第262話 世間主体? 自分主体?

 世間の評判のみを判断材料として行動しても、損をする可能性も、得をする可能性も、そうでない場合とは大して変わらないが、実際に自分で確かめてみることで見えてくるものもあると思う。


 たとえば、現在公開中の映画の評判をネットで調べて、それをもとに観に行くか行かないかを決めるというのは、ある意味合理的な行動である。評判が良いのなら、お金を払った結果自分がその分の利益を得られる可能性は高いし、そうでないのなら、相当分の利益を得られる可能性は低い。一歩離れたところから現状を観察して、それをもとに自分の行動を決めるというのは、理性的な判断といえる。


 しかしながら、世間の中で評判が悪いものでも、自分にとっては充分な利益になるという場合もある。世間の判断と自分の判断は、必ずしも一致しないということである。反対に、無理矢理にでも自分の判断を世間の判断と一致させようとする人もいる。自分の考えが世間のそれから外れているという状況が怖いためだと思われる。


 金銭的にも時間的にも余裕があるのなら、世間を疑うつもりで、自分は自分で行動してみるのが良いと思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る