第309話 時は鐘なり
「時はカネなり」の「カネ」とは、「金」ではなく「鐘」である。
「時は金なり」という諺が示すのは、金と同じように時間を大切にしなさいということだが、実際には金よりも時間の方が遥かに大切だという趣旨のエッセイを、昔読んだことがある。正にその通りで、金は貯金することも、あとから取り戻すこともできるが、時間の場合はそうはいかない。今目の前を過ぎるこの一瞬を取り逃がしたら、もうあとで取り戻すことはできない。
一方で、「時は鐘なり」というのは、鐘の音こそ時の本質をよく表しているということである。鐘はある時間になると鳴るわけだが、そのある時間を迎えたタイミングで鳴らしても、決してある時間に鳴ったことにはならない。午後五時に鳴らしても、鐘が鳴った(もしくは、鳴っている)ときには、もう午後五時〇分一秒、二秒と時は進んでいる。これは示せない「今」に関連することであり、時間というものがどういうものなのか、非常に分かりやすく示されているといえる。
「鐘」といえば、「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」という俳句を連想するが、その鐘の音が法隆寺のものだと断定できる根拠はどこにもないので、論理的には正しくないといえる(冗談)。
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