身の程をわきまえれば

『人間は、食うためでもないのに誰かを殺す』


ウルイは狩人だからこそ、


『生きるために他の命をいただく』


ことを徹底しているからこそ、そうじゃなく他の命を奪うことを禁忌として捉えていた。


これももちろん、キトゥハの下にいたことで学んだものである。


なにしろ、幼い頃に彼が住んでいたところでは、


『ムカついた』


『気に入らない』


などという些細な理由で他人を殴り、時には喧嘩になって死に至るということもそれほど珍しくなかったのだ。そんな大人達の姿を見て育ったウルイには、


『ムカつく奴は殺せばいい』


という感覚が実はある。しかし、キトゥハに、


「ふむ。じゃあ、他人からは<生意気なクソガキ>に見えてしまうお前は、そんなお前に対して『ムカついた』奴に殺されていいと言うのか?


お前の言ってることは、つまりそういうことだ。『ムカつく奴は殺せばいい』と考える以上、他の者がそう考えることも認めなきゃいけない。『自分はそう考えてもいいが他人がそう考えるのは許さない』など、ただの子供に過ぎんお前に通せるわけがないじゃないか。お前にそんな世の中が作れるのか?」


そう。キトゥハの言う通り、


『<自分はムカつく相手を好きに殺しても許されて、しかし他人が自分を殺そうとするのは許さない世界>など、ウルイに作れるはずがない』


のだ。


そしてキトゥハは、<ムカつくクソガキ>である自分を傷付けようとはしなかった。そんな世界など、キトゥハにも作れないのだから。


身の程をわきまえれば、あまりにも当たり前の理屈。なのに、ウルイの実の親達はそれを教えてくれなかったし、本人達もまったくわきまえていなかった。


だから、『ムカついた』などというくだらない理由で喧嘩をして死んだ者もいる。


そんな生き方で本当に自分は幸せなのか?


そう考えた時、ウルイにはまったくそうは思えなかった。そんな生き方をしている大人達が幸せそうになど見えなかった。


となれば、それを避けるのも自然とできてしまう。たとえイラッとくるようなことがあっても、手を出さないように自分に言い聞かすことができた。


誰かのためじゃない。何よりも自分自身のためだったから。


すると、いつしか、イティラもウルイの考え方が浸透していた。彼が口先だけでなく、きちんと普段の振る舞いでそれを体現できていたからだ。


それがイティラに、


『ムカつく相手だからと死を願うのは、誰かがウルイにムカついたら彼が殺されるのも仕方ないと言ってるのと同じ』


という認識をもたらしたのだろう。


イティラ自身さえ気付かないうちに。


これにより、彼女は、自分の両親や兄姉に対する恨みから解放されることとなった。


もちろん、すべてを許せたわけじゃない。


ただ、わざわざこちらから出向いて<復讐>するまでもない。とは、思えるようになったのだった。


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