第26話 ノスタルジア

このレビューは、少し前に一度投稿したものです。

この作品は雨と深く関わっているため、主に九州の豪雨被害が酷かったので一旦下書きに戻しました。

従って読まれた方もいらっしゃるから、その皆様には大変申し訳ないのですが、大雨の被害にあわれた方々にお見舞いと、1日も早い復旧の祈りを捧げつつ、ここに改めて投稿させていただく次第です。


*    *    *


1983年の、イタリア、ソ連合作映画です。


今年は例年に比べても雨が多いそうだ。

休みの日などにベッドに身体を横たえて疲れを癒していると、ぽつん、とん、とん、とん、と雨が軒先から落ちる音がして、そぼ降る雨脚の音にも包まれ、自分が「ノスタルジア」の主人公になったような気分になる。


メジャーな感覚で言えば、ショパンの「雨だれ」を思い出す、ということになるのだろうが、私はマイナーな人間なので、アンドレイ・タルコフスキー監督の「ノスタルジア」の世界に紛れ込んだという方がずっとしっくりくる。

それくらい、この作品は雨と関わりが深い。



イタリアのトスカーナ地方を、ロシアの詩人アンドレイが旅するというただそれだけの話なのだが、アンドレイ・タルコフスキー監督の希有の才能と感性によって、世界でも例を見ない個性的な作品になったと言っていい。


古いホテルの一室で、アンドレイは故郷の風景を想う。それも何度も。

霧の立ち込める中に佇む家。家族の姿。家の屋根の上に朝日が昇る。この場面は白黒である。


アンドレイはドメニコという老人と知り合う。ドメニコは、ろうそくに火をつけ、火が消えないうちに広い温泉を渡り切れば世界は救われる、と言う。しかし彼は人々から狂人扱いされている男だった。


雨が降る。

雨音が絶えず部屋に忍び込む。

ドメニコは言う。

「一滴に一滴を足すと、大きな一滴だ。二滴にはならない」と。

壁には1+1=1と書かれている。


映像が実に見事だ。目を見張る美しさ。それがじわじわと見る者の感性に溶け込んでいく。


ドメニコはローマへ行き、演説をしたあと、ベートーベンの第九をかけて焼身自殺を図る。

聞き飽きたはずの第九が、これほど劇的な音楽だったのだということを、ここで観客は思い知ることになる。


その頃アンドレイは、ろうそくに火をつけ、温泉を渡ろうとしている。しかしろうそくの火は、温泉の途中で消えてしまう。


この、ただろうそくを持って温泉を渡るというアンドレイの行為を、カメラは執拗に追い続ける。


そこには、観客が、かつて経験したことのないような緊迫感と、息を飲む緊張がある。

そしてついにそれが成功した時、アンドレイの死とともに、観客の気分の高揚と恍惚は頂点に達する。


他のどこにもない、世界で唯一のかけがえのない個性を持った一本の映像詩がここにある。


世界が賞賛した。


*    *     *


大雨の被害にあわれた方々に、改めて、心よりお見舞い申し上げると同時に、もし祈りが届くなら、もう今回のような大雨が2度と起きないことを、不可能かもしれませんが、ここに強くお祈り申し上げる次第です。

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