シリコリアンと蔑まれた少年

 中央都市 夜




 1人の少年が走っていた。

 多くの食料を胸に抱えながら走っていた。

 必死に逃げるあまり食料が零れ落ちていく。

 それでも日ごとの糧を失わぬように必死に抱えながら逃げる。


 だが、勢いあまり転び食料が地面に落ちる。

 追跡者の男2人が少年の頭を鷲掴みにして路地裏の壁に投げ飛ばす。

 男達は下品な笑い声をあげて少年を見下ろす。




「ひいい!薄汚い、シリコリアンが神聖なオレ達の食料を奪っているじゃねーよ」


「そうだ、オレ達は神に選ばれし民なんだ。お前みたいな極悪人とは違うんだよ」




 少年はシリコン産業で栄えた一族の人間だった。

 だが、丁度女神と呼ばれる女性が現れる1週間前に自分以外の一族は皆殺しにされた。

 動機は恐らく、職業差別への軋轢。

 少年は身寄りを失い、この1週間1日に食べる食べ物や飲み物に苦労しながら生きて来た。

 今ではかつてのような肌合いでもなく痩せ細っていた。

 孤児院に引き取ってもらう事も考えたが、ケイ素生物シリコリアンと言う侮蔑名で呼ばれた一族の少年を誰もが蔑み引き取りはしなかった。


 少年は抱く。

 自分は報いを受けているんだ。

 裕福な家庭で何不自由なく育って来てこれと言った悩みも苦しみも経験せず、生きて来た。

 だが、この1週間で知った。

 自分が普通と思っていた日常を維持するために一体どれだけの人が犠牲になったのか?


 自分は自分の地位に溺れ、友達だった人達に親の地位を自慢し威張った事があった。

 だが、自分が立場を失って分かった。

 シリコンをやっている人が偉いんじゃない。

 それを支える人達の方がそれ以上に偉いのだ。

 その人達が苦労して作った食料がないと自分が満足に生きていく事すら出来ないほど浅ましく、無力で弱い。

 そんな当たり前にすら気づけなかった。


 この男達の言う事は尤もなのだ。

 自分は穢れている。

 だから、きっと自分は今まで行った報いを受けているんだ。




(だが、神よ。もし、あなたが本当に来ていると言うなら……僕にチャンスを……)




 男の拳が無抵抗の少年に振り下ろされ少年は目を瞑る。




「やめなさい」




 女性の声がした。

 夜の闇でも透き通るような凛とした声が少年の耳に入り、少年は思わず目を開く。

 そこにはいつの間にか地面に転がり気絶する男と自分に拳を振るう男の腕を掴む、蒼髪と澄み渡るような蒼瞳を持った女性だった。


 その美しさに自分の置かれたひもじい境遇など忘れてしまうほどの美しさと淑徳を兼ね備えた女性がいた。

 彼女は一度だけこちらを一瞥して慈しみ溢れる笑みでこちらを見つめた。

 少年の悲しみは全て奪われていくようだった。




「なんだ?テメ!どこのアマ!離せ!クソ、なんて馬鹿力だ!」


「神の信者を語るのにわたしの事を知らぬと言うのですか?」




 アリシアはその細身では考えられないほどの膂力で男の腕を抑え込む。

 男の腕の方が太そうだがビクともしない。

 抑え込んだアリシアの右腕が微か上下に動いたように見えた。

 何をしたのか分からないが、男は勢いよく地面に顔面からぶつかった。

 そして、アリシアが背後から男の首筋に指をなぞらせると男はいきなり、気を失った。




「あとは、お願いします」




 そう言うと気絶した2人の男は突如消えた。

 少年は何が起きたのか分からず、呆然と立ち尽くす。

 すると、アリシアはアラートが鳴る通信機を取り出した。




「こちら、グン」


「そちらの様子は?」


「市内にいるテロリスト……全員捕縛した。あなたの名前を借りて悪事をしようとしてたみたい」


「未然に防げて良かったです。御苦労さま。後は天使に任せてゆっくり休んで下さい。わたしは用事を済ませたら帰ります」




 アリシアは通信機を切ってこちらに歩み寄る。

 流石に少年も理解していた。

 噂と顔くらいは見たことがあった。

 でも、気に止める暇がないほど生きるのに切迫して今まで気づかなかった。




「大丈夫?」


「あ、はい」


「ケガをしているみたいね。ちょっと待ってね」




 アリシアはケガをした部位を優しく撫でていくと傷は治り体の痛みが治まった。




「痛くない?」


「あ、はい」


「そう、よかった」




 アリシアは心の底から安堵したように微笑んだ。

 嘘を見破る力など少年にはないがその顔はとても暖かかった。




「ありがとう、神様!」




 彼の言葉に思わず熱が入るとアリシアは「ぶふっ」と勢いよく息を漏らした。




「ご、ごめんなさい。見苦しいところ見せたね」


「う、うん。大丈夫。僕、何か可笑しかった?」


「いや、あなたは何も可笑しくないよ。ただ、ちょっと神様って言われ慣れてないだけ」






(ここまで感情を直球に言われたのは初めてかも……結構、驚いたな。どうも、まだ神である自覚が足りないのかな?アステリス様に任されたとは言え、あの方以外で神を名乗るのは恥ずかしいと言うか烏滸がましく思えるんだよね。おっと、いけないな……そう言う指示があったのは事実なんだから疑うのは悪いよね)





「神様なのに、言われ慣れていない?」


「わたしにも色々、あるんだよ」




 少年は「ふん、そっか」と答えそれ以上は詮索しなかった。

 アリシアも「うん、そうなの」と返答した。

 素直に信じてくれるならアリシアとしてもありがたい。




「わたしはあなたの願いを聴いた」


「僕の願い?」


「チャンスが欲しいんですよね?」




 少年は目をハッと開く。

 分かっていたつもりだったが、目の前の女性が自分の気持ちを的確に読んでいるとその力の程を深く感じ取れる。




「あなたの罪は許された。だから、もう泥棒はしてはいけません」


「でも、僕は……」




 身寄りがない。

 生きて行くにも誰も雇ってはくれない。

 だからこそ、盗まねば生きてはいけない。

 彼の考えや立場ではどうあっても無理な話だ。




「どちらが良いと思う?」


「えぇ?」


「盗みをしても罪悪感すら抱かなくなる者と正義を守りたいのに盗むしかない者、どっちが良いと思う?」



「正義の方……」


「そうだね。加えて、自分の顧みて悔い改めようとする人は神は好み自分の民にする」




 アリシアはそっと手を差し出した。




「来なさい。足りないところはわたしが補う。わたしの民に盗みを強いるような真似はさせない」




 その言葉は何よりも力強く、その言葉に嘘偽りを感じさせない。

 人間以上で確かでそれが絶対の理や法則と思わせるほどの絶対性がその言葉には自然と含まれていた。

 彼は自然と彼女の差し出された右手を固く握りその微笑みは生涯忘れられないほど印象強く残った。




「あなた、名前は?」


「ネロ」


「ネロか……良い名前ね」


「ありがと」


「帰ろっか?ネロ」




 アリシアの手を固く握りネロは新たな人生を歩み始める。

「こんばんは、カレーだよ」と教えるアリシアにネロは大いに喜び、はしゃいだ。


 こうして、今日の0時が訪れる前にバビ国家は軍事機能を維持できないと言う事とアリシアルートでルシファー絡みの情報が統合軍に流れ、武力を以てバビ国境まで進軍、それを拒む事が出来ないまま無条件降伏をするしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る