過去に抱かれて

「ちょうどいい空き家、ですか」


 ゼロの言葉をオウム返しにして、タケナカは首を傾げた。

 柔らかな陽が差し込む午後、タケナカの家での会話だった。出されたコーヒーを飲みながら、ゼロは「そう」と頷く。


「とりあえずは寝るスペースがあればいいんだけど……間借りを脱却したくて」


 タケナカもゼロの家がなくなったことは把握していた。ゼロの所在がはっきりしていなかったので連絡は送れなかったが――まあ、仮に連絡先が分かっても「あなたの家、更地になりました」なんて手紙は送れなかっただろう――気にしてはいたのだ。

 だが、いつ戻って来るかわからない人間の為に家を差し押さえることはできない。金を積めば可能だが、そんな余裕はタケナカにはなかった。何でも屋とは違うが、四区を見回り手伝いをしたり誰かを守ったりして、そこでもらえる「お礼」で生きる彼女の財産は多くない。金銭よりも物品の報酬が多いのが原因だ。


 加えて、残ったお金のほとんどが、子どもに貸し出すための絵本代へと変換される。スラムに生まれた子どもは、その出身故学びの機会を失い、大きくなっても職に就けないことがある。

 自業自得ならばどうしようもないが、生まれのせいで理不尽に機会を奪われた子どもたちにはある程度のチャンスがあってもいいはずだ。そういってタケナカが始めた10歳以下への子どもに対する本の貸し出しは好評で、子供好きな彼女はついつい買う本を増やしてしまう。


 そんな事情もあって、タケナカはゼロの家を抑えることができないでいた。ゼロに恩があるのは事実だが意外とシビアな面もある彼女だ。当然の選択であるし、ゼロ自身もそれをわかっているのだろう。「もし空き家があれば教えてほしい」という聞き方をしたのは、きっとそれが理由だ。


「今は一区近くの雑貨屋にお世話になっているんでしたか」

「うん。あそこの親子が空き部屋を貸してくれてるんだ。ただ、やっぱり申し訳なくてさ。荷物運んだり、掃除したり、手伝いは申し出てるんだけど、貰ってるものが大きすぎるから」

「それで家を探すことにしたと」

「自分でも探してみたんだけど、やっぱり10年前と色々変わってるよね。アテをつけて向かった先がお店になってるし、ここ空き地だったなって思ったところにアパートができてるし」

「まあ、10年ですからね」


 10年という年月は長いようで短く、短いようで長い。

 ゼロが都市を出るきっかけになった日からまだ10年。

 ゼロが都市を離れたあの日からもう10年。

 何を中心に見るかで、その感覚は変わってしまう。変わっているものも多いが、変わっていないものも多い。


(私は変わっていない。きっとマサムネも。ずっと止まったまま)


 そして、あの人たちも。

 変わっているように見えて、前に進んでいるように見えて、ずっと同じ場所にいる。洋服を着替えて変わったように見せているだけだ。時間は止まったままで成長もできていない。

 ゼロはどうなのだろうとタケナカは考える。彼は変わっていないように見えるけれど、もしかしたら大きく変わったのかもしれない。昔より言葉が柔らかい気がするし、もともとあった身内に対する甘さが、さらに増したような気もする。

 変わったのだろうか。それとも――


「タケナカ?」


 遠くへ行きかけていた思考は、ゼロの声によって引き戻された。「体調、悪いの? 横になるかい?」と心配そうにこちらを見る瞳は、タケナカがよく知る彼のものだ。

 10年前から、いや。

 20年前から変わっていない、優しいまなざし。


「――大丈夫ですよ、ゼロ。少し考え事をしていただけですから」


 チリ、と古傷が痛みを訴えた気がした。それを気のせいだと思うことにして、タケナカは微笑みを返す。


「それよりも、家でしたね。アパートの部屋でよければいくつかアテがありますが、家となると……そうですね、年季が入っていて外回りになってしまうような場所であれば、といったところでしょうか」

「外回りか……うーん、どうだろう。家の状態次第では、ひとまずそこを拠点にしてちゃんとした家を探すのもありだけど」

「それなら、見に行ってみますか。外回りといっても、ここからでしたらそう遠くありません。大家も存在しない、放置された家ですから状態は悪いでしょうけど」

「すぐに崩れるとかじゃないなら構わないからな。うん、見に行こう。案内頼める?」

「えぇ、もちろん」


 立ち上がり、異能を使って机の上のモノをすべて台所に。《座標指定》はちょっとしたことにも使えるので便利だった。

 ふたりで家を出て、タケナカが「こちらです」と道を示す。都市の中心部からは離れて、スラムの横を通り、外回り、都市の端へと向かって歩く。


「ここら辺も変わったし、やっぱり増えてるね。あの子とか、見たことない子だ」


 ゼロの視線の先にいるのは5年ほど前に保護された子どもだった。元は他の区に住んでいたらしいが、異能者だとわかり親に捨てたられたらしい。スラムの側にいたのをタケナカが見つけたので、子どものことはよく知っている。


「あの子も異能者ですよ。家に花を飾っていたでしょう。あれは、あの子の異能で作られたものなんです」

「へぇ。名前は?」


 そんな会話をしながら、10分ほど歩いただろうか。目的の場所までもうすぐというところで、ふたりは様子がおかしい男を発見した。

 焦点のあわない目。ふらついていて、しかし倒れることはない。かなり警戒しているのか、猫の足音に反応し、そちらに銃を向けている。


「知ってる?」

「いいえ」


 タケナカは四区に住む全員の名前を把握している訳ではない。コンコルディアは入れ替わりの激しい都市だ。住民のリストを作るのにも限界がある。

 それでも大体の住人は「見たことがある」はずだった。四区はコンコルディアで最も小さい地区で、住人も他の区に比べれば少ない。タケナカが毎日四区を歩くのは見回りの他に、住人を把握するという目的もある。名前まではわからずとも、それで顔は把握できた。


「少なくとも私は、一度も見たことがありません」


 腰のベルトに刺したナイフに手をやり、いつでも反応できるように構えておく。ただ見たことがない人間ならここまで警戒はしない。だが、目の前の男は何処からどう見ても異常だ。薬をやっているのかもしれない。この都市では、薬は珍しいものではない。


「――待てよ、アイツ」

「ゼロ?」

「見たことある気がする。相手をしたわけじゃないけど、どこかで」


 そう言った直後だった。男がふたりの方を向き、途端ぎょろりと目を見開く。定まっていなかったはずの視線はまっすぐゼロを射抜いていた。


「なんばぁぜろぉぉぉぉ!」

「!」


 粘質的な声と銃声が重なる。タケナカは異能で、ゼロは素早い動きでそれを躱し、すぐに迎撃態勢に入る。


「あぁあぁぁぁああひひひぃぃぃひぁ」


 もはや意味をなさない音を叫んで男が銃を撃つ。どう見ても薬をやっているのに、射撃はそこそこの精度を保っていた。

 とはいっても、そこそこだ。ゼロはもちろん、タケナカの敵にもらない。

 宙へと避難したタケナカにゼロがアイコンタクトを送る。ひとつ頷いて、タケナカはさらに高い場所へと身体を移し、ゼロと男を同時に視認できるようにした。


 そのまま、落ちるよりも早く異能を発動。ゼロと男の位置を一瞬にして入れ換える。異能を知っていたゼロとは違い、男は当然動揺する。

 その隙に、背中からゼロが襲撃。容赦ない蹴りを背中に見舞い、衝撃で男の手から離れた銃をキャッチ。ためらいなく男の肩に銃口を向けて一発撃ちこむ。


「あがっ」

「遅すぎるんだよね」


 そう言ったゼロの瞳に、タケナカや四区の人間に向ける温かみはない。

 過剰防衛。それはもともと、ナンバーゼロの専売特許だった言葉。

 身内にはとことん甘い彼は、その反動か、敵にはどこまでも冷徹だ。


「遅すぎるんだよ。まったく、僕も鈍ったかな。オマエ、二区にいたやつだろ。僕は直接手を出してないはずだけど、何の用?」

「あ、ぐ、」

「おいおい、まだ話せるだろ? 心臓でも頭でもなく肩を狙ったのは何のためだと思ってるんだ」

「う、なんば、ぜろぉぉ」

「僕の名前を繰り返すだけじゃ困るんだって……お、あった。へえ、こんな名前なんだ」


 足で男を抑えつけたまま、ゼロは男のズボンのポケットを漁った。中から出てきたのは財布で、隅に男のものと思わしき名前が入れられている。


「確認するぜ。オマエの名前はグリン。間違いない?」

「ぐ、リン……」

「言ったな? じゃあ聞くよ。『僕に何の用』?」


 二度目の質問。それに、男はハッキリした口調で答えた。


「おまえをころせば、おれは、しょうぐんよりつよい!」

「……くだらない」


 鼻で笑い、ゼロが脚に力を込めた。手に持ったままだった銃を再び男へ向けて。


 銃声。血が飛び散り、男は物言わぬ骸となる。


「全く、マサムネに勝ちたいなら本人に挑めばいいのに。僕のところに来るなんてほんとくだらないよ」


 はぁと息を吐くゼロからは、先ほどまでのピリついた空気は消えている。いつもの柔らかな空気。その切り替えに恐怖する人間も少なくはない。

 だが、タケナカにとってはもう慣れた切り替えだ。彼の二面性はよく知っている。今更怯えるようなことでもない。

 ただ。


「ゼロ」


 震える声で、タケナカは彼に聞く。


「異能を、使いましたね」


 にへらと笑ってゼロは応えた。肯定だ。


「なぜ、なぜ異能を使ったのです。あの男を殺すのに、あなたの異能は必要なかったでしょう」


 怒りを含む声。男を殺したことではなく、それは、ナンバーゼロが異能を使ったという事実に対するものだった。


「でも、気になるじゃないか」


 なんでもないようにゼロは言った。タケナカが怒っている理由がわからないはずがない。彼自身が、一番よく知っているはずだ。


「そんな、理由で……そんな理由で命を縮めたのですか」

「――うん。ごめんね、タケナカ」


 ナンバーゼロの異能は規格外だ。そう難しくない条件で、絶対の力を使うことができる。

 だが、彼の異能には致命的な欠陥があった。

 異能を使えば、ナンバーゼロの寿命は縮む。身体を、異能という病魔が蝕んでいく。


「僕は、それでも自分が使いたいときに異能を使うよ」


 知っている。彼はそういう人間だ。


(ああ――)


 変わったのだろうかと考えた。


(変わってはいるのでしょう。昔は、こんな無駄な使い方はしなかった。でもそれは――)


 変わっていないよりも、悪い変化だ。


「あなたは」

「うん」


 怒りと、悲しみを込めて、タケナカは吐き出す。


「死にたいのですか」

「……帰ろう、タケナカ。家は今度にして。僕の靴も服も汚れたから」


 ちぐはぐな返答は、タケナカの言葉が正しいことを示していた。

 拳を強く握る。きっと自分の言葉は届かない。過去に囚われているタケナカだから、わかってしまう。

 ナンバーゼロも過去にとらわれていて、だから変わっていないようで変わってしまった。


 きっと死者にしか、彼の意思は変えられない。



 ◆◇◆◇◆



 役者は揃う。死者をも数えて、舞台は整う。

 誰かが望んだから。

 あるいは、誰かが望まなかったから。

 幕が上がる。

 過去に打ち切られた、悲劇は再び。



序章〔役者が舞台に揃うとき〕完結

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