メイド長マルタ

 正直に言えば、信じてはいない。

 マルタにとってアリシアは優秀ではあるが、少し頭が狂っていると思っている。

 今回の件とて話が唐突過ぎる気もした。

 しかも、全体の前で当主の証を握り潰すなど、マルタには常識的に考えられない奇行そのものだった。




「信じていないのは知ってますよ。でも、わたしは対策があるから動いているの。しかし、あなたには対策が無い、医者にも無い、ならわたしが対策しても不利益は有りませんよね?」


「そ、それは……」


「ここで決めて下さい。わたしを信じてお孫さんを救うか信じず、見殺しにするか?」




 彼女の目は何の不純もない。

 ただ、真っ直ぐ見つめてくる。

 実戦慣れした兵士だからだろうか?

 その瞳は人間と話している気がしなかった。


 本質を計られている様な気もした。

 確かに自分に不利益は無い。

 治療法があるなら、それに越した事はない。

 だが、それが人間には到底信じられない事だ。

 そんな自分の固執1つで孫を殺すのか生かすのかマルタの人間性を推し量られる様な気がした。

 だが、マルタにとって自分の固執1つ捨て去り、孫が救えるなら安いモノだと考え、マルタは孫を救う道を選んだ。

 マルタはヘルメットを被り、後部シートに座った。




「感謝します」




 アリシアのその声は本当に自分が救われた様な感謝の声だった。




(可笑しな人です。何故、あなたが感謝するんですか?)




 その言葉にアリシアは答えようとはしなかった。

 アリシアはエミールを走らせ夜道を駆け抜けていく。

 マルタは彼女にしっかりと掴まりながら、彼女の心臓の鼓動を感じていた。

 その鼓動は見た目以上に大きく力強い素人でも分かるほど、とてもよく鍛えた心臓である事が分かる。

 抱き締めた体も暴力や敵意に苛まれながら、耐え抜いた引き締まった手応えのある体だった。

 そして、とても暖かい。


 彼女の計り知れなさをこれなら頷ける気がした。

 兵士であった夫以上に逞しい体に力強い鼓動、この年で誰も味わった事もない苦痛に耐える。

 自分には到底、辿り着けないと思えた。

 彼女ほど若くても自分にはそこまでの熱情はない。

 それが少し羨ましかった。

 こうしてバイクを走らせ、夜の病院に向かう。

 病院の面会時間が終わる直前で間に合った。


 就寝時間が近いのもあり、病棟は薄暗い。

 受付のすぐ横にはエレベーターがあり、アリシア達はそれに乗り、病室に向かう。

 病室の階に行くと受付の階よりも薄暗くなっており静寂が立ち込める。

 聞こえるのは2人の足音だけだ。

 白塗りの壁は最近新しくしたようで清潔感がある。


 そう言えば、真っ黒な壁を白に塗って悪を正義と偽ると言うニュアンスの苦節を思い出したが、この病院は致命的なまで黒くはないようだ。

 そんな事を考えながら歩いているとメイド長が口を開く。




「あの……孫は本当に治るのでしょうか?」




 不安そうに尋ねる。

 不安になるのも当然と言える。

 今から何をするのか分からないのだから、その方法が安全なのかどうか疑問に思ってしまうのだ。




「わたしにも出来ない事があります。信じない者に施す事と迷いを抱く者に施す事です」


「迷う者?」


「わたしも時に悩む事はあるので人の事は言いませんが、罪を働く者は多く悩む者です。例えば、完全に信じ切れないのも罪ですよ」


「!」


「確かに完全に信じさせない相手の問題もあるでしょう。わたしも無理矢理連れて来た節はありますから仕方ないとは思います。ですが、あなたは行き詰まっていたからわたしを頼ったはずです。ならば、貫徹すべきです。熱いお湯か冷たい氷かどちらかにすべきです。中途半端はいけません。少なくとも……」




 アリシアはメイド長の目を見て優しく微笑んだ。

 だが、その中にどこか厳しい言葉もあるようでまるで親に叱り付けられているような気もした。

 マルタも自分が最終的に頼んでおきながら、疑っていた節を感じ取って申し訳なく思え頭を項垂れる。

 だが、それでもアリシアは彼女の肩に両手を置き励ましの言葉を贈る。




「少なくとも、その様な事は口にしない方が良いです。口にした事は少なからず、その通りになる。あなたが不信を口にすれば、その通りになる。なら、自制して言わない方が良いですよ。本当にお孫さんを救いたいなら尚更です」




 アリシアは優しくも厳しい声でメイド長を諭した。

 マルタは「はい」と答える事した出来なかった。

 マルタは童心に返り、母親か姉に諭された様な錯覚を起こす。

 アリシアの口にはそれだけの説得力があった。




「ここですか?」




 話している間に病室の前に来た。




「当主様」




 部屋に入る前にマルタがアリシアに話しかける。




「わたしはあなたを信じます。だから、どうか孫を救って下さい!」




 アリシアは誠意を受け取った。

 それに「うん」とだけ答えた。

 病室の扉を静かに開け、他の病人を起こさぬ様にゆっくりと近づく。

 病院が閉まる直前で来た事もあり、もう消灯が近い。

 まだ、起きている者いるだろうが、この部屋の人間は既に寝ている。

 2人は奥の窓際に向かう。

 暗くなった病室に音を立てぬ様に静かに歩む。


 電気をつける訳にはいかないのでスマホ型PCのライトを床に照らしながら、足元を確認して近づく。

 窓際まで近づき、アリシアは彼と出会った。

 生命維持装置に繋がれ、眠っている男の子がいた。

 マルタの孫だ。


 必死に生を繋ごうと寝ながら、一生懸命呼吸する姿は痛々しく愛おしく思えた。

 身体中に管を繋がれ見るに堪えないかも知れない。

 それでもそんなになっても懸命に生きようとする姿にアリシアは心打たれる。

 彼の鼓動と共にアリシアは彼の心を見る。

「生きたい」「生きたい」そればかりが心から伝わる。

 人とは、生まれてすぐ死ぬ人間もいれば、病を抱える人間もいる。

 それは別に神の手が届かないから起きている訳ではない。

 全ては”偶像”なのだ。


 例えば、天の国で天上の生命体達にやけどを負わせ、地球に投獄された者がいるなら、その者は自らが地上でそのやけどの苦しみを味わい、やけどの苦しみが如何に辛く、如何に重い罪であるか悟る原因となる為にそのような”因果”が働き、その者がやけどを負う運命を引き寄せるのだ。

 勿論、目の前のマルタの孫も同様だ。

 だが、少なくとも彼は「必死に生きる事の意味」を良く悟り、ロア・ムーイの様に「必死に生きる」と嘯き、偽る偽善者にはならないとアリシアが確信を持てるほどには因果力の形質が優れており、魂の在り方も非常に良かった。

 だからこそ、その敬意として彼の願いとマルタの願いは聖別を以て、叶えねばならない。

 アリシアは起こさない様にして彼に近づき、手を当てる。


「あなたの望む通りになる様に」と言葉を紡いだ。


 すると、蒼い光が孫に注がれ孫が光始める。

 メイド長は驚いたが、ただ呆然とそれを見るしかなかった。

 光の輝きはすぐに収まった。

 孫はまるで痛みや苦しみが取れた様に健やかな笑顔で寝息を立てる。




「今日は一緒に居てあげて下さい。明日には食欲旺盛に食べると思いますので。それに一応、病が治っているか医師の診断を煽って下さい」


「は、はい!」




 孫やこの一瞬で良くなったのはマルタの目にも明らかだった。

 マルタはその日、病院に泊まることになった。

 無論、そこにはアリシアもいた。

 翌朝、目を覚ました孫はこれまでにないほど元気だった。


 生命維持装置がもどかしく感じ、今まで訴える事も無かった空腹を訴える様になった。

 医師は急いで診断した。

 すると、昨日まであった病が完全に消えていたのだ。

 医師達は「神の奇跡だ」と称した。

 孫はその日のうちに生命維持装置が外され、病院食を食べる。


 マルタはその様子を見て、安心した。

 アリシアは安堵の笑みを浮かべる。

 その後、マルタと孫はアリシアと契約を交わした。

 屋敷に帰ったマルタは従えるメイド達にも契約する様に促し、多くの契約を結んだ。

 それ以来、マルタはアリシアの行う行為を正常に見ることが出来る様になった。

 アリシアにとってはそれは良い報せだった。




 ◇◇◇




 だが、同時に悪い報せもあった。

 48時間経過したが、誰もメールを返信しなかったのだ。




「予測はついてたけど、ここまでとは……」




 アリシアは屋敷のパソコンを眺め、項垂れる。

 彼等は全員サタン側に付いた。

 彼等は恐らく、リストにある人間達にコンタクトを取り、”ファザーファミリー”と成ったのだ。

 彼等は自分達の絶対的な地位を確保する為にサタンに組みした。

 彼等にとって兵器や軍事需要など自分達の私服を肥やす方法であり、より確実な方法があるなら、それに縋る傾向があった。

 サタンにつけば、手に余る労働力を無償で確保でき、怠惰な生活が営めるからだ。


 人間は怠惰だ。

 不労所得をして楽に生活したがるが、神の世界ではこれほどの悪逆は無い。

 怠惰な者は高慢な者と同じく楽園には入れない。

 こうして人類の命運は完全に帰結した。

 神でも変えようがないほどに完全に帰結した。

 後はアリシアが目星をつけた者達と契約を交わす。

 それ以外の救いはもうこの地上には存在しない。




「これで本当に全てのカードは配った」




 3均衡に命じた断食以上に緩い条件にも関わらず、全員がサタン側に着いた。

 決して、無理な要求はしていない。

 人間の尺度で荒唐無稽ではあったとアリシアの自覚しているが、不可能な要求では決してない。

 寧ろ、「地球の財産を全て寄越せ」とか「世界中で武力解除しろ!」とか「武器を放棄しろ!」とか、そう言った高承で見た目だけの賢しい要求をした訳ではない。

 多くの人命の為を思えば、断食は当たり前の様にできており、”ファザーファミリー”と戦う選択を選ぶ。

 寧ろ、この程度の事もできないと言い訳するとなると人類に反論の余地はない。

 本当にできないなら、まだ良かったが、できるのにやらない言い訳をするのは”罪”以外の何者でもない。

 それだけの事だ。


 彼等は今まで自分の命を危険に晒しても、エレバンの戦争に加担していたのだ。

 ここでエレバンを取らなかったと言う事は彼等は神に敵対する道を選んだと取るしかない。

 こうして、人類の破滅は決まった。

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