<答>は一つではない
なお、『イティラは弓ができない』とは言うものの、それはあくまで、
『ウルイに比べれば』
であって、単に弓で矢を放つ程度のことはできる。その精度も速度も『実際には使い物にならないレベル』というだけで。
この辺りはあくまで本人の適性の問題だし、イティラは弓に頼らなくても狩りを成功させられる耳と鼻をはじめとした身体能力があるので、何も問題はない。
それに、弓ができるようになろうと努力したことが、耳と鼻をより活かす集中力を養った面もあるだろう。決して無駄にはなっていない。
これも、キトゥハが言っていた、
『できることを確実にやれ。その積み重ねが、<できないこと>を<できること>に変える』
という話に繋がるのではなかろうか。
『弓を使えるように努力するという<イティラにとってできること>を確実に積み重ねていった結果、耳や鼻がより利くようになり、『一人ででも生きていける』ことができるようになった』
のだから。
もっとも、キトゥハ自身はそんなつもりで言ったのではないかもしれない。とは言え、ウルイはその解釈で納得しているので何も問題はなかった。
『生きる上において<答>は一つではない』
そういうことだろう。
何より、当のイティラ自身が、明るく、前向きで、活力に溢れている。出逢った時にはあんなに弱々しくて、
『三日も生きられないんじゃないか…?』
などと、実は心のどこかで思ってしまっていた彼女が、今ではすっかり見違えてしまう。それでいて、ウルイ自身には、
『子供を育てた』
つもりなど毛頭なく、ただ、
『子供にも見える者が自分の傍で死なれては寝覚めが悪いから』
という想いが大半だったことも事実。それに、縋るような目で自分を見る彼女が、自分の教えることを次々と習得していくのを見てるのは、確かに楽しかった。
キトゥハの気持ちが何となく分かる気もした。
弓については確かにモノにならなかったものの、自分だって耳や鼻が利くイティラと同じことができるか?と言われればまったくできないので、そこは問題ではなかった。
それを理由に怒鳴ったり叩いたりする必要もまるで感じなかった。
一方、ウルイがそうやって彼女の努力を穏やかに見守ってくれるから、イティラとしても委縮する必要も嫌悪する必要もまったくなく、ただ、
『ウルイに遊んでもらってる♡』
という感覚で楽しくやれていたというのもある。
つまり、ウルイが穏やかかつ熱心に接してくれるからイティラとしても楽しく熱心にできて、イティラが熱心に臨んでくれるからウルイとしても教え甲斐があったというのは間違いなくある。
お互いに良い影響を与え合っていたということだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます