第124話『美晴がお風呂で溺れかけた件』


オフステージ(こちら空堀高校演劇部)


124『美晴がお風呂で溺れかけた件』  






 林さんと書いて「りん」さんと読む。




 お父さんの方が林評(りんぴょう)、娘さんの方が林美麗(りんびれい)。


 韓国の人みたいに向こうの読み方はしなくていい。


 毛沢東なんて、向こうの読み方だとマオツォートンだけどモウタクトウでOKだ。


 文在寅さんなんて、いまだに慣れない美晴は「ぶんざいとら」などと読みかけて、なんだったけ? と止まってしまう。




「ほんとうに日本の音読みでいいのかしら?」




 勢いよく素っ裸になった美麗の背中に声をかけた。


「うん、中国と日本は昔からそうだし」


 素っ裸のまま、こちらを向いて言われるものだから、美晴はたじろいでしまう。


「わたし、日本で生まれて、中国には通算で二年ほどしか帰らなかったから、音読みの方が馴染んでるし」


 愛くるしく笑って美麗はカラカラと浴室のドアを開ける。


 


 カッポーーーーーン




 かかり湯の桶を置く小気味よい音を響かせて美麗が湯に浸かったころに美晴は入って来た。


「美晴って一人っ子でしょ?」


「え、分かるの?」


「そりゃ、脱ぐのゆっくりだし、今だって……」


「ん?」


「ふふ、そろりそろりとお湯に浸かって……」


「だって、美麗ったら……この浴槽は熱い方から二番目だよ。ひょっとして、美麗って兄弟多かったりするでしょ」


「ううん、一人っ子だよ。中国って最近まで一人っ子政策だったしね」


「あ、そうだったわね……グヌヌヌ(熱っついーーーーー)」


「ふふ、一人っ子だけど家族というか、親類が多いからね。それがいっしょに住んでるから、イトコトかハトコとか、日本だけでも五人いっしょに住んでるんだよ」


「え、なにそれ?」


「うちの家は古いから、昔からの習慣が残ってるのよ。お父さんは胡同(フートン)だって喜んでるけどね」


「フトン?」


「フートン」


「なんだかフワフワしたお布団みたいね(^▽^)」


「あ、云えてるかも。お布団の温もりってフートンに通じるよ」


「で、フートンて?」


「昔の中国の家は四方に建物があって、うちみたいに親類ぐるみで何十人も住んでてさ、真ん中に庭があって憩いの場所になってんの。中国人のアイデンテティーはその胡同の中にあるんだよ」


「なるほど」


「中国って昔から何度も国が替わってるじゃない、大きくなったり小さくなったりしながらさ」


「そうだね……」


 世界史で習った歴代中国王朝の表が頭に浮かんだ。




 夏 殷 周 秦 漢 魏・蜀・呉が三国で、隋 唐 宋 元 明 清……だったっけ?




「ふふ、声に出てるわよ」


「はは、暗唱して覚えたから」


「中国人でも、そんなにきっかり覚えてる人は少ないわよ、お見事でした!」


 拍手されて、美晴は照れてしまう。


「王朝が替わるたんびに国は乱れるでしょ、だから、中国人は国の事を頼りになんかしてないの……頼りになるのは自分たちしかない。だから、中国人は鬱陶しいほど親類を大事にするのよ」


「聞いたことがある、だから中国の苗字は少ないって……少ないってことは一族の人数が多いってことなのよね」


「うん、林だけでも数百万人いるでしょうね。お父さんが今の会社作った時、二百年前は兄弟だったって人が来たわ」


「信じられない!」


「中国に汚職が多いのは、そういう途方もない身内意識があるから……けして、みんな悪党だってことじゃないのよ」




 美晴は思ってしまった。


 自分は数少ない親類の大お祖母ちゃんの希望も受け入れていない、もっとも受け入れて瀬戸内宗家の家督を継ぐ気なんかないんだ、ないんだけども、美麗の話を聞いていると、ちょっぴりだけど後ろめたくなってしまう。


「その林一族の未来を守るために、お父さんは必死にやってるの。そうなのよ、お父さんが日本の山林を買うのは中国のためなんかじゃない、林の胡同を守りたいためだけなのよ。脂ぎった親父は嫌いだけど、そこんとこは理解してるのよ、美晴……美晴? ちょ、美晴ーーーー!!」


 美晴は熱い湯に浸かり過ぎ、美麗の横で沈み始めていたのであった……。


 

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