことがあります。
たとえば、誰かや何かを好きになって、その理由を求めることには、果たして意味があるのでしょうか。意味があるというと、なんだか下世話な感じがしますが、言い換えれば、感覚的な判断まで理論で解決しようとするのは、現実問題として効果的かということです。好きになったのだから、好きになったのだ、だけでは駄目なのでしょうか。
なぜという問いを立て、その答えを追求することは、科学の根本的な在り方です。そして、科学は人間の本質を反映したものなので、そのような問いを立てること自体が、人間の本質に則しているといえるでしょう。けれど、その一方で、その問いを立てたところで解決のできない事象に遭遇することも、自分たちの体感を通して知っているわけです。
人間が、これほどまでになぜと問いたがるのは、なぜなのでしょう。
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