第437話 不確定性は面白さに繋がるかも
事情があって、大学の授業がないので、家にいるが、室内に篭っていると、楽ではあるが、微妙に刺激が足りないような気がしないでもない。刺激といっても、何の刺激かは分からない。自分がどういう刺激を求めているのかは不明である。
単純に、外的な刺激、というのが一番しっくり来るように思える。自分ではコントロールすることのできない事態、つまり、不確定性という名の刺激である。室内に篭っていると、周囲にあるものはすべて自分のものだから、自分でコントロールすることができる。棚を開ければ、いつも同じ位置に教科書があるし、感覚的にいつもの場所にマウスがある。でも、一歩外に出るとそうはいかない。いつどこで人とすれ違うか分からないし、バスに乗ろうと思っても、定刻通りに来てくれるとは限らない。そうした不確定性が、一種の刺激として、学校に通っている間は機能していたのかもしれない。
人間は、自然界の様々なものを、自分たちでコントロールできるようにしてきたが、それで良いのだろうか、とふと感じることがある。もちろん、種の保存という意味ではその方が安全なのだが、人間性という意味では、何もかも思い通りにいくというのは、あまりよろしいことではないように思える。それが、面白味を感じさせない一つの要因になっている。
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