その者の願い

 浅はかだった。これで、なんとかなると思った。

 しかし、相手の方が上手……いや、圧倒的な力で真実を潰せるのだ。

 相手は自分の思うがままに真実すら作れる相手なのだ。

 アリシアにとって、それはとても大きく、まるで「神」と形容出来る存在に思えた。


 まるで自分が一瞬でもすがった存在にわずか数秒で裏切られたような絶望感がアリシアの心を支配する。

 神すら救う事ができないこの世界に救いなどないと思わされるほど決定的な瞬間だった。

 自分に敵対する巨大な力がそこにあった。

 それは見上げるように巨大で自分がまるでイナゴのように思えた。

 これで交渉は全て水の泡となった。

 アリシアは皆を救う為に自分の命を対価として決死の覚悟で挑んだ。


 決死の覚悟で挑んだのだ。だが、結果は何も為せなかった。

 あっさりと砕かれてしまったのだ。

 圧倒的な力の前に自らの無力感を痛感し、全身に絶望が覆うように彼女は首を下に向け手はだらりと垂れさがった。






(結局、変わらなかった……)






 心に風穴でも開けられたような感覚が全身を蹂躙し、気丈に振る舞っていた彼女のか細い心は折れた。

 その場にいた自衛団や子供の両親を含めた全員がテントの外に出された。

「放せぇぇぇぇ!」やリテラとフィオナそして、アリシアの名を呼ぶ両親達の声が夜の闇に響く。


 アリシアはただ茫然とその場に佇んだ。抵抗すら無意味に思える程だった。

 彼女に抵抗する気力すらなかった、抵抗しても何もかも虚しく思えた。

 裏手ではフィオナとリテラは必死に抵抗し、連れていかれる声が聞こえた。




「行くぞ」




 軍人はアリシアも連行しようとした。アリシアは力なく腕を握られた。





(もう……ダメだ)





 彼女は急に糸が切れたように生気を失う。

 軍人に引きずられるままに連れていかれ操られる操り人形のようだった。

 後ろでは父が軍人に抵抗して外に連れていかれる。

 だんだん、娘を呼ぶ声も遠ざかっていく。「全ては終わった」と感じた、その時だった。




「少し待ってもらえるか?」




 1人の男がテントに入ってきた。

 聞き覚えのある男性の声がテントから出た彼女の目の前に現れ、アリシアの目線は彼に徐に視線を合わせる。

 



「あ、あなたは……」


「誰だ。貴様?」




 軍人は眉を顰めた。

 また、作戦を妨害するアクシデントが起きたと内心苛ついていたのだ。




「PMCモーメントの者です」




 その男はアリシアが聞いた事もない会社名義を名乗った。




「モーメント?アクセル社系列の企業か。なんの用だ?」


「そこの少女はこちらが引き取る」


「何?」




 軍人の顔が更に険しくなる。

 ただの民間人なら即刻追い出すか射殺するところだが、相手がPMCとなれば軍とどんな繋がりがあるかも分からない。

 軍人は「何故、そうする必要がある?」と問いただした。




「とある軍事計画の為です。この件はアクセル社経由で軍の了承を得ています。これが証拠だ」




 吉火はタブレットPCに記載されたサイン付きの命令書は提示した。

 極東基地司令の同意書とサインが入っていた。

 そこには顔写真付きで以下こう書かれていた。





 その少女の処遇、プロフィールの提示、及び開示は特定セキャリティレベル9として扱う(基地司令以外閲覧不可)以後この少女への介入は禁ずる。

 





 極東司令が態々サイン入りの命令書は届ける事は只事では無かった。

 設定された機密レベルからそれが伺える。

 これ以上、下手な事は出来ない。

 軍人は自分が所属する中東基地に確認を取った。


 すると、副司令から「問題ない」と言う通達があった。

 命令である以上その軍人は逆らえなかった。

 軍人はアリシアを突き飛ばすように引き渡した。


 力無くフラつくアリシアを吉火はそっと受け止め、手を繋いで歩み出し連れて行く。

 外に出ると雨が降り始めた。

 吉火は気を使ってか持っていた傘を開き、アリシアと密着してその中に入れた。

 アリシアはまだ、力なく呆然として吉火の腕にもたれていた。

 雨が本降りになり冬の寒さと相まって冷気が指先から伝わり、吐く息の白さが途端に濃くなる。

 吉火は必要な要点を話し始めた。




「すまない。こんな形で誘拐する様な真似をして……此方としても君の両親には軍役につかされたと思われた方が好都合なんだ。大丈夫だ。両親との伝通を禁止する様な事はしない。それと……」




  吉火は意気消沈したアリシアをそっとハグした。アリシアは思わず「あぁ」と声を漏らした。




「良くやった。君が時間稼ぎをしなければあの命令書は間に合わなかった。1人で良くやりました」




  アリシアは抑えていたモノを爆発させる様に感極まり、吉火に縋る様に強く抱きしめ泣き始めた。




「でも、救えなかった……守りたかった!守れなかったの!」




 アリシアは徐に吉火の服の裾を掴んで号泣した。

 感極まった彼女の握る手は非常に強く、容易に剥がす事は出来なかった。

 剥がす気は毛頭ないが、吉火はただ静かに背中を摩る。




「仕方がない事……では、言い訳かも知れません。でも、大切なモノを守ろうとしたあなたの勇気を私は称えます」




 その時の言葉が今でもアリシアの心に残っている。

 無力でしか無い自分を最初で確かに認めてくれた言葉が無性に心に染みた。

 気づけば抑えきれない衝動が大きな声として現れる。




「うあぁぁぁぁぁ!はぁっはあぁぁぁぁぁ!」




 鎮火し煙の匂いが立ち込める。集落に引っ切り無しに装甲車や指示を出す軍人の激が聞こえ行き交う。

 雨脚もだんだん酷くなり、より一層冷え込む。その雨音が彼女の悲しみを隠し、その忙しない木霊がまるで彼女の心情を現している様だった。




◇◇◇



 ???




 誰かがその様子を見ていた。

 人間では、どんなに技術を進歩させても届かない高いところから全てを見ていた。

 その者にとって地球とは、革袋から零れ落ちた1つの砂粒の様なモノだ。

 その者にとって、砂粒の表面で起きる全容を知る事など造作もない。

 その上でどんな事をしてもその者には全て筒抜けで、どんなに頑丈の部屋の隅に隠れようと地面の中に逃げようと海中に逃げようと全て見えている。


 その観測能力、故にその者は人の心を吟味する。肉的な容姿や学歴、資産などその者には無用の長物だった。

 大切なのは魂の価値であり、魂の資質こそその者の尊ぶことだ。


 その者にとって人間世界の金とは、道を舗装する為のコンクリートの様なモノであり学歴は虫が川の流れが上から下に流れる事を自慢しているほど些末な事で、容姿はただ、粘土細工をしてそれが人間に気に入ったか、そうでないかと言うだけの話だ。

 魂が美しければ肉的美しさも品格として顔に現れそれが美しいとなる。肉的な美貌を求める事など愚かしい限りだ。


 だが、その者の想いとは裏腹に、人間は目に見える肉的なモノばかりを追いかける。

 人は技術が幾ら進歩してもその心はまるで成長しない。

 この世界に人間が来ようとした事もあった。

 だが、そのどれも肉的な方法ばかりで技術に頼ったやり方ばかりだ。


 その世界に来たい者は値なしに来るが良いと過去にそのマニュアル本を教えた事もあった。

 だが、人間は自分の欲、固執、妬み、怒り、不満、高慢など負の感情を捨てる事を拒み「人間的なやり方ではない」とそのマニュアル本を拒み、まるで自分に逆らい争う様に人間的なやり方を追求する。

 まるで「その法律が気に入らないから敢えて逆らってみる」と言う犯罪者や子供の言い分、そのものだ。


 尤も地球と言う星はその者にとって犯罪者の入る刑務所である事に変わりはないので、犯罪者全員が素直に自分の言い分に従うとは初めから思っていない。


 そして、刑務所とは元来、思い通りにならない場所でもある。


 思い通りにならないが故に、人は不平不満を抱き、不満が高慢に繋がり高慢を抱いた者が上に立ち人を支配したがる。

 自分の思い通りにする為に……そして、その障害となる者は短絡的に排除したがる。

 その忍耐が足りない行為、故に争いが起き、怒りが沸き立ち抑えきれず理性を失った者が核兵器と言う者を撃つ事もあった。


 そもそも、人々からそのような負の感情が消えない、消す気もない地球社会で戦争が起こらないと思い込む方が愚かである。


 どんなに理性が働こうと怒りの前では理性は消え、気づけば世界を巻き込む災害となる。

 民は民に国は国に反旗を翻せばその被害は勝手に増える。人はその罪故に争いを起こすのだ。


 そのせいで滅びた世界をその者は知っていた。

 ある世界では世界が核の炎に完全に包まれ、ある世界では月が3分の2欠けた事で月の引力が減少し地球の地軸が23・43度から7.81度に変わった事で地球の環境が激変し竜巻や急激な寒冷化や局所的な温暖化により地球人類の9割が死滅した世界もあった。


 ある世界では、他惑星から来た異形の生命体を崇高し偽りの「神」が指し示す希望にすがり盲人となった人間が世界を滅ぼした事もあった。

 その者はそんな人類の虚しい結果を何度も見た。

 その度に救いの機会を与えたが人間はそれでも固執や高慢を捨てようとしない。




「哀れな……」




 思い返す度にそう思わざるを得ない。その者に怒りや憎しみはない。

 ただただ、救われなかった魂に対する哀れな気持ちしかない。

 だが、救いを拒んでも高慢でいたいと願ったのは人の意志だ。

 その責任はその者にもなければ、その者の使いの責任でもない。不法を働くその者達の責任だ。


 だが、その者も大変危機的な状況にあった。

 人間の堕落のせいでその者のいた世界は危機に瀕していた。

 罪なき者達の来る楽園は罪のある者達の不法が積み重なり天にまで届き天を侵食していた。


 その者は願った。

 切に願った。

 自分の目標が叶う事を切に願った。


 自分が願いを聴く側なのは知っているがそれでもそう思わずにはいられないほどその者は切羽詰まっていた。




「どうか、あの娘が試練に耐えられるように」




 その者は地上に残された清く無垢なヨブの様な少女の事を思う。

 そのヨブがダビデとなる事をその者は切に願った。

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