第35話 ショーシャンクの空に



1994年のアメリカ映画です。


まず、この映画は感動的である。

ヒューマニズムあふれる傑作とまで言われている。

しかしそれは冷静に見て正しい評価なのであろうか?


私もこの映画を見て感動したし、大好きな一本なのは間違いない。


しかし、よ〜く考え、分析してみると、意外な盲点が見えてくる。

本当にこの映画は優れた作品と言って間違えないのだろうか?


少しひねくれているかもしれないが、そういう疑問視する視点から、この映画を分析してみたい。



物語は、冤罪によってショーシャンク刑務所に投獄された主人公が、22年をかけて脱獄に成功し、自由を得るまでの、刑務所の中での生活を描いたものである。


昔から、刑務所といえば人生の最低の到達地、終わりの場所、下手をしたら死を待つ場所、であった。


人間らしさは失われ、極悪非道の連中が集まり、苦しみと自棄の世界であった。


しかしこの映画では、刑務所の中を絶望の場所として描いていない。かといって希望の場所というわけでもないが、まるで学校の寮か何かのように、皆明るく、人間性を失わない。仲間同士尊重し合い、主人公のケツの穴を狙って襲ってくる輩もいるものの、総じて皆仲が良く、安住の場所のようにさえ見える。


その証拠に、仮釈放されたブルックスという初老の男は、外の世界に馴染めずアパートで首吊り自殺してしまう。


それほどに、ここでは刑務所が居心地のいい場所として描かれている。


そうしたことが、この「ショーシャンクの空に」を観て、閉塞感がなく、何となくほんのりとヒューマニズムを感じる理由だと思う。


それからこの映画には、惜しい欠点が2つある。


まず、刑務所の所長が聖書の中をくり抜いて、そこに拳銃を隠し持っているのだが、これは、昔ディーン・マーチン主演の西部劇で悪役の神父が使った手と全く同じである。だからこれは全くいただけない。


さらに批判すべきは、主人公が脱獄の穴を掘った土を、ポケットに入れて外に持って行き、足元から地面に落として捨てるやり方である。

これはまさに、1963年の名作、「大脱走」で考案された方法そのものではないか!


両方ともこの時代に主人公が刑務所の中で知るはずもなかった方法であり、映画の作り方としては安直としか言いようがない。


こうして見ると、せっかく感動的な映画が出来上がったにもかかわらず、アカデミー賞や、その他の映画界の高評価につながらなかったのもうなずけるのである。


いい映画だけど、ちょっと惜しいところがある。

そんな結論でいかがなものだろう?

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