第106話 プラスを基準にする習慣

 程度を表す際には、どういうわけか、大きい方を基準にすることが多い。「どれくらいの大きさだった?」とか、「どれくらいの高さだった?」とは言うが、「どれくらいの小ささだった?」とか、「どれくらいの低さだった?」と言うことはあまりない。


 大きさや高さなど、大小関係を表す場合以外では、基本的に肯定的な方を基準にする。「あの映画、どれくらい面白かった?」とは言うが、「あの映画、どれくらい面白くなかった?」とは普通言わない。ここで注意すべきなのは、面白いの反対が、つまらないではない、ということである。「あの映画、どれくらい面白くなかった?」と、「あの映画、どれくらいつまらなかった?」では、尋ねている内容が異なる。「その西瓜、どのくらい大きくなかった?」と、「その西瓜、どのくらい小さかった?」という質問が異なるのと同じである。大きくなかったからといって、必ずしも小さいわけではない。中くらいのサイズ、平均的なサイズの場合には、大きくもなければ、小さくもないという状態が成立する。


 どちらの場合も、言い換えれば、プラスの方を基準にしているといえる。これは、人間が根源的にプラスの方向を望んでいる証拠ではないだろうか(消極的な人間はいない、という主張)。

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