第123話 否を認める
愛するという言葉には、否を認めるという意味も含まれている。ある人を愛するというのは、その人に自分にとって不満な点もあるが、それでもその人を認め、ともに歩んでいく、という意味である。
あるアイドルや、創作物の熱狂的なファンというのは、そのアイドルや創作物を愛している、といえる。つまり、それらの対象に何らかの否はあるが、それを認めて支持している。ファンを多く抱えているものを目にすると、そんなに面白いのか、と思いがちだが、自分にとっても面白いとは限らない。ただ、それらを支持している人たちには、そこに存在する否を認められる余裕があっただけで、自分にその余裕がなければ、駄目だ、と切り捨てるしか選択肢はなくなる。
完璧な人間、または完璧な創作物というのは存在しないが、完璧ではない部分を受け手が認めることで、それらは完璧に近づくことができる。否を認めるとは、完璧ではないがそれで良い、という判断を下すことであり、完璧ではないがそれで良いというのは、結果的に、完璧になったとも言い換えられる(少し無理があるかもしれないが)。
何でもかんでも批判する人は、きっと、否を認められる心的余裕がないのだろう、と思う。
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