第55話 おくりびと
2008年の日本映画です。
日本映画としては、初めてアカデミー外国語映画賞を受賞した作品だ。
比較的最近の作品だから、ご覧になった方も多いと思う。
最初はもっくんが折角入団したオーケストラが潰れ、1800万円のチェロを売り、山形に妻とともに帰省して、すでに納棺師の仕事に携わっているところから始まる。
この最初の場面から面白い。
遺族を前にして、社長にやってみるか、と言われ、実際に遺体を綺麗に着替えさせるもっくんなのだが、身体を拭く時、途中で「ん?」となってしまう。
遺体はとても綺麗な女の人だったのだが、肝心なところに肝心なモノがついているのである。
社長の山崎努は、遺族の方に、「男の化粧と女の化粧、どっちにします?」とたずねなければならなくなる、という場面だ。
もっくんはここに来るまで大変だった。
この仕事を妻に内緒で始めて、初っ端から死後2週間の老婆の死体の片付けに嘔吐し、仕事を続けられなくなって途方にくれたのだ。
しかしそんなもっくんも、社長の、正確で、優しい、愛情に満ちた仕事ぶりを見て心打たれ、次第に納棺師という仕事に感動すら覚えるようになる。
ところが、夫の仕事を知った妻の広末涼子は、彼にその仕事をやめてくれ、もっと人に堂々と言える仕事に就いてくれ,という。
もっくんが嫌だというと、実家に帰ってしまうのだ。
もっくんもさぞかし辛かったろう。
しかしもっくんは黙々と仕事を続け、涙ながらに人々から感謝されるこの仕事にやりがいを感じ、やがて誇りと自信を深めていく。
ある日妻が突然戻ってくる。子供ができたというのだ。
ところが、ちょうどその時、もっくんの携帯に、幼い時からもっくんを知っていた銭湯のおばちゃんが亡くなった、社長は別件でいないから至急頼むと連絡が入る。
もっくんは妻を伴って銭湯へ行く。
もっくんは凛とした仕事ぶりでおばちゃんを綺麗にし、それを見ていた妻は心を打たれる。
死者というものにはある種の尊厳がある。
ここには、納棺師という仕事を通して死者の尊厳を描くことによって、どんな生き様をしている人間も尊重すべきだという考え方があるような気がする。
具体的に言うと、たとえばこの風呂屋の番台の仕事だって、この映画の価値観で言えば、納棺師に比べてそれほど素晴らしい職業ではない。
しかしおばちゃんの息子はもっくんを軽蔑している。
ところが,彼は自分の母親に対するもっくんの仕事ぶりを見て考えを改める。
つまり、どちらも絶対になくてはならない仕事なのにはまちがいないのだ。
また、彼の母親の生前の友人であるおじさんは、死とはただの通過点で、その先へ行く門をくぐるだけのことだと語る。
しかし身内の者の死には身内の者にしか分からない悲しみがある。
そして同時にその悲しみは、かなり普遍的に、多くの人々に共通する部分もあるのだ。
皆が故人の生前を思って涙する。
つまり、この映画は死者というものの尊厳を描くことによって、結果的に生というもののの尊さ、かけがえのなさを描くことになったのかもしれない。
ちょっと固い話になってしまって恐縮だったが、物語はこれで終わりではない。
しかしこの先は、まだ観てない方、もう一度見る方のために取っておこう。
最後に,宮崎駿作品で有名な久石譲さんの主題曲がこの映画の美しさやテーマを高らかに奏で、何とも素晴らしかったことを付け加えておきたい。
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